第95話 沈黙という反抗
「次は『我が愛娘ルナリア』と婚約したイグナシオオラシオ・フランツィスカに問おう」
「は、はい」
声を裏返しながら食い気味に返事したイグナシオに、国王は下卑た笑みを浮かべる。
「ルナリアと其方は、アヴェルとマーガレット嬢の代わりに婚約したようなものだが、其方自身はどう考える?」
それは、国王の言うとおりだ……というのがイグナシオの正直な答えだ。
この婚約は母たちの約束のための婚約だと、俺はそう思っている。
しかし、この返答ではルナリア殿下の立場を悪くする。それに、きっと悲しませてしまうだろう。そんな気がした。
この前の温室でのキ、キスの件で、ルナリア殿下がもしかしたら本当に自分のことを少なからず好いているかもと、そう思ってしまったのだ。
――ずっとお慕いしておりました――
俺は、ルナリア殿下のあの時の言葉を信じたいのだろうか。
イグナシオの頭の中はグルグルと回り続け、糸のように絡まっていく。考えれば考えるほど糸は縺れ、声を飲み込んでしまう。
―静かな沈黙が流れた。
イグナシオは視線を床に落とし、頑なに口を閉ざした。
対するエドワード国王は、粘つくような視線をイグナシオの頭上に這わせる。くちびるに僅かな笑みを浮かべたエドワード国王は、イグナシオの沈黙を許さなかった。
「どうした。なぜ黙っている。其方は口を失くしてしまったのか?」
「…………」
国王に促されてもイグナシオは言葉を発することはなかった。
わからない。俺はどうするのが正解なんだ。
俺だってマーガレットみたいに一発かましてやりたい。
でも俺にはあんな後先考えない方法は、恐くてできやしない。クソっ。
父・セルゲイもイグナシオを助けようとあれこれと話題を変えようと試みるが、それでも国王の挑発は止まらなかった。
「ふんっ。こんなことも答えられないのか。愚か者が! そんな者に私の可愛いルナリアを嫁がせるわけにはムゴッ!?」
イグナシオを攻撃していた国王の憎ったらしい口が、小さな手によって封じられる。封じたのは、淡い紫色の瞳を涙で潤ませて国王を睨みつけているルナリアだった。
「お父様。それ以上わたくしのイグナシオ様をいじめるのなら、いくらお父様でも許しはしません」
「おお、そんなに怒らないでくれルナリア。私はお前のことを心配してだな。マルガレタがお前に断りもなしに無理矢理婚約させたと思ったのだ」
「そんなわけありません! お母様は関係ないです。だって……わたくしのほうからイグナシオ様にお慕いしていると告白しましたのに。わたくしを助けてくださったイグナシオ様が格好良くて、ついプロポーズしてしまったのです////」
ルナリアの発言で冷たく重い雰囲気だった謁見の間が、一気に甘酸っぱい空気へと変化した。
あ、騎士の肩に蝶々。ここはお花畑か……。
呆気に取られたマーガレット、セルゲイ、ゼファー、そして臣下や騎士たちは目が点になっている。そのお花畑に慌てたのはエドワード国王だ。
「なぬ! ルナリアから結婚を申し込んだのか!? そ、それは知らなかった。マルガレタは何も話してくれなかったからなあ。ふむ、それならば良い。ルナリアが好いた相手なら私も全力で応援しよう……イグナシオよ。これまでの責めは父としてのその、とにかくすまなかった」
あの国王が子供に謝った!?
突然の出来事に側近や騎士たちは、胸の奥で言葉にならない驚愕の叫びを上げていた。子供に対しても容赦のない国王といえど、末娘のルナリアにはめっぽう弱いようだ。
「そうかそうか。好意を寄せる相手をその若さで捕まえた可愛いルナリアには、ご褒美を与えなくてはな。何か欲しいものはあるかい、ルナリア?」
「……では、わたくしと同じようにイグナシオ様にも優しくしてください」
「ん、んん――? そのお願い以外で何かないかな」
「ありません」
「そこを何とか」
互いに譲らぬ父娘の押し問答は、打ち寄せる波のように繰り返している。その膠着状態に痺れを切らしたように、エドワード国王の背後からヒールの靴音が響く。
「いい加減にしたらいかがですか、エドワード様」
マーガレットたちフランツィスカ家の人間にとっても、聞き覚えのある柔らかく優しげな声。しかしいつもより声のトーンが暗く、怒っているように聞こえるのはなぜだろう。
その声にビクッと身体を跳ねさせたのはエドワード国王だった。
「マッ、マルガレタ!? 今日は休むのではなかったのか」
「あら、娘の婚約式に母親が顔を出してはいけませんか。何をそんなに怯えているのです? まさかとは思いますが……エドワード様は私がいないと思って自分勝手な逆恨みでレイティスの子供たちをいじめていたのでは、ないでしょうね?」
「い、いや」
「終いにはルナリアの可愛い願いも無下にしようとしていませんでしたか。一体何をしているのです……エドワード?」
「あっ、えと」
「あ」とか「う」とか言いながらエドワード国王は、高貴な紫色の瞳を泳がせている。その泳いだ視線の先に、今度は眉を吊り上げたルナリアがいて
「お父様、国王に二言はありませんよね?」と冷たい笑顔を浮かべて圧をかける。
妻と娘のダブルアタックに、流石の国王も観念した。
「…………わかった。イグナシオよ、ルナリアの願い通り、其方は私の第四の息子のように扱おうではないか。私とマルガレタのように、ルナリアと仲良く愛を育むのだぞ」
「は、はい」
イグナシオの返事を聞き届けたエドワード国王は、「これでいいだろう?」という表情で赦しを乞うように妻と娘を見つめる。しかしすぐに何かを思い出し、イグナシオを睨みつけた。
「ただし、私のルナリアを泣かせるようなことは許さぬぞ。もし他の女に現を抜かしたら」
「お父様‼」
「エドワード様!」
「二人ともそう怒るな……正直な話、可愛いルナリアを外に出さなくてすんだのは幸運だ」
ルナリアは猛々しく威嚇しているつもりだが、傍目には小さな仔猫の可愛らしい威嚇にしか見えない。そんなルナリアの頭を撫でながら、エドワードは父親としての顔をちらりと覗かせる。
国王の言う「外」というのは、ローゼンブルク王国以外の外国のことだろう。
ローゼンブルクでは、王女は国と国との繋がりのために外国に嫁ぐことが多い。
ルナリアの一番上の姉はすでに隣国へと嫁いでいるし、二番目の姉も他国の貴族と婚約していて、いずれ嫁ぐことが決まっている。
エドワードはルナリアの頭を撫でる手を止めると、真剣な眼差しでイグナシオを見据えた。
「イグナシオよ。其方は将来フランツィスカ公爵となる身だ。ルナリアが嫁ぐに申し分ない家柄なのは認めよう。ルナリアが惚れこんだ其方なら、きっと立派な公爵となるだろう。だからもう少し自信を持て。とりあえず、私の問いに反論するくらいに精進してみなさい」
「はい。ち、力の限り尽くすと誓います!」
「ん、ふはは。力の限りか……よい返事だ」
その後、婚約式を終え、マーガレットたちの国王との謁見は何とか無事に終了した。