いきなりTSする
7月初旬。うだるような暑さ中、昼休み中に臨時の校内放送が始まった。
「こ、こここ光化学スモッグが発生しました! 直ちに窓を閉めてください! 吸い込むと性別が変わる可能性があります! 繰り返します、性別が変わる可能性があります!」
放送委員の声は、切迫していた。 なんだそりゃと、オレは笑い飛ばす。
――いや、そういう現象があることは、分かっている。昨日もそのニュースを見たばかりだし。WHOの理事だかが、真顔で語っていた。
だが、スモッグを浴びたところで、TSする確率は僅か百万分の一。つまるところ、他人事なのだ。それが証拠に、クラスでも失笑が起きている始末。
「おー、例のTSパンデミックってやつか。どれどれ、窓を開けてみようぜー」
お調子者の馬場が窓を開け放った。すると、夏の熱気が入ってきて、クラス中から「閉めろ、このバカ!」との怒声が飛ぶ。
奴が渋々と窓に手をかけたところで、異様な臭いがクラスに入ってきた。喉の奥に絡みつく空気。これは、光化学スモッグに違いない。
「あ、あれ……?」
まずは咳き込んだ。
「お、おい、拓巳? 大丈夫かよ?」
友人の浩一が、心配顔をしている。奴も喉がイガイガするのか、咳払いした。クラスの何人かが、同じように咳をしている。
「あ、ああああ……熱い。身体が熱い!」
他の連中は咳止まりだったが、オレは弁当の乗った机をひっくり返し、床に倒れ込んだ。
「熱い……胸が、それに股間がーーー!」
苦痛に満ちた声を上げると、教室がざわめく。
「お、おい、これって……」
「あ、ああ。TSパンデミックかも……」
「性別が変わっちゃうかもっ!」
教室は、一気にパニックになり、皆が我先に教室から逃げ出した。
「た、助けて……オレはTSなんかしたくないんだ! オレは……オレは、甲子園に行きたいんだー!」
叫んでも、誰も戻ってこない。扉越しに様子をうかがうだけ。
それから5分ほどが過ぎた頃。 スモッグが晴れたのか、クラスの連中がぞろぞろと戻ってきた。
「お、おい、拓巳」
「ああ、浩二。丈夫だ、もう苦しくないし」
「いや、そうじゃなくてだなぁ」
浩二は、わなわなと指を震わせ、俺の顔を指差す。
「お、お前。銀髪の北欧系美少女になってるぞ……」
「は?」
「いや、だから……って、ええい。誰か鏡持ってないか?」
「あ、ウチ持ってる。コンパクトで良ければ」
ギャルの中曽根が駆け寄ってきて、オレにコンパクトケースを手渡してくれた。コンパクトを開き、鏡に映った自分の顔に仰天する。
確かにそこにいた。銀髪の北欧系美少女のオレが。
銀髪は陽光を受けて輝き、瞳はターコイズのような藍色。 顔の彫りが深く、鼻筋は一本に通っている。唇は桃色にすぼまり、肌は抜けるように白い。美白。
「なんじゃこりゃあああああ」
思わず絶叫してしまう。
いや、待てって。スポーツ刈りだったオレは、どこへ?
あまりのショックに、改めて絶叫しようとした時――代わりに、河合紗英が声を上げた。
「この私以上の美貌だなんて……!」
河合はわなわなと震えていた。そして、こちらを見据える。 あの氷の女王が、動揺していた。
それから、彼女は、豊満な胸をバインバインと揺らし、床に尻をつけたままのオレに抱きついてきた。
「拓巳くんってば、美し過ぎるー。激推しマブラブー!」
おいバカ。抱きしめるの止めろ。お前の巨乳が顔面に。窒息するっ! それに、オレの股間が――いや、もうなかった(白目)
クラスの男子たちは、その様子を見て、ぽかんと口を開けた。
それも無理はない。河合は、氷の女王と呼ばれていた。 彼女は美貌のため、どうしても冷たい印象を受ける。ひと睨みもすれば、教室を絶対零度に変えるほどだった。
だが、今はこの有様。河合はオレを抱きしめ、豊満な乳がオレの顔面に当たっている。本来、男子たちは、羨望の眼差しをオレに向けてくるはずだったが、そんなことすら出来ずに、ただただ呆然としていた。
それを契機に、4、5人の女子達が駆け寄ってきて、オレを取り囲む。
「きれーい。私、友達になりたい」
「それな」
「拓巳くん、パナいって!」
「それすぎて泣ける」
「きゃー、拓巳くん。こっち向いてー」
「尊い」
いつの間にか女子達の輪ができる。その中心にいるのは、オレ。北欧系美少女になったオレだ。
野球小僧で、汗くさかったオレが、百合の花園にいる、だと⋯⋯
状況が把握出来ず、ただただ唖然とした。




