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第87話 薄明の訪問者

 金木犀(きんもくせい)の香りが漂い、少しひんやりとした空気が肌に冷たい秋めいた早朝。


 フランツィスカ家の使用人たちは各々担当の場所へと向かい、一日で最初の仕事に向かっていた。

 従者や侍女たちは主のもとへと向かい、シェフは朝食の準備、メイドたちは屋敷の掃除といつもと変わらないフランツィスカ家の朝のはずだった。


 静けさが漂うフランツィスカの屋敷に、目まぐるしい車輪の音が響き渡る。

 何事かと窓から顔を出したのは家宰のジョージだ。

 マーガレットの私室へと向かう途中のクレイグとターニャも、何やら感じ取ったのか玄関ホールの脇から覗いている。


 馬車を確認したジョージは、すぐに小間使いを呼んで侍女のタチアナのもとへと連絡を取りにいかせてから、馬車を出迎える支度を始めた。


 あの穏やかな御方が、馬を飛ばしてくるのだから何か大変なことがあったに違いない。


 王家の薔薇の紋章をしつらえた馬車。

 この馬車でフランツィスカ家にやってくるのは……。


「おはようございます。マルガレタ妃殿下」

「ジョージ、おはようございます。連絡もなしに急に来てしまって申し訳ないのだけど、すぐにレイティスに取り次いでもらえないかしら」

「……かしこまりました。すぐに」


 その時、覗いていたクレイグとターニャの姿がマルガレタの目にとまった。

 マルガレタはこちらを見ると、一瞬だったが顔を曇らせる。


「っ!?」


 クレイグは驚いたが、まばたきをした次の瞬間にはマルガレタはいつもの優しい表情に戻っていた。

 マルガレタはすぐに奥の応接室へと、ジョージに案内されていった。


 何だろう、今の?


 何か引っかかったクレイグは、すぐにマルガレタのあとを追いかける。

 しかし、そのクレイグの手首をターニャが掴んで引っ張った。


「クレイグ、何やってるの? マーお嬢様を起こしにいかなきゃ」

「……ターニャは先に行ってください。僕は少し遅れていきます」

「遅れてって、マルガレタ様を追いかけるつもり?」

「……はい」

「何で?」


 それはただの勘だった。

 マルガレタ妃殿下の、悲しそうに目を伏せたあの素振り。

 あの方が来られた理由には、マーガレットお嬢様が関係しているんじゃ。

 もしマーガレットお嬢様の話でこんな時間にやって来たのなら、一体何だ?


