名前を与え直す
南部第三区画へ向かう道は、穏やかだった。
土を踏み固めただけの街道を、馬車がゆっくりと進む。
揺れは大きいが、危険はない。 遠くに見える集落も、まだ静かだ。
あまりにも、普通だった。
アルト・ノクティスは、その「普通さ」が逆に不気味だった。
戦場と同じだ。壊れる直前ほど、景色は何事もなかったように見える。
「ねえ、兄上」
第四王女が、窓の外を指差して声を弾ませた。
「畑、ちゃんと手入れされてるね。
南部って、もっと荒れてると思ってた。
川もきれいだよ」
第五王子が続ける。
「魚、いるかな。帰りに見られる?」
アルトは、わずかに口元を緩めた。
「……余裕があればな」
嘘ではない。だが、本心でもない。
この道の先で起きていることを、
この二人は、まだ何も知らない。
いや――知る必要のない形で生きてきた。
向かいの席で、ルシエルは静かに手を組んでいた。
外の景色を見ているが、視線はどこか遠い。
アルトは、彼女の横顔を見ながら考える。
(この子は、もう戻れない場所を知っている。
だから、あんな言葉が出てくる)
「……アルト様」
ルシエルが、ゆっくりと口を開いた。
声は小さいが、はっきりしている。
「私、分かっているんです。私は、たまたま運が良かっただけです。
生まれた場所が、少しだけ違った。
最初に見つけてくれた人が、少しだけ優しかった」
ルシエルは、胸元に手を当てる。
「それだけで、私は……生きています」
馬車の中の空気が、わずかに重くなる。
第四王女は口を開きかけて、閉じた。
第五王子は、何を言えばいいか分からず、床を見た。
ルシエルは、言葉を続ける。
「でも、次に生まれる“忌み子”が、同じ運を持つとは限りません。
だから……救いたいんです」
その言葉は、願いというより、結論だった。
「でもさ」
第五王子が、少し困ったように言う。
「どうして、そんなことになるの?
同じ魔物なのに」
第四王女も、小さく頷く。
「違うのは、ちょっと光が混じってるだけなのに」
ルシエルは、すぐには答えなかった。
その沈黙の間に、アルトは思考を巡らせる。
(ここだ。この疑問こそ、民が口にできない問いだ)
「“忌み子”という言葉が、最初から答えを決めてしまっているんです」
ルシエルは、静かに言った。
「生まれた瞬間に、不吉で、危険で、排除すべき存在だと。
だから誰も、その子自身を見ようとしない」
第四王女が、眉をひそめる。
「……でも決めないと、みんな怖いままじゃない?」
「ええ」
ルシエルは、否定しない。
「分からないものは、怖いです。
怖いから、石を投げます」
馬車の外から、遠く怒鳴り声が聞こえた。
弟妹の肩が、わずかに強張る。
「だから、意味を変える必要があるんです」
ルシエルは、言葉を強めた。
アルトは、思わず問い返す。
「どう変える?」
「“忌み子”は、災いを呼ぶ存在じゃありません。
光でも、闇でもない。境界に生まれた子です」
その瞬間、アルトの中で、何かが噛み合った。
(境界。光と闇の間、人と魔物の間
そして――俺が目指している場所)
ルシエルは続ける。
「境界は壊れやすくて、嫌われやすくて、守られにくい。
でも、両方を知れる場所でもあります」
第五王子が、目を見開く。
「じゃあ……悪い子じゃない?」
「悪くありません」
ルシエルは、はっきり言った。
「ただ、理解されていないだけです」
第四王女は、しばらく黙ってから言った。
「……でも、理解されないって、こんなに、怖いんだね」
その言葉に、アルトの胸が、僅かに痛んだ。
(見せてしまったな。だが、これを知らずに王になど、なれない)
馬車が、ゆっくりと減速する。
集落の入り口が見えた。
人だかり。荒い声。
投げ捨てられた石。
そこにいたのは、怯えて縮こまる、一人の子どもだった。
光が混じった魔力が、否応なく目を引く。
「……同じ、魔物なのに」
第五王子の声が、震えた。
第四王女は、何も言えなかった。
無邪気だった数刻前の表情は、どこにもない。
アルトは、馬車の扉に手をかけながら、静かに思う。
(ここからだ。言葉を、意味を、世界を――)
「……行こう」
短く告げる。
忌み子騒乱は、今、現実として始まった。
そして弟妹たちは、同じ種族が、同じ種族を憎む現場を、否応なく目にした。
それは、二度と忘れない光景になる。




