表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年王国計画 〜第三王子による長期国家運営録〜  作者:
人材確保編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

23/65

名のない裁定

 その記録は、意図的に消されたものではなく、むしろ最初から「書かれなかったもの」として、長い時間の中に静かに沈んでいた。


 却下、差し戻し、保留――

 本来であれば必ず判断者の名と共に残るはずの裁定が、なぜかそれだけは空白のまま、理由だけを淡々と記し、まるで「誰かが止めた」という事実そのものを当然の前提として扱っている。


「……妙ですね」

 古い帳簿をめくりながら、レオンは指先で紙の端を押さえ、視線を落としたまま、しかし確信を含んだ声でそう呟いた。


「この案件、かなり早い段階で止められていますし、判断としても正確です。

 それなのに、署名がありません」


 アルトは机の向こう側から帳簿を見下ろし、その空白が偶然ではなく、意図を持って放置されていることを直感的に理解していた。


「消されたんじゃないのか」


「いえ」

 レオンは首を横に振る。その動きは小さいが、迷いはない。


「消された形跡がありません。書き忘れでもない。これは……名を残さないことを前提にした裁定です」


 その言葉に、部屋の空気がわずかに張り詰めた。


 却下された案件は一つではなかった。

 年代も、部署も、扱っている問題の性質も異なるにもかかわらず、共通しているのは「もし進んでいれば、後に必ず大きな歪みを生んでいた」という一点だけであり、それを最初に見抜いて止めている者が、どこにも記されていないという事実だった。


「……評価されていないな」

 アルトの言葉は、確認というより感想に近かった。


「はい」

 レオンは淡々と肯定する。


「功績として扱われた形跡が一切ありませんし、止められた側も、後から異議を唱えた記録がない。正しすぎて、反論する理由がなかったのでしょう」


 それは、最も厄介な在り方だった。


 正しいが、目立たない。

 機能しているが、称賛されない。


 火のように成果を誇らず、地のように形を残さず、水のように感謝もされない。

 ただ、動かさなかった。


「どこにいる」

 アルトが低く問う。


「分かりません」

 レオンは即答した。


「所属が一定しません。役職も固定されていない。

 必要な場所にだけ現れ、案件が終われば、痕跡を残さず消えているように見えます」


 アルトは背もたれに体を預け、天井を仰いだ。


 風だ、と即座に理解する。

 形を持たず、留まらず、しかし確実に全体へ影響を与え、

 通り過ぎたあとにだけ「助かった理由」が残る存在。


「……評価されることを、求めていない」

 それは問いではなかった。


「ええ」

 レオンは小さく頷く。


「評価されること自体が、足枷になると理解しているのでしょう。

 組織に属すれば、判断は鈍る。名を持てば、裁量は縛られる」


 ルシエルは、その話を聞きながら、胸の奥が静かにざわつくのを感じていた。


 光は、照らすことで存在を主張してしまう。

 だがその人物は、照らされることすら避けている。


「……この人は」

 思わず零れた声は、独り言に近かった。


「自由なんですね」


 アルトは、ゆっくりと立ち上がった。


「自由であることを、選び続けている」


 名を持たず、属さず、評価も拒み、それでも国全体を見て止め続ける――それは、誰にでもできることではない。


「探すのは、無理だな」

 アルトの言葉に、レオンは苦笑する。


「ええ。探せば、風ではなくなります」

 短い沈黙。


 そして。


「……なら」

 ルシエルが、そっと言った。


「通るのを、待つんですか」


 その瞬間、アルトの表情がわずかに変わった。


 それは納得でも、諦めでもない。

 正解に触れたときの、静かな手応えだった。


「そうだ」

 アルトは頷く。


「捕まえない。囲わない。縛らない」

 それができなければ、この風は決して力にならない。


 名のない裁定。記録に残らない功績。

 それでも、この国を何度も救ってきた存在が、確かにどこかにいる。


 アルト・ノクティスは初めて、「人材を集める」という発想そのものを疑い始めていた。

 最後に必要なのは、力ではない。


 自由を受け入れられるだけの器かどうか――

 それを試されているのだと。その記録は、意図的に消されたものではなく、

 むしろ最初から「書かれなかったもの」として、長い時間の中に静かに沈んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