数字で量る姉
呼び出しは、戦の翌朝だった。
陽は出ているのに、部屋が暗い。
窓は大きいのに、光が入らないのではない。――入れていないのだ。
厚い布が、外の景色を「不要な情報」として遮っている。
第二王女の私室は、戦場とは別の意味で息が詰まった。
整然と並ぶ書架、綺麗に揃えられた書類、砂一粒の無い床。
血も泥もない。臭いもしない。それが逆に、戦の記憶を刺す。
机の上には、報告書が数枚。
数字が並び、線が引かれ、朱で丸が付いている。
人間が死んだ報告は、ここでは「数」になっていた。
「座りなさい、アルト」
第二王女は窓辺に立ったまま言った。
振り返らない。声だけが落ちる。労いはない。命令でもない。
当然の手順だ。
アルトは椅子に座り、背筋を伸ばす。
この部屋で姿勢を崩すのは、刃を握らずに喉を差し出すのに似ていた。
「戦、終わったようね」
ようね、という語尾だけが柔らかい。
中身は、硬い。
第二王女はゆっくり振り向いた。
目が、氷のようだった。怒りもない。喜びもない。
ただ観察と選別の目。
「死者二十三。重傷十七」
机の紙を指で叩く。乾いた音。
「この数字が、あなたの“初陣”の値」
アルトの胸の奥に、戦場の匂いが蘇る。
あの声。あの土。あの矢。
――だが、ここでは全部が数字に押し潰される。
第二王女は数字を読み上げながら、一切表情を変えない。
人間が、計算の単位でしかないのだ。
「第一王子は最前線で勝った。
あなたは丘の上で勝った」
言い方が、同じだった。
勝った、という語が同列で並ぶ。
「だから、あなたたち二人は“勝者”よ。
でも、勝者という肩書きは、価値が薄い」
アルトは、内心で噛みしめる。
(勝利を褒めない……当然か)
この女は、勝利が目的ではない。
勝利が続くかどうか――そこだけを見る。
そして、いまここで自分を呼んだ理由も、そこにある。
戦の結果を褒めたいのではない。
第一王子と第三王子を比較し、次の一手を決めたいのだ。
誰を伸ばすか。誰を潰すか。
あるいは――ぶつけて削り合わせるか。
「あなたは、何を学んだ?」
第二王女の問いは、短い。
“学んだか”ではない。
“何を”だ。
答えの形式まで、奪ってくる。
アルトは一瞬、言葉を探した。
(ここで感情を語れば、負ける。反省を並べれば、弱いと見なされる。
成果だけを誇れば、戦場の現実を見ていないと切られる)
盤面を組み直す。
この問いは確認ではない。
次の試金石の導線だ。
(姉は、俺に“条件付きで生き残る道”を提示する気だ。
そして、その条件は――俺の限界を測ること)
「戦場は、盤面じゃない」
アルトはそれだけ言う。
「当然」
第二王女は即座に返す。
「盤面は燃えない。叫ばない。逃げない。死なない。
兵は違う。兵は壊れる。折れる。混乱する」
だから――」
机の紙を一枚抜き取る。
そこには簡素な図。
補給路、中継拠点、戦線。
「質問」
第二王女は紙を差し出した。
「戦の最中に補給路が断たれたら、あなたはどうする?」
アルトは、図を見た瞬間に気づいた。
(補給路、断つ。戦場の勝敗じゃない――戦の継続条件を潰すやり方
これは……第一王子の戦い方を“制度で殺す”想定だ)
第二王女は、兄を試していない。
兄を殺せる形を、頭の中で作っている。
その上で、こちらにも同じ刃を当てている。
(――俺が国を作る気配を、まだ表に出していないのに。
それでも姉は、“続くかどうか”を先に見ている)
寒気がした。
「撤退」
アルトはまず最悪を口にする。わざとだ。撤退が正解ではないと分かっている。
だが、逃げ道を残したふりをしておく。
「不合格」
第二王女は即座に切った。
「それは第一王子の答え。
あなたまで同じ答えなら、あなたは要らない」
アルトは呼吸を整える。
