第88話 プロポーズは赤い薔薇を添えて
朝の支度を急ピッチですませたマーガレットは、両親に話を聞くべく、一階の応接室へと向かっていた。
一階へと続く玄関ホールまで来ると、何やら騒がしい声がマーガレットの耳に入る。厳格な家宰のジョージが何者かに押されているのが、ジョージの声の加減から読み取れた。
あのジョージが押されるなんて珍しい。
マルガレタ様かしら?
マーガレットが階段を下りると、何とそこには渦中の人――マーガレットと婚約した、らしいゼファーが訪れていた。
ゼファーはマーガレットに気付くと、宝物を見つけたように紫色の瞳を輝かせてマーガレットのもとへと駆け寄ってくる。
ゼファーに続いて、側近のミュシャや護衛騎士たちも動くのでなかなか大所帯の大移動だ。マーガレットも物珍しそうに眺めている。
「やあマーガレット。おはよう」
「お、おはようございます。ゼファー殿下」
「ふふ。君とおはようを言い合えるなんて、今日は何て良い朝なんだろう……昨日の少し大人っぽいドレスも素敵だったけど、今日のドレスも可愛らしくて似合っているよ」
「あ、ありがとうございます。あの、殿下にお聞き」
マーガレットがそこまで口にしたところで、ゼファーがマーガレットの口元に人差し指を掲げて話を遮った。
ゼファーの指のせいで、マーガレットの小さなくちびるは動くことができず、目の前のゼファーと見つめ合う形となる。
見つめた先のゼファーは濃い紫色の瞳を潤ませ、今にも踊り出しそうなほど幸せに満ちた表情を浮かべている。
「マーガレット、ちょっと待って。本当はもっと落ち着いた場所で伝えたかったのだけど、君の可愛らしい口から先に言ってしまいそうで……君の話を止めてしまってすまない」
ゼファーがミュシャに合図を送ると、どこからか赤い薔薇の花束が現れた。
ゼファーは花束を受け取ると、一輪の薔薇を取り出して愛しそうに見つめ、マーガレットの足元に跪く。
「マーガレット。箱庭で君と話してから、僕の頭の中は君のことでいっぱいになってしまった。昨夜は君に会いたくてたまらなくて、君の髪によく似た色の赤い薔薇を眺めて我慢していたよ……マーガレット、君は僕の心に住みついた一輪の薔薇だ。君となら僕は歩んでいける…………だからどうか、僕の妻となって僕を支えてほしい」
そう言ってゼファーは、真っ赤な美しい薔薇の花束をマーガレットに捧げるように差し出した。
花束を差し出されたマーガレットはというと、状況が理解できずに真っ赤な薔薇の花束を見つめたまま呆然としている。
少し小ぶりのきれいな赤い薔薇が一、二、三、四……十…………ざっと数えただけだけど、百本を越えていた。
今のゼファー殿下の言葉がプロポーズだとすると、この花束を受け取ったらプロポーズを受け入れたことになるの?
……よくわからない以上、受け取らないほうがいいわよね。
せめてお父様とお母様に話を聞いてから。
マーガットが逃走経路を考えていると、勘付いたゼファーに力強く腕を掴まれ、無理矢理薔薇の花束を渡される。
するとゼファーは、マーガレットの手の甲にくちづけをした。
有無を言わさぬ承諾に、恐怖を感じたマーガレットは一歩後ろへと下がる。
「あの、でも殿下と私は年が八つも離れていますし」
「年なんて、あと十年もすれば関係ないから心配はいらないよ。それに君はソレイユタウンの孤児院を立て直した功労者なのだろう。慈愛に満ちた君のような女性こそ、『王妃』の座にふさわしい」
「え゛‼ ……お、王妃ッ!?」
「もちろん! 君が隣にいてくれるのなら僕は王太子を目指し、ゆくゆくはこのローゼンブルクをまとめる国王となるつもりだ」
背中に後光でも差していそうな、まばゆいばかりのゼファーの笑顔にマーガレットは顔を歪めた。
王妃も驚いたけど、私が孤児院に支援したって昨日の今日でどうやって調べたの?
マーガレットは言葉では言い表すことのできない恐怖を感じ、さらに後ずさりする。しかし、そんなマーガレットをゼファーは笑顔で追いかける。
「ふふふ、恥ずかしがっているのかいマーガレット。可愛いなあ……大丈夫、君がひと言『はい』と頷いてくれればすべてうまくいくから、僕のプロポーズを受け入れてくれ」
その時だった。
「その申し出は認められませんわ、ゼファー殿下」
迫るゼファーの強行を遮るように、レイティスの圧をかけた声が立ちはだかる。
レイティスの両隣にはセルゲイとマルガレタの布陣。
この二人からも何やら圧を感じる。
その圧に動じることもなく、十六歳のゼファーは王子らしく、そつなく挨拶をした。
「……お邪魔していますよ、フランツィスカ卿、侯爵夫人。そしてマルガレタ様までいらっしゃっているとは、本当に仲がよろしいのですね。でもちょうどよかった。私も、あなた方とは話し合わなければならないと思っていたのです」
挑発じみたゼファーの挨拶に、今にも食ってかかりそうなレイティスを制止したセルゲイは、侯爵らしく冷静に対応する。
「おはようございます、ゼファー殿下。突然のご訪問驚きました。私たち夫婦は今、娘のマーガレットと殿下の件をマルガレタ様からお聞きしたばかりなのです。私たちの知らないところで何が起こっているのか……殿下のご訪問はその件についてなのですか?」
「察しが良くて助かります。実は侯爵夫妻宛に父より書状を預かって参りました」
「国王陛下から……ふむ、わかりました。このような場所で話すのも落ち着きません。ジョージ、殿下を応接室へご案内してくれ」
「はい、かしこまりました」
ゼファーはマーガレットににこりと笑いかけると、家宰のジョージに案内され応接室へと向かった。
まだ状況を把握しきれていないマーガレットが赤い薔薇を抱えたまま呆然としていると、セルゲイが優しく呼びかける。
「マーガレット。僕たちが殿下と話している間に朝食をすませておいで」
「……あの、お父様。私がゼファー殿下と婚約なんてありえるのかしら」
マーガレットの問いかけにいち早く反応したのはセルゲイではなく、レイティスとマルガレタだった。
「そんなの、何かの間違いに決まっているわ」
「そうです。レイティスの言うとおり、ありえないわ。私はアヴェルが赤ちゃんだった頃から婚約相手はマーガレットちゃんと言い続けていて、エドワードも快諾していたはずなのに……そんなことって」
青ざめたマルガレタの呼ぶエドワードとは、ローゼンブルク王国の国王のことでマルガレタの夫であり、アヴェルとゼファーの父親でもある。
ということは、エドワード国王は妻のマルガレタ妃との長年の約束を破って、息子のゼファーの願いをたった一日で聞き入れてしまったということらしい。
マーガレットとアヴェルが婚約するのは当たり前。
そう思っていたのに、気付くとアヴェルの兄のゼファーと婚約?
その事実に皆は声を失い、しばしの沈黙が流れる。
前髪を掻きむしったセルゲイはため息を漏らしたあと、ゆっくりと口を開いた。
「そのあたりをこれからゼファー殿下に直接お聞きしてみよう。マーガレット、詳しいことはまたあとで話そう」
マーガレットは無言で頷き、応接室に向かう三人を見送った。
お読みいただきありがとうございます。
ゼファーの一人称は普段は『私』ですが、
マーガレットといる時だけ『僕』に変化する時があります。




