第89話 国王からの書状
応接室にて。
朱色の革張りの椅子に腰かけ、屋敷の主のように寛いで余裕を見せるゼファーと対峙するのは、同じく椅子に腰かけた本当の屋敷の主・セルゲイだ。
その後ろで怪訝な顔をしたレイティスとマルガレタは、席に座ることも忘れて立ったまま、ゼファーを睨みつけている。
十六歳で大人三人を相手に堂々とした態度でいるのは少々不気味ではあるが、流石は将来を嘱望されている第二王子というところか。
ゼファーがミュシャに目配せすると、ミュシャは大事そうに持っていた丸筒に入った書状をセルゲイのもとへと仰々しく運んでいく。
受け取ったセルゲイが書状を確認すると、その内容に目を疑った。
書状の中央には――
『我が息子 ゼファー・ローゼンブルク第二王子とマーガレット・フランツィスカ侯爵令嬢の婚約を結ぶことを盟約する』
――と記されており、その文面の上部にははっきりと『国王命令』と書かれていた。王家の証明である薔薇の王印までしっかりと押されている。
国王命令、つまり『王命』とは王が下した、または国が決めた逆らえない公的な命令のことを指す。
その王命に背くということは国家反逆の汚名となり、拘束される可能性もあるうえに罪状によっては処刑もあり得るだろう。
つまり、この婚約は絶対に断ることができない婚約なのである。
セルゲイの背後から書状を覗き込んだレイティスとマルガレタも声を失っている。
三人の様子を確認したゼファーは「父がフランツィスカ卿と夫人によろしくと仰っていました」と付け加えた。
満足気な笑みを浮かべたゼファーの背後に、にんまりと笑っているエドワード国王の姿が浮かぶ。
レイティスは思った。これは『復讐』なのだと。
あのムカつく小賢しい陰険国王からの時間をかけた非常な復讐だと――
レイティス・フランツィスカは若い頃、婚約者を絶対につくらなかった。
レイティスの美しさや公爵令嬢という肩書きにすり寄ってくる貴族の男たちは数えきれないほどいたが、そんな男共など眼中になく、全員振って返り討ちにしてやった。
そんな跳ねっ返りな生活を送っていた頃、ローゼル学園で出会ったのが特待生で入学してきたマルガレタだった。
平民の出自のマルガレタの純粋な行動や言動はレイティスにとって目新しく、貴族の中で育ったレイティスが心惹かれるのは必然だったのかもしれない。
一緒にいるのが楽しすぎて、自分が男なら早々にマルガレタと婚約しているのにと、女に生まれたことを悔しがるほどだった。
もしも二人にそれぞれ子供が生まれたなら、将来結婚させようと約束もした。
マルガレタとの楽しい学園生活。
この時が永遠に続けばいいのに。
卒業を間近に控えた夏先。
のちの国王であるエドワード王太子が、パーティで見かけた私に興味を示して側妃にしたがっているというウワサを人づてに聞いた。
しつこく言い寄ってきたからこっぴどく振ったのに、逆に燃えさせてしまったらしい。すでに妻子を持つ男の側妃なんて……好きでもない男と結婚なんて、絶対にごめんだ。
真実を確かめたい私は、お父様の書斎に乗り込み直談判。
すると私宛に王太子名義で茶会への誘いの手紙が届いていて、私には王太子名義とは伝えずに参加させる予定だったとお父様は白状した。
その茶会に参加してしまうと、王太子の策略で婚約が決まってしまうだろう。
断固拒否したい私は、その時偶然……その場に居合わせた青年に目がとまり、「この方と結婚します」と相手の都合も考えずに宣言した。
巻き込まれた彼の名はセルゲイ・ブランフォード。
セルゲイは下級貴族の三男だったが有能で、お父様の一番のお気に入りだ。
相手がお気に入りのセルゲイだったこともあり、お父様はおおいに喜んでその日のうちに婚約を交わして、一週間後には籍も入れめでたしめでたし……とはいかなかった。
私を手に入れられなかったエドワード王太子が次に目を付けたのは、あろうことか私の親友マルガレタだったのだ。
マルガレタの出自が平民だったこともあり、貴族の反対も少なからずあったのだが、私の時の失敗を活かしていつの間にか外堀は埋められ、気付いた時には婚約から逃れることのできない状況となっていた。
――ああ、ムカつく。
あの男はいまだに根に持っているのね。
大好きなマルガレタの夫になったことも許せないのに、そのうえ私のマーガレットまで……。
本っ当にネチネチした男!
苛立ちを隠すことを忘れ、レイティスが鋭い眼光を放っていると、三人の大人たちの様子をじっくりと観察していたゼファーが突然椅子から立ち上がり、セルゲイとレイティスに向かって真剣な様子で深く儀礼をした。
ゼファーの思いがけない行動に、三人の大人たちは目が点になる。
「私からフランツィスカ侯爵夫妻に感謝を。お二人が結ばれなければマーガレットは生まれていませんから……もしかしたら異母妹だったかもしれませんし」
ゼファーの言葉に呆気にとられた三人は声を失う。
その三人の様子を満足気に眺めたゼファーは「それでは用件は済みましたので、私は失礼します」と軽く礼をして、さっさと部屋を出ていってしまった。
ゼファー退出後。
レイティスの悔しそうな金切り声が、食堂で朝食を取っていたマーガレットの耳にまで届いたのだった。
ようやく落ち着きを取り戻したレイティスは、悔しそうに爪を噛みながら吐き捨てる。
「ゼファー・ローゼンブルク。あの国王に似て嫌な男。フランツィスカと王家の因縁を知った上で国王に相談したわね」
「私の知るかぎり、ゼファー殿下って絵に描いたような王子様でとても好青年のイメージだったのですけど、あんな嫌味を言う子だなんてびっくり。セルゲイ様、何とかしてマーガレットちゃんの婚約を取り消すことはできないのでしょうか?」
夫に裏切られ、すっかり元気を失くして肩を落としたマルガレタは、頼みの綱のセルゲイに問いかける。
「うーん。王命まで出されてしまっては一介の侯爵の僕にはどうすることもできません。一度出されてしまった王命を取り下げるのは時間がかかるだろうし、陛下がやってくれるとは…………実は僕もたまに思い出したように陛下から嫌味を言われることがあるのです。まだあの事を根に持っているのは確かでしょうから、僕の進言で王命を取り下げてくれる可能性はゼロに近いかと」
「だからって、私の娘を復讐に利用してんじゃないわよっ! 復讐するなら私に直接しなさいな。あんな陰険国王、ぶっころ」
レイティスが言い終わる前にセルゲイがレイティスの口を塞いだ。
「あら~、そんなこと言っちゃだめよ~」と言いながら、その言葉に反してコクコクと縦に頷きながらマルガレタは笑っている。
ジョージは涼しい顔、タチアナはしれっとお茶の準備をしている。
このようにどんな暴言を吐いてもこの部屋の者たちは信頼におけるが、屋敷の外にはまだゼファーやゼファーの護衛がいて、どこで聞いているかわからない。
暴れるレイティスをなだめながら、ため息を吐いたセルゲイは天を仰いだ。
「マーガレットはとんでもない方に好かれてしまった」