思考が、戦場のときより速く回る。
(姉が欲しいのは“別解”だ。第一王子が力なら、俺には別の勝ち筋を示せと言っている)
だが別解は、綺麗事では通らない。姉は綺麗事を嫌う。
数字で語れないものを切り捨てる。
「補給路が断たれたまま、続ける前提で動く。前線を固定し、兵の消耗を抑える。現地調達と備蓄回収に切り替える」
「現地調達?」
第二王女の声が、少しだけ低くなる。
「民を食わせる分を奪うの?」
試している。この女は、倫理を問うふりをして、実務の覚悟を測っている。
アルトは、はっきり答える。
「奪わない。守る」
「どうやって」
詰める。一歩も譲らない詰問。
「地で、備蓄庫の位置を隠す。
水で、井戸と流れを確保する。
火で、焼き討ちの連鎖を断つ。
そして――」
アルトは、一拍置いた。
(ここだ。姉が見たいのは、最後の一手。戦場の勝利ではなく、“終わらせ方”)
「敵の目的を折る。戦果が得られない戦場にする。逃げ道は残し、退かせる」
第二王女は数秒、黙った。評価ではない。計算だ。
その沈黙が、最も怖い。
「第一王子は、敵を潰す。
あなたは、敵の理由を潰す」
視線が、冷たく刺さる。
「……面白い」
だが、その“面白い”に温度はない。
虫の動きを観察する学者が言う「面白い」だ。
第二王女は、すぐに続けた。
「でも、机上ならね」
「質問、二」
紙をもう一枚出す。
今度は文字だけ。箇条書き。
「混乱。誤報。味方の恐怖。命令の遅延。指揮官の負傷。
この状況で、さっきの判断ができる?」
アルトは答えかけて、やめた。
(“できる”と言えば、軽い。“できない”と言えば、終わる
姉が欲しいのは、実行可能性=仕組みだ)
「俺一人でやらない。判断を分散する」
「分散?」
第二王女は眉一つ動かさない。
「責任逃れ?」
冷たい。
わざと誤解した言い方で、追い詰める。
アルトは、言葉を選ぶ。
(責任を逃げない。だが、判断は一人に集めない。
ここを誤れば、姉は“使えない”と切る)
「責任は俺が持つ」
アルトは先に置く。
「だが、情報処理は俺の頭だけでは足りない。
レオンに伝達系統を一本化させる。
グランには“地形を変えた後の危険”まで含めた基準を作る。
セフィラには“止める水”だけでなく“逃がす水”を設計させる。
俺が倒れても、同じ思想で動ける形にする」
第二王女は、じっとアルトを見つめた。
目が、まるで秤だ。感情ではなく、重さを量っている。
「……なるほど」
ようやく、短い肯定。
だが、すぐに切り込む。
「あなたは危険ね、アルト。
第一王子は、制御できる。力は分かりやすいから。
でもあなたは、制御できない」
アルトの背筋に冷たいものが走る。
(姉は、俺を“育てる”気がない)
(制御できないなら――壊すか、飼うか、ぶつけて削る)
第二王女は、淡々と結論を言った。
「だから、あなたには試練が必要。私が納得できる形で、あなたは“機能”を証明しなさい」
次は、もっと厄介な問題を投げるわ。人が死なない形で、ね」
最後の一言が、最も冷酷だった。
人が死なない形で。
つまり、死ななければ学ばない者は価値がない、という意味にも聞こえる。
扉が閉まる。
アルトは、その場に残された。
剣を突きつけられたわけではない。
だが、喉元に刃がある感覚が消えない。
(姉は、兄を嫌っているわけじゃない。俺を嫌っているわけでもない。
ただ、数字で量っているだけだ)
アルトは、ゆっくりと息を吐いた。
戦場の恐怖とは違う種類の疲労が、内側に溜まっていく。
だが同時に、頭の奥が冴えていく。
小さく呟く。
「来いよ」
試金石は、形を変えた。
血と泥の重さではなく、思考と決断の重さで、王を量りに来ている。
そして、それを投げてくる相手は――感情では動かない。
数字でしか、人を見ない姉だ。