 クレイグはその旨をターニャに簡潔に説明した。

 するとターニャは掴んでいたクレイグの手首を離し、今度は逆に背中を押し始める。


「クレイグ、早く行こう。マルガレタ様を見失っちゃう」


 クレイグとターニャはこくりと頷き合うと、気付かれないようにあとをつけ始めた。


 小間使いから連絡を受けた侍女のタチアナはすでに応接室の前で待っていて、マルガレタが到着すると応接室の中へと招き入れる。


 クレイグとターニャは扉の前で聞き耳を立てた。

 部屋からは挨拶を交わす三人の声が聞こえてくる。

 声の主はマルガレタ、レイティス、それにクレイグと同じく何かを感じ取ったらしいセルゲイも同席しているようだ。




 応接室の中。

 応接室ではフランツィスカ夫妻とマルガレタでテーブルを挟んで対面していた。

 しかし三人は椅子に腰かけたまま、無言を貫いている。


 レイティスは、いつも柔らかな物腰の親友・マルガレタから重苦しい空気を感じていた。

 挨拶も普段とすると、なんだかよそよそしい。

 学生の頃、喧嘩した以来のぎこちなさにレイティスは不安を募らせる。

 重苦しい空気の中、ついにマルガレタが重い口を開く。


「……うちのメイドが教えてくれたのだけど、ゼファー殿下とマーガレットちゃんの『婚約』が決まったって本当なの?」

「は!? 何よそれ! どうしてうちのマーガレットがゼファー殿下と!? あの子はアヴェル様と結婚するのに」


 レイティスは思わず椅子から立ち上がった。

 レイティスの引いた椅子の音にかき消されたが、応接室の扉の外では声を出して驚いてしまったターニャの口をクレイグが押さえていた。

 口を押えたまま、二人は聞き耳を立てる。


「城は朝からその話題で持ち切りなの。ただのウワサだと信じたかったのですけど、どうしても気になってしまって……エドワードに話を聞きたくても会えないと言われてしまうし……このままだとあの子が、アヴィが深く傷ついてしまうんじゃと。あの子、年末のマーガレットちゃんへのプロポーズのために一生懸命頑張っていたから……うっ」


 マルガレタの嗚咽とレイティスの怒りの声にいたたまれなくなったクレイグとターニャは、そっとその場を離れてマーガレットの私室へと向かった。




 お嬢様がゼファー殿下と婚約した?

 そのことを考えるとクレイグは胸の奥がチリチリと疼き、心臓がキュッと絞めつけられるような感覚を覚えた。


 嫌な感じがする。急だったからだろうか。

 相手がアヴェル殿下なら、こんな気持ちにはならなかったのだろうか。

 奥様とマルガレタ妃殿下も仰っていたとおり、年末のお嬢様の誕生日にアヴェル殿下がプロポーズするのはもう決まっていた。

 そのことは当人であるお嬢様以外の関係者はほとんど知っていたはず。

 なのになぜ、パッと現れたゼファー殿下との婚約が簡単に成立してしまったんだ?


 そんな疑問を考えているうちに、マーガレットの部屋へとたどり着いたクレイグとターニャの二人はノックも挨拶も忘れて入室し、ベッドで寝息を立てているマーガレットの寝顔を覗き込んだ。


 昨夜のパーティで疲れたのか、マーガレットは自分が婚約していることも知らずに幸せそうによだれを垂らして眠っている。

 マーガレットの置かれた状況に、ターニャはたまらず抱きついた。


「マーお嬢様、お嫁にいっちゃうの?」

「……ふえっ、な、なに!?」


 いきなり抱き起こされたかと思うと、半べそのターニャが抱きついている状況にまだ夢の中だと判断したマーガレットは二度寝を試みたが、深刻な表情のクレイグを見つけて何事かと目を覚ました。

 クレイグは先ほど見たまま聞いたまま、これまでの経緯をマーガレットに説明した。



 朝の陽ざしを浴びて明るく輝く赤毛に、たんまりと寝癖を蓄えたマーガレットはベッドの上で頭を悩ませる。


 どうしてゼファー殿下と私が婚約することになったのだろう?


「んー。昨日のパーティで、庭でかくれんぼした時にちょっと二人で話したけど……それかしら?」

「その時にプロポーズされたんですか?」

「んーん、まさか」

「……何か変わったことはありませんでした?」


 クレイグの問いに首を振りながら、マーガレットは腕を組んで考え込む。


 そういえば、あの時のゼファーは王太子になりたくないと言って自暴自棄になっていた……まさか。


「……ゼファー殿下が落ち込んでいるようだったから、頭をなでなでしてちょっと励ますくらいは、したけど」

「っ! ……この男ったらし」


 ぼそりと呟いたクレイグの言葉が突き刺さったマーガレットは、ベッドから飛び上がる。


「んなっ!? お、とこたらしって、おとこたらしって言ったー! それじゃ私が悪女みたいじゃない……あ、悪役令嬢って悪女なのかしら」

「こんな時に何を言ってるんですかッ!」


 マーガレットとクレイグの漫才のような会話に割って入るように、ターニャはマーガレットの右腕に抱きつき、にんまりと笑う。


「クレイグ、お嬢様は男たらしじゃないよ。女たらしでもある♡」

「え、本当に? ターニャに女たらしって言ってもらえるのは嬉しいわ。ありがとう」


 抱きしめ合ってイチャつくマーガレットとターニャをよそに、クレイグは皮肉たっぷりにマーガレットの耳に入るよう、わざと大きな声で告げた。


「この人ったらし!」


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