第63話 絶対神聖領域
マーガレットの指示のもと、従者クレイグと侍女見習いターニャの仕事の分担は無事決定した。
夕食を終えたマーガレットはバスルームでバスタイム中だ。
その間、クレイグとターニャはマーガレットのパジャマの支度や明日着るドレスの候補の準備をするのだが……
――事件はその時に起きた。
マーガレットの前ではしっかりと仕事の分担を守っていたターニャだったが、マーガレットがバスルームへ行った途端、またもすべての仕事をしようと試み始めたのである。
クレイグがテーブルの上のティーカップを直そうとすると、「あたしがやる!」と言って割り込む。
呆れたクレイグは瞼をヒクヒクとさせながら、ターニャの担当だったパジャマの準備を代わりにしようとクローゼットを開けた。
気付いたターニャは慌てて「あ、クレイグちょっと待って」とテーブルをショートカットしてクローゼットまで走って来ようとしたが、それがまずかった。
ターニャのスカートの裾がテーブルの上のティーカップに当たってしまい、巻き込まれたティーカップはそのまま床へ。
―パリンッ。
ティーカップは無惨に割れてしまった。
「あっ、どうしよう」
驚いて混乱したターニャは、割れたティーカップを何とか戻せないかと素手で掴もうと手を伸ばす。しかし、クレイグがターニャの手を掴んで制止した。
「そのまま掴んだら危ないですよ。ここは僕がしますから、ターニャはパジャマの準備をしてください」
「わ、わかった」
クレイグはポケットから白手袋を取り出し、しっかりとはめて怪我することなく破片を片付けていく。
ターニャは眉を下げて口を歪ませ、クレイグの様子をクローゼットから申し訳なさそうに見ている。その姿は、ひどい失敗をして迷惑をかけた親に謝りたいのに、声が掛けられない小さな子供のようだ。
ターニャの視線に耐えられなくなったクレイグは、観念して声を掛ける
「パジャマの準備はできましたか?」
「うん、できた…………あの、クレイグ」
「何でしょう」
「その、その……ごめんなさい」
「せっかくお嬢様が仕事の分担をしてくださったのですから、まずは自分の仕事をしっかりとこなしてください。相手の仕事に手を出すのは、それからでお願いしますね」
「割ったこと、母様に報告する?」
「……する気はなかったのですが、報告してほしいですか?」
「んーん、母様に叱られるからやめて」
ターニャは首を痛めるのではないかというほど、首をぶんぶん横に振って否定し、こちらをチラチラと窺っている。
どうやらターニャにとって母のタチアナが一番怖い存在のようだ。
母様に叱られる、か。
それは……ちょっと羨ましいな。
二度と会えない母の記憶を思い出したクレイグは、ターニャと目を合わせることなく答えた。
「報告しないですよ。何か聞かれたら僕の不注意ということにしておきましょう」
「え、待って。あたし、クレイグのお仕事いっぱいとって、クレイグにひどいこといっぱいしたのに、どうしてかばうの?」
納得いかないターニャは、ティーカップの片付けをしているクレイグに詰め寄り、ついには目を逸らせない位置まで近付いてきた。
タチアナさんに報告してほしくないのに、庇われるのは気にかかるんだな。
正直、ちょっと面倒臭い。
クレイグはため息を吐いた。
「はぁ。ターニャはタチアナさんにバレないことだけを気にしているようですけど、侍女見習いであるあなたが、使用期間中にフランツィスカ家のカップを割ったと明るみになったらクビになるかもしれないじゃないですか。そしたらお嬢様が悲しみます。ただそれだけのことです」
「え……クビ?」
「言っておきますが、あなたが割ったこのティーカップはなかなか高価な品なんです。あなたが三年働いても買えるかどうか……入ったばかりの見習いがそんな値打ち物を割ったと知られたら、今後の損失も考えてクビになることもあると思いませんか? 下手したらタチアナさんにも弁償の責任がでてくるかもしれません」
「……クレイグはクビにならないの?」
「僕はこちらで働いてもうすぐ一年になります。家宰のジョージさんからもある程度信頼されているので、一度くらいなら大丈夫だと思いますよ。まあ、クビになりそうになったら本当のことを言うかもしれませんけど」
ちょっぴり意地悪を言ったクレイグは、ちらりとターニャの様子を盗み見る。
ターニャはショックで青ざめ、口を両手で覆っている。
すると思いつめた表情でターニャはぼそりと呟く。
「その……ジョージさんにおこられたら、せきにん取ってあたしがクビになるから……言って、ね」
六歳の女の子の本気の怯えた顔に少しだけ罪悪感を感じたクレイグは、励ますつもりでぶっきら棒に告げる。
「責任取ってクビになるとか、そういう戯れ言はあなたが一人前の侍女になってから言ってください。今のあなたがクビになっても責任は取れませんよ」
クレイグのきつめの励ましが効果があったのか、しおらしかったはずのターニャは怒りで顔を真っ赤にした。
「むむ―――ッ。そんな言い方しなくていいのに。クレイグのばか! いいもんねー、一人前じゃなくてもマーおじょうさまのハダカは見られるんだから」
「はっ!? な、何を言い出すんですか!」
口を膨らませたターニャはクレイグに向かってあっかんべーすると、そのままマーガレットのいるバスルームの扉を開ける。
「マーおじょうさまーっ」
「あら、どうしたのターニャ?」
「えへへー、今日はお背中流そうと思って」
扉がパタリと閉まり、その後の会話は想像するしかない。
本当に入っていった、だと!?
僕は一度も入ったことのない神聖な領域なのに……!
言葉にできない悔しさから、クレイグは傍にあったソファのクッションに痛恨の一撃を食らわせた。
お読みいただきありがとうございます。
次の話は――
イグナシオ主催の大規模なお茶会が開かれ、フランツィスカの屋敷に貴族令息たちがやってきます。
その中には、『恋ラバ』にかかわる人物も大勢いるようで……。
新キャラ続々のお茶会です。