第72話 母の面影
――ダンッッッ!!!!
その時、テーブルを両手で叩く大きな渇いた音が庭園中に鳴り響いた。
その音を発した人物に一斉に視線が注がれる。
それは――顔を歪ませたシャルロッテだった。
椅子から立ち上がったシャルロッテは「もうやめて!」とヒステリックに言い放つと、ガクッと頭を垂れて身体を震わせて黙り込む。
シャルロッテの怒りの意味が読み取れない令嬢たちは、互いにキョロキョロと顔を見合わせている。
マーガレットなら理解していると判断したのか、令嬢たちの視線はすぐにマーガレットに集まった。
私にどうにかしろっていう視線なのかしら。
残念だけど、こうなった原因は自慢話に夢中になって気配りが疎かになったあなたたちにある。
……これ以上、お茶会を続けたら火に油だわ。
マーガレットはポンッと手を合わせると、まったく微塵も残念ではなかったが残念そうに顔をしかめた。
「皆様。シャルロッテは気分が優れないので、本日のお茶会はこれでお開きにいたしましょう」
「え、マーガレット様?」
令嬢たちが説明を求めているのはわかったが、この場で説明したらそれこそ火に油。
だからこそ、彼女たちに質問をさせる隙など与えないように、マーガレットは言葉を途切れさせずに行動で念押しした。
「さあ、シャルロッテ……部屋でゆっくり休みましょう。それでは皆様、ごきげんよう」
マーガレットは放心状態のシャルロッテの腰に手をあてて優しくエスコートし、何か言いたげな令嬢たちに礼をする。
するとすぐにクレイグとミゲル、それにメイドたちが駆けつけ、シャルロッテを支える手伝いをしながら令嬢たちの前に壁のように立ち塞がった。
マーガレットたちが庭園から去ると、残されたのは数分前の語らいがウソのように静かになった令嬢たちと食べ残されたお菓子だけだった。
シャルロッテの部屋へと向かう途中、マーガレットはクレイグに何か耳打ちすると、頷いたクレイグは庭園へと戻っていく。
その時、庭園の方からつんざくような喚き声が聞こえた気がしたが、誰も気にすることもなく、シャルロッテを献身的に支えて部屋へと向かった。
シャルロッテの部屋は可愛らしいピンク色で統一され、デザインもリボンやフリルといった女の子の憧れる可愛いものであふれていた。
先ほど、話題にも挙がっていたゼファー殿下からのプレゼントの大きなウサギももちろんピンク色で、子供の等身よりも大きなウサギは広い部屋の中でも異様な存在感を放っている。
マーガレットはこの部屋ではまったく落ち着けないと思ったが、部屋の主のシャルロッテは身体の震えが治まり、落ち着きを取り戻しつつあるようだ。
シャルロッテの従者のミゲルはすぐに鎮静効果のあるハーブティーを淹れて、ソファに座ったシャルロッテとマーガレットに手渡す。
ハーブティーの水面を無言で見つめるシャルロッテに、マーガレットは申し訳なさそうに切り出した。
「あの子たちの自慢話からあなたを守れなかった……ごめんなさい」
シャルロッテは宝石のような紫色の瞳を一瞬だけ大きく見開いて驚いたが、すぐに熱いハーブティーを冷ますためにティーカップに息を吹きかける。
そして囁くよう小さな声で、ぼそぼそと話し出した。
「謝る必要はないです。マーガレットは話題を変えてくれたもの。それだけで十分……感情を抑えられなかった私が悪いのです。この前の授業で感情のコントロールの仕方を習ったのに、そう上手くはいかないものですね」
「まだ習ったばかりなら失敗は付きものよ。それに正直、よく我慢したほうだと思うわ。私なら今頃大暴れしてる」
「ふふふ、そう言ってもらえると気が楽になるわ……あの子たちの自慢話を聞いているとね、いつもワタクシのほうが惨めな気持ちになるのです。今回は一番嫌なお話でしたけど、マーガレットがいてくれたおかげで誰ひとり怪我をさせずにすみました」
「怪我って……あの子たちと取っ組み合いの喧嘩でもするつもり?」
冗談だと思ったマーガレットは聞き返したが、シャルロッテは真面目な顔でこちらを真っ直ぐに見つめた。
「………下手をしたら……そのことについてはまた今度お話しますね。今は他のことであなたに聞いてほしいことがあるの」
「もちろん。何でも話してちょうだい」
マーガレットは左手で胸をポンッと叩いて「まかせなさい」とポーズを決めた。
自分よりもひとつ年下のマーガレットに、不思議と頼り甲斐を感じてしまったシャルロッテは自然と笑みをこぼす。
「ワタクシがお母様のお話で唯一楽しく聞けるのは、お兄様の思い出の中のお母様なの。ちょっと前にね、いつものようにお兄様に『お母様ってどんな人?』と訊いたのです。いつもならすぐにお母様の思い出話を話してくれるのに、あの日は『お母様のことは聞かないでくれ』とお兄様に初めて断られてしまって……ワタクシ、意味がわからなくって」
「……それは、とても不思議ね」
シャルロッテの母のトゥーラ様が亡くなったのは、シャルロッテが生後六か月、ゼファー殿下が七歳の時だ。
赤ちゃんだったシャルロッテにとって、兄の話は母の面影を知る、信頼できるたったひとつの手段なのだろう。
それにシャルロッテを溺愛しているはずのゼファー殿下が、シャルロッテを邪険にしてまで話すことを拒むって、ちょっと違和感がある。
ゼファー殿下に何かあったのだろうか?
マーガレットは考えを巡らせていたが、シャルロッテは構わずに話を続けた。
「もともと誰かのお母様のお話って好きではないのだけど、お兄様のことがあったからか、いつも以上に怒りがこみ上げてきてしまったの。ねえ、さっきのワタクシの態度、やっぱりひどかったかしら?」
「うーん。ひどかったはひどかったけど」
「……けど?」
「シャルロッテの境遇はみんな知っているのだから、もっと配慮すべきかなと思っただけよ。あの子たち、早口言葉みたいに話が止まらないのだもの……あ、私が賜物を使って地面に穴を開けたら、流石のあの子たちも黙ったかしら?」
「えぇっ!? ……そんなことしたらあの子たちだけじゃなくて、お城中から騎士たちが駆けつけて大変なことになるでしょう、ふふっ」
その光景を想像してしまったシャルロッテは、お腹を抱えてケタケタと笑っている。マーガレットはそんなシャルロッテを見て安堵し、何でもないように話を続けた。
「そうなんだけど、あの時何もできなかったのが悔しくって」
「もうっ、ワタクシよりもあなたが腹を立てているなんて……おかしなマーガレット」
「それは、シャルロッテは私にとって大事なお友達だもの……そりゃ怒るわよ」
「……マーガレット、ありがとう。ワタクシもあなたのことが大好きよ」