光が疑問を持つ夜
その夜、勇者エリオスは眠れなかった。
幕舎の中、灯りを落としても、昼の戦場が何度も蘇る。
剣が交わり、間合いが詰まり、そして――壁が立った瞬間。
(なぜ、止まった)
力なら、越えられた。
技量なら、押し切れた。
だが、足は動かなかった。
(斬った後に、どうするか)
その言葉が、頭から離れない。
斬る。
それは、これまで何度もしてきたことだ。
だが、斬った“後”について、
考えたことはなかった。
魔族を斬る。脅威が減る。平和に近づく。
そう教えられてきた。
そう信じてきた。
(……本当に、それだけか)
問いは、胸の奥で燻り続ける。
そのとき、幕舎の外で、かすかな気配が揺れた。
警戒心はない。敵意もない。
ただ、近づいてくる意思だけがある。
エリオスは、無言で剣に手を伸ばした。
次の瞬間。
幕舎の布が、音もなく持ち上げられる。
そこに立っていたのは――
昼間、壁の向こうにいた魔族だった。
だが、今は違う。
人間の姿。魔力の気配も、ほとんど感じられない。
いくつもの魔道具が、静かに稼働している。
認識阻害。外見偽装。魔力遮断。
どれも、敵地深くに入り込むための装備だ。
「……大胆だな」
エリオスは、剣を構えたまま言った。
「ここに来ると決めた時点で、覚悟はしている」
魔族――アルト・ノクティスは、そう答えた。
「二人きりで話したい」
「断る理由は?」
「斬り合いなら、昼に終わっている」
エリオスは、一瞬だけ沈黙した。
そして、剣を下ろさないまま、頷く。
「……条件がある」
「聞こう」
「ここを、外から完全に遮断しろ」
アルトは、無言で小さな魔道具を取り出した。
地面に置く。
淡い光が広がり、幕舎全体を覆う。
音も、魔力も、外へ漏れない。
「これでいいか」
「十分だ」
しばらく、沈黙が落ちた。
敵同士。だが、剣を交えない時間。
「……聞かせろ」
エリオスが、先に口を開いた。
「お前は、何を考えて戦っている」
アルトは、即答しなかった。
代わりに、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「今を終わらせることは、簡単だ。
だが、俺は、その先を考えている」
「その先?」
「斬り続けた先に、何が残るか」
エリオスは、眉をひそめる。
「魔族がいなければ、世界は平和になる」
「それは、誰が決めた」
鋭い問い。
だが、責める調子ではない。
「……神殿が。王家が。民が」
アルトは、視線をまっすぐ向けた。
「なら、聞こう。闇属性の人間は、どうなっている」
その言葉に、エリオスの心臓が跳ねた。
「……それは」
「知らない、か」
責めない。断定しない。
ただ、確認する。
「知らなくていいように、世界は作られている。
だが、知らないまま斬り続けるのは、本当に光か?」
エリオスは、言葉を失った。
脳裏に、説明できない違和感が、いくつも浮かぶ。
戦場で見た影。逃げる背中。記録に残らない存在。
絞り出すように言う。
「……光と闇が、交わる未来など、ありえない」
「今は、な」
アルトは、静かに返した。
「だから、俺たちは敵だ。
しかし、未来までそうである必要はないだろう」
エリオスは、拳を握る。
「……俺は、勇者だ。世界を守る役目がある。迷えば、光は曇る
だから、お前とはここで決別する」
アルトは、ゆっくりと頷いた。
「それでいい。今日、答えを出す必要はない。
だが、疑問は消すな」
結界が、静かに解除される。
「次に会う時は、剣を交えるだろう。
それでも今日の話を忘れるな」
アルト・ノクティスは、
何事もなかったかのように幕舎を出た。
夜の闇に、溶ける。
残された勇者エリオスは、一人、立ち尽くす。
(闇は、本当にすべてが悪なのか。
人間国は、すべてを見ているのか
俺は……何を守っている)
答えは出ない。
だが、光の中に、確かに影が生まれた。
それは、消せない。
この夜を境に、勇者エリオスは、
疑問を抱えたまま剣を振るう者となる。
そしてその疑問は、
やがて――
世界そのものを問い直す刃へと変わっていく。




