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第98話 臆病者の輪舞

 琥珀宮(こはくきゅう)への道をイグナシオとルナリアはしっかりと手を繋いで歩いていた。指先から互いの熱を感じつつも、緊張した二人は言葉を交わす様子はない。


 ローゼンブルク城の西側に位置する琥珀宮はマルガレタ第二側妃を主人とする宮で、マルガレタの子であるアヴェルとルナリアも共に琥珀宮に居住している。

 

 それにしてもなぜだろう。

 すれ違う使用人たちが、何だかとても生温かい視線を向けてくるような……。


 イグナシオは訝しんだ。


 これまで自分がこんな風に注目されることはなかったのに、これもやはりルナリア殿下と婚約した効果なのか?


 そりゃそうか。ルナリア殿下は一国の王女。

 しかもあの様子じゃ、国王から一番可愛がられている末娘。

 ……だからだ。だからますます、わからない。


「あ、あのイグナシオ様。もう少しだけゆっくりと歩きませんか」


 不意に聞こえたルナリアの天使の歌声のような声に、イグナシオは現実へと引き戻された。

 どうやらイグナシオは考え事に集中しすぎてルナリアのことを忘れ、自分の歩幅で歩いてしまっていたらしい。


「あっ、すみません。ルナリア殿下」


 気付いたイグナシオはすぐに繋いでいた手を離そうとするが、今度は逆にルナリアからギュッと握られてしまった。


「あっ! ち、違うのです。手は握ったままで、もう少しだけゆっくり歩きましょう」

「は、はい……」


 か細い少女のような声でイグナシオが返事をすると、二人は言葉を発することなく歩みを進める。

 イグナシオは格好をつけて沈黙を貫いているわけではなく、ルナリアにどう話しかけようか思考を巡らせていた。


 あーでもない、こうでもない。

 いっそのこと天気の話から始めようかと思い立った時、ルナリアが遠慮がちに口を開いた。近くの木々が風でそよめく中、ルナリアはイグナシオを上目遣いで覗き込む。


「あの、先ほどはアヴィ兄様のことで助言をくださってありがとうございました」

「え、いえ……偉そうに言いましたが、あれは私の勝手な想像ですし、お礼を言われるようなことでは」

「いいえ、そんなことありません……わたくしとお母様は、閉じこもるアヴィ兄様を傷つけないように、まるで腫れ物を扱うように接していました。だからアヴィ兄様のためと、マーお姉様に知られないように気を付けていたのです」

「…………」


 イグナシオは頷くこともなく、ただ無言でルナリアの言葉に耳を傾けている。

 たどたどしくではあるが、ルナリアはゆっくりと言葉を紡いでいく。


「でもイグナシオ様のお話を聞いて、アヴィ兄様はマーお姉様と話すことで元気を取り戻せるって、そう思いました。イグナシオ様は人の心を汲み取ることがお上手なのですね」

「……そんなわけないですよ」


 渦中の人物と話すと意外とすっきりする。

 これは単に俺も従者のサイラスがいなくなると勘違いして、閉じこもった時の経験則だ。

 ……本当は臆病者のクセに人を選んで強がる俺。だから少しばかり人の心に敏感なだけだ。


 俺なんて―――。



 イグナシオの足がピタリと止まった。

 手を繋いでいるルナリアも足を止め、不思議そうにイグナシオの顔を見上げる。

 目を細めて眉をハの字にしたイグナシオは、この世の終わりのような悲痛な表情を浮かべていた。


「イグナシオ様!?」

「心を汲み取るなんてできるはずありません……だって私は、私を選んだあなたの心がまるでわからないのです! どうしてあなたのような誰からも愛される王女様が私なんかと婚約なんて……もし陛下の言うとおり、母たちに気を遣ったのなら今からでも間違いだったと、さっき書いた婚約誓約書を破ればまだ間に合っ」

「そんなこと言わないでくださいっ‼」


 瞳に涙を溜めたルナリアは、これまで生きてきた中で一番大きな声を出してイグナシオの言葉を遮った。


「わたくしが婚約したのは、イグナシオ様を好きだから……それ以外ないに決まっているではありませんかっ!」

「そこがわからないのです。なぜ私なのでしょうか。妹のような賜物(カリスマ)もない、突出した才能もない私なんて……」


 悲しみで顔を歪めるイグナシオの感情を否定するように、ルナリアは首を小刻みに横に振るとにっこりと微笑みかける。


「……わたくしは、イグナシオ様のことを考えるだけで心がポカポカ温かくなるんですよ。だってイグナシオ様はわたくしが四歳の頃からお慕いしている方なんですから」

「四歳の頃から?」

「はい、四歳らしいです。フェルディナンドお兄様がそうおっしゃっていました」

「え……ええっ!? フェルディナンドお兄様ってフェルディナンド第一王子、殿下のことですか?」

「はい。フェルディナンドお兄様のことですけど……何か?」


 首を傾げてこちらを見つめるルナリアの言葉は、イグナシオの頭をぐちゃぐちゃにかき乱した。


 どういうことだ? よくわからない。

 ルナリア殿下は俺のことを四歳から好きで、そのことを教えてくれたのがフェルディナンド殿下?

 フェルディナンド殿下って、病弱で人前に滅多に出てこないという通称『幻の王子』のことだろ。当たり前だが、俺も一度も会ったことがない。

 そんな人がどうして俺のことを知ってるんだ?


 イグナシオの疑念を察したルナリアは、イグナシオの手を強く握り締めると優しく語り出した。


「フェルディナンドお兄様はお身体をお崩しになることが多い方で、天藍宮(てんらんぐう)からお出になることはほとんどありませんが、わたくしはよく遊びに行ってお話をするのです。


 フェルディナンドお兄様とは十ニ歳離れていますけど、とっても仲良しでわたくしの相談にも乗ってくださいます。


 マーお姉様とゼファーお兄様の婚約が決まってすぐ、アヴィ兄様もお母様も塞ぎ込んでしまって……一人ではどうすることもできなかったわたくしは、フェルディナンドお兄様に相談しました」


 すると優しく語っていたルナリアは、突然瞳をキラキラと瞬かせて花火のように声を弾ませる。


「そうしたら今まで知らなかったのですが、わたくしがイグナシオ様のことを好きだってことに気付いちゃったんです!」


 ふむふむ、なるほど。

 ルナリアの熱意は伝わってくるが、やっぱり意味がわからない。

 呆気にとられ、眉を寄せたイグナシオは小首を捻る。


「……え? それはどういう?」

「で、ですから―――」


 ルナリアは頬をほのかに染めて、恥じらいを帯びた声で語り出した。


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