第97話 行き過ぎた対抗心
「馬鹿だなマーガレット。アヴェル殿下はお前に会いたいと思ってるだろ!」
さも当然のようにイグナシオがアヴェルの感情を断言すると、マーガレットは「……え?」と間の抜けた返事をした。マーガレットの戸惑った表情がお気に召したらしいイグナシオは「やれやれ」とため息も漏らしながら、つらつらと語り出す。
「はーあ。お前、そんなこともわからないのか。アヴェル殿下はお前が自分以外と婚約したことを信じたくなくて現実逃避しているんだ。残念ながら、お前の婚約は王命だから解消できない。でもこの婚約は王命でお前の意思はないって、お前の口から直接殿下に伝えるんだ。そしたらきっと、殿下は元気になって部屋から出てくるぞ……どうした?」
ポカンと口を開けてこちらを見つめるマーガレットの瞳に、イグナシオは妙な違和感を感じた。珍しい妖精でも見たように呆然としていたマーガレットは、息を吹き返したように顔を緩めると笑みをこぼす。
「イグナシオお兄様って、実はものすごく繊細な人よね」
「んなっ、どういう意味だ。俺が弱弱しいって意味か!?」
「そんなこと言ってないわよ……もうっ、何でそうすぐ食ってかかるの!」
互いに睨み合う兄妹の様子を、ルナリアは頬を薔薇色に紅潮させて嬉しそうに眺めている。そして、あの日一歩踏み出してイグナシオにプロポーズしてよかったと幸せを噛みしめると、この兄妹の噛み合わない会話に補足を試み始めた。
「イグナシオ様。あの、マーお姉様はきっと……イグナシオ様は人の心に寄り添えるとってもお優しくて素敵な方だと仰りたいのですよ」
「え……そうなのか、マーガレット?」
「あ―――~……うん。だいたいそんな感じ」
「……本当か?」
疑念を拭い切れないイグナシオは、眉を潜めてマーガレットを凝視している。
凝視されたマーガレットはちょっぴり照れていることを悟られないように、セルゲイの後ろへと隠れて声を張り上げた。
「お兄様とルナリアは先に琥珀宮に行ってちょうだい。私はお父様とお話があるから」
「おい、お前。勝手に決め」
詰め寄ってきたイグナシオに、マーガレットはこっそりと耳打ちした。
「もうお兄様ったら、せっかくルナリアと二人きりでお話しする機会なのよ。ルナリアに聞きたいことがあるんじゃないの、どうなのお兄様?」
「そ、それは……」
セルゲイの足元でこそこそと話す二人の声は、ルナリアには聞こえなかった。
しかしその二人の内緒話がとても楽しそうに映ったルナリアはゆっくりと近寄ってくる。
「あのお二人とも、わたくしも仲間に入れてくださいませんか」
「うぉぉっと、ルナリア殿下。な、仲間に入るような話ではないですよー……それよりも私たちは先に琥珀宮に行きましょう。じゃあ先に行ってるからなマーガレット、早く来いよ」
ルナリアには羽根を触るように優しく、マーガレットには石でも砕くように厳しく言い捨てたイグナシオは、ルナリアの手を握ってそのまま琥珀宮へと向かった。
婚約したばかりの二人の背中をマーガレットとセルゲイはひらひらと手を振って見送った。手を振りながら話を切り出したのは、セルゲイだ。
「それで僕と話したいことって何かな、マーガレット?」
「ふふ。実は特にないの。イグナシオお兄様とルナリアには二人で話す時間が必要だと思ったから、嘘を吐いちゃった」
「まあ、そうだろうとは思ったけど……マーガレットも大変なのにイグナシオのことにまで気を回させてすまないね」
振っていた手を止め、セルゲイは今度はマーガレットの頭を優しく撫で始めた。
マーガレットも嫌がる素振りもなく、楽しそうに話を続ける。
「別に大したことじゃないわ。ルナリアとの婚約が決まってからのお兄様はいつもの強がりがなくなっていたから、きっと余裕がなくなっているんだと思ったの。それで二人で話し合えば見えてくるものもあるかもと思って……なので、あとは若い二人におまかせして」
「はは、マーガレットも十分若いと思うのだが……そういえばマーガレット自身はどうしてゼファー殿下がマーガレットを選んだのか、わかるのかい?」
まるで流れ星のようなスピードで決まってしまった娘の婚約に違和感を拭えないセルゲイは、糸口を見つけるべく娘に問いかけたが、当のマーガレットは首を捻っている。
「……さあ? まったくわからない」
「その割には、イグナシオと違って余裕があるように見えるが」
「あー。それはね、殿下は私を『猫』か何かと思って婚約したんじゃないかと思ったの。だから、その内これじゃないって気付いて婚約破棄するんじゃないかしら。できれば破棄ではなく、円満に解消に持ち込みたいけど……その時はご助力くださいね、お父様…………あ、私もそろそろ行ってくるわ。お父様もお仕事頑張ってくださいな」
何の不満もないように意気揚々と走り出したマーガレットは、セルゲイに手を振りながら駆けていく。
そんな娘を見送りながら、セルゲイはボソリと呟いた。
「僕にはゼファー殿下は婚約破棄するとは思えないほど、マーガレットに入れ込んでいるように見えたが……」
セルゲイはふと、先程のゼファーがマーガレットの頬にくちづけして別れた瞬間を思い出した。
あの時ゼファー殿下は、確かに僕を睨みつけた。
その前に僕がマーガレットの頬にキスしたからなのか?
もしマーガレットの父親である僕にまで対抗心を燃やしているのなら、相当嫉妬深いぞ。
「はあ~。先が思いやられる」
前途多難な娘の婚約に、父は深くため息を吐いた。