第84話 かくれんぼ
キィ―――ッ。
箱庭へと続く鉄扉を開くと、冷たい金属の音が鳴り響いた。
大人たちに気付かれたくない四人は、口元に人差し指をあてて「しー」と静かにのポーズを取り合いながら、コソコソと箱庭の中へと入っていく。
箱庭の鉄扉以外の塀は薔薇のツルを伝わせてあり、バラの咲く春や秋の時期は美しい薔薇が花開くことだろう。
そんなことは知らない四人は、入り口のすぐ近くの女神のモニュメントの横で、かくれんぼの鬼を声を立てないように静かに決めていた。
じゃんけんで負けたのはルナリアだ。
六十秒経ったら探すルールで目を閉じたルナリアは、さっそく数え始めた。
箱庭に詳しいアヴェルとシャルロッテは、隠れやすい山のある西の庭と、小さなモニュメントの多い東の庭へとそれぞれ向かった。
悩んだマーガレットは残った奥の庭へと向かう。
残念ながら奥の庭は、海に見立てた池があるだけで隠れる場所はほとんどないのだが、初見のマーガレットは知る由もない。
奥へ進んだマーガレットはそこに隠れる場所がないとすぐに気付き、アヴェルの向かった西の庭へと向かおうとしたのだが……。
「あれ、誰かいる?」
踵を返そうとしたマーガレットの視界に、池の近くにちょこんと座っている黒い影が見えた。
ここからでは影が誰かまではわからない。
アヴィやシャルロッテじゃないわよね。
その影の後ろ姿がどうにも気になったマーガレットは、ゆっくりと影に近付いた。ゆっくり、ゆっくり……近付いていくと月明かりの力も借りてその影の正体が明らかになる。
月に照らされただけでわかる、なびくような美しいホワイトゴールドの髪。
そして数刻前に見た覚えのある、あのうしろ姿は……。
「ゼファー殿下?」
つい声に出してしまったマーガレットの声にハッとしたゼファーは、鬼気として振り返った。
しかし声の主がマーガレットだとわかると、すぐに柔らかな表情に戻ってマーガレットに笑いかける。
「やあ……マーガレット嬢じゃないか。奇遇だね、こんなところで何をしているんだい?」
「あ、えっと、か……」
「かくれんぼ」と言いかけたマーガレットは、自分がパーティをこっそり抜け出して箱庭に侵入していることを思い出し、ためらった。
そのうえ、かくれんぼをしてパーティ中に遊んでいたことがバレたら、王族のアヴィたちが怒られてしまうかもしれない。
口をつぐんだマーガレットを見たゼファーは何かピンと来たらしく、優しく諭すように言った。
「そんなに心配しなくても、命の恩人である君が箱庭にいたことは誰にも言わないよ。私だって、パーティを抜け出してここにいるのだから、おあいこさ」
そういえばそうだ。
入学祝賀パーティの主役のはずのゼファー殿下が、なぜこんなところにひとりでいるのだろう?
マーガレットの疑問を読み取ったらしいゼファーは笑顔のまま話を続けた。
「ちなみに私は熱心な令嬢たちから逃げてきたんだ。それで、マーガレット嬢は『か』がどうしたのかな?」
なぜだろう。
ゼファーはにっこりと優しい笑みを浮かべているのに、マーガレットはとんでもない圧を感じていた。
「こっちは言ったんだから教えてくれるよね?」という謎の圧。
言わなきゃ逃がしてもらえないと悟ったマーガレットは、観念してゼファーに本当のことを話すことにした。
「私は……退屈しのぎにかくれんぼをしているところです」
「つまり……シャルやアヴェル、ルナリアと君の四人でかくれんぼをしているのかい?」
アヴェルたちのことは濁したつもりだったのに、マーガレットの努力むなしく、アヴェルたちも共犯となってしまった。
マーガレットは蚊の飛ぶような小さな声で「はい」と返事をすると、ゼファーは「ふふっ」と声を出して笑い出した。
怒られるどころか笑ってる!?
今の会話のどこに笑う要素があったのか、さっぱりわからないマーガレットはキョトンとして固まってしまった。
それを見たゼファーは慌てた様子で弁解する。
「いや、ごめんよ。そんなに怯えさせるつもりはなかったんだ。妹たちは随分と楽しそうだなと思ってね。かくれんぼなんて無縁だった私の子供時代とは大違いで、驚いてしまったんだ」
「え。ゼファー殿下はかくれんぼをしたことがないのですか?」
「残念ながら一度もないんだ……私には遊ぶ自由さえ与えられなかったな。ヒマができればすぐに別の授業が調整されて、休憩時間も予習復習、稽古にあてていたからね」
そういえば第一王子のフェルディナンド殿下は病弱で、あまり宮から出て来られないと聞く。そうなると第二王子のゼファー殿下に将来の王としての期待が自然と集まるわけで……。
ゼファー殿下は王太子になるために楽しいことも嬉しいことも我慢して、血の滲むような努力をしてきたのだろう。
その努力を想像すると、マーガレットの顔は自然と歪んでしまった。
「マーガレット嬢がそんな顔をする必要はない。これは王家に生まれた、人の上に立つ者に与えられた試練のようなものだ……そうだ、君とアヴェルのダンスはとても息が合っていて素晴らしかったよ。君だって、たくさんダンスの練習をしたからこその素晴らしい結果だろう」
ゼファー殿下の言うとおり、私もアヴィもダンスの練習をたくさんした。
でも私たちの練習とゼファー殿下の言う練習は何かが、根本的に違う気がしてならない。
同じく王子であるアヴィも王族としての授業は受けているようだけど、母のマルガレタ様に連れられて、よくフランツィスカの屋敷に遊びに来ているし、自由な時間は多いように感じる。
ゼファー殿下は与えられた試練っていう言い方をしていたけど、休むヒマもないほど詰め込まれた授業を単純に試練と呼んでもいいのだろうか。
もうそれは拷問では……。
考えても答えの出なかったマーガレットは、そっとゼファーに話しかける。
「あの、殿下もご一緒にかくれんぼをしてみませんか?」
「……ありがとう。レディからのお誘いは光栄だが、丁重に断らせてもらうよ。そうだな、代わりと言ってはなんだが、少しだけ私の話し相手になってもらえないかい? こっちにおいで」
「はい、私でよろしければ」
マーガレットはゼファーの隣に促されて、草の上に腰を下ろした。
二人は海に見立てた池の水面を見ながら、語り合う。