第83話 ひどく醜い何か
「んなっ! ちょちょっ、アヴィ!?」
『手の甲にくちづけ』というアヴェルの予想外の行動に驚いたマーガレットは、顔を真っ赤にして口をパクパクと動かして何か言いたげにしている。
マーガレット、真っ赤っかになってる。まるで苺みたいで可愛いな。
注目のペアだけあって、そんな二人の様子を目撃していた者も多く、アヴェルは周囲の貴族たちからの視線を感じた。
大嫌いな大人たちの視線。
でも不思議だな。マーと一緒だと、そんなことどうでもいいって思えてくる。
まだ顔を赤らめているマーガレットにアヴェルは無邪気に笑いながら、「僕のほっぺをぷにぷにしたんだから、お返しだよ」と言い返した。
ほっぺをぷにぷにされたお返しが手にキスって、自分でもめちゃくちゃだと思ったアヴェルだったが、それを聞いたマーガレットは不思議と納得した。
「そっか。それなら次は私がダンスで、あっと言わせてあげるわ、アヴィ」
「のぞむところだよ、マー」
二人のダンスはそれはそれは息の合ったもので、皆を驚かせ、すっかり注目の的となった。
そんな注目の二人がダンスで勝負していたとは露も知らない貴族たちは、二人の仲の良さに驚き、二人の母親の仲の良さも相まって近々婚約するらしいというウワサまで飛び交っている。
ウワサ話が耳に入ったアヴェルは悪い気どころか良い気分だ。
何より隣で踊り終えて、頬を紅潮させながら満足気に笑っているマーガレットが愛しくて頬が勝手に緩んでしまう。
「今日は引き分けかな、マー」
「そうね。悔しいけど、今日は引き分けということにしましょ。というか、アヴィがとっても上手でびっくりしちゃった」
「マーにそう言ってもらえるなんて嬉しいな……実は、シャルロッテに練習をいっぱい手伝ってもらったんだ」
「私もイグナシオお兄様に手伝ってもらったの。あ、それとクレイグにも」
「……え?」
マーガレットのダンスの練習相手が兄のイグナシオ様なのは、百歩譲って許せる。
でも、クレイグは……。
マーガレットの従者のクレイグ。
マーの一番近くにいるのは彼だろう。
彼のことは昔から知っているし、優秀なのはわかっている。
でも、二人のずけずけと言い合える気心の知れた仲を目にする度に、僕の心はジュクジュクと煮えたような痛みを覚えてしまう。
「ねえ、マーとはこれから踊る機会も多いだろうし、僕とも練習してほしいな」
「確かにそうね。今日みたいにみんなの前で踊る機会もありそうだし、そうしましょうか」
僕以外の誰にもマーに触れてほしくないという、ひどく醜い何か。
これがマーの書いた小説にでてくる『嫉妬』というものなのかな。
そんな自分に虫唾が走り、身もだえたアヴェルは「約束だよ」と笑った。
★☆★☆★
子供たちがメインのダンスの時間は終わり、パーティは大人たちの時間へと移行する。
楽団の奏でる美しいメロディに合わせて、ダンスを踊り見つめ合うカップルや喧嘩でもしているのかツンとした表情で冷ややかに踊る夫婦。
そんな男女のダンスを羨ましそうに見つめる、うら若き壁の花たち。
パーティでは様々な人間模様が繰り広げられていたが、出番の終わった子供たちはパーティにもうすっかり飽きてしまっていた。
マーガレット、アヴェル、シャルロッテ、ルナリアの四人の子供たちは、ダンスホールから少し離れた二階のバルコニーに座り込んで、ヒマそうに夜空の星を数えている。
それにも飽きたであろうシャルロッテが、気だるそうに口を開いた。
「ああー、パーティはまだ終わらないのかしら。ワタクシ、早く翡翠宮に帰りたいです」
「シャルロッテ、まだダメだよ。僕たち王族は閉幕の時に挨拶するって言われてたじゃないか。あと一時間は、ここにいないと……」
と、言いながらアヴェルももううんざりという顔をしている。
ルナリアにいたっては、アヴェルの膝を枕にしてウトウトしている。
正直なところ、マーガレットも眠くてさっきから欠伸が止まらない状態だ。
どうにかしてこの眠気を吹き飛ばしたいところなのだが……。
ふと、マーガレットはバルコニーから見えた草木に覆われた庭園が目にとまった。
「ねえ、アヴィ。この下の庭園って何なの?」
「そこの庭園は『箱庭』と呼ばれていてね。庭の中に海に見立てた池とか、小さなお城や街のモニュメントがあって、ローゼンブルクを小さく表現した庭なんだ。そこでシャルロッテとルナリアと、かくれんぼして遊んだこともあるよ」
『かくれんぼ』という言葉を聞いたシャルロッテは、ぼやいていたのが嘘のように元気よく立ち上がり、大声を出した。
「そうです、かくれんぼ! かくれんぼをしましょう!」
シャルロッテの素っ頓狂な提案に「今パーティ中だからダメだよ」なんて言って止める子はおらず、ヒマを持て余したマーガレットとアヴェルは無言で了承し、姉の声に驚いたルナリアも目を擦りながら参加の意思表明を示している。
かくして四人は、誰にも気付かれないようにこっそりと『箱庭』へと向かった。