TS、ラブホ前まで連行される 3
ラブホを目の当たりにして、オレはごくりと唾を飲んだ。迷ってこんな所に来てしまうとは、不覚。
「あ、あのさ、河合。そのカフェってまだなの?」
「あ、ごめーん。道に迷ったみたい。本当は、シブヤホテルの中にあるカフェなんだけど、通り過ぎちゃったみたーい」
「あ、そうなんだ。なら、来た道を戻ればいいだけだな」
回れ右すると、河合がガシッとオレの襟首を掴んだ。
「な、なにかなー、河合」
恐る恐る振り向いてみる。
「ねぇ、お茶。ここでしていかない? きっと部屋の冷蔵庫とかあって、飲み物とかも置いてあるかもよー」
「ここって……いや、ラブホで!?」
「うん!」
河合は、ニコニコ顔で答える。
「いやいやいや。飲み物飲みたいなら、カフェに行こうって。なんなら、そこらの自販機で缶ジュース買ってもいい訳だし」
「疲れた」
「はい?」
「疲れたー。もう私、歩けない。あ る け な い ー」
河合は、地団駄を踏んでいる。いや、それだけ元気があれば、普通に歩けるだろ。
「そんな訳で拓巳くん。さぁ、レッツゴー」
河合は、オレの手を取り、強引に引っ張る。
「いや、だからちょっと待てって。そもそも、こんなことになるとか聞いてないし。第一、心の準備が!」
「私も心の準備なんて、出来てないよ。だって、まだヴァージンだし!」
「オレだって、童貞だよ! いや、違う。処女だよ」
「じゃあ、何よ! この私が恥を忍んで、勇気を出して、ここまで来たっていうのに。何が嫌っていうのよ?」
河合は、大声を出した。そうか……コイツ、ヴァージンだから、必死だったんだ。だから、スマートな誘い方ではなく、こんな強引に。
「い、いや、それでもちょっと待てくれ。正直、あの河合が、ここまでオレを慕ってくれるとか、素直に嬉しい。だけど、オレも女でだなぁ」
「そりゃそうよ。一目瞭然じゃない」
「いや、だからまてって。そこが、ポイントじゃなくてだなぁ。――いや、重要なポイントではあるんだけど、一旦置いておいて。仮に、仮にだよ。もし、オレが突然男に戻ったら、どうすんだよ? それでも、出来るのか、お前?」
「そうね……けど、そんなこと考えもしなかったから、ちょっとだけ時間頂戴」
河合は、深く考えた……のも、僅か十秒程度。そこから即答。
「銀髪美形の男の娘も、有りかも。それはそれでエモいわ」
いや、待て。それじゃあ、どっちに転んでも、オレの貞操がヤバくないか……
顔面から血の気が引いた。
「さぁ、そんなわけで、突撃しましょ! もう私の情熱は、止められないんだから!」
河合がまた手を握ってきた。けど、今回はオレも強めに握り返す。
「ちょ、痛いよ、拓巳くん」
「盛り上がっているとこ悪いが、冷静になってくれ。やっぱオレ、心の準備とか色んなことが、まだだわ。それにさ、河合もまだなんだろ? お前の手、震えてるじゃないか」
「っ!」
河合は、手を離した。そして、小刻みに身体を震わした。
いつもは強気な河合であっても、ヴァージンなのだ。そして、オレも。
初体験というものは、それ程までに重く、意義のあるもの。その上、大事なのである。少なくとも、勢いや短絡的な思考で、捨てていいものではないはず。
「だからさ、今日のところは、河合お勧めのカフェに行こうよ。ね?」
無理して笑顔を作ると、河合はこくりと頷いた。それから、二人で来た道を戻っていく。
河合は、虚勢を張っていたせいか、まだ身体を震わせていた。オレは、彼女の手をキュッと握った。
空を見上げると、まだ明るかった。初夏の陽は、長い。
そう、焦らずに。河合もオレも、ゆっくりと進んでいけばいい。この夏の長い一日のように。




