第6話 出会い
開いたノートには直線や曲線と不思議な図形が書かれているだけだった。妖精の書く古代文字とも違うし、これは紛れもなく……
「はぁー、マーガレットったら『落書き』を書いて遊んでいたの?まったく、心配して損したわ」
そう言ってレイティスは奪ったノートをマーガレットに返した。
マーガレットは口を開けたまま、何か考えこんでいる。
……え、落書きって私の書いた日本語が落書きに見えるってこと?マーガレットの記憶にはこの世界の文字の記憶がない。
だからこの世界も日本語かと思ったのに……違うの?
まさか……まさかまさか、文字の記憶がないのはマーガレットが勉強をサボりすぎて文字を1つも知らないってことなんじゃ。
英才教育を受けていそうな天下の悪役令嬢(六歳)なのに、文字のひとつも知らないなんてどんだけ我が儘を言っていたのよ。せめて数字くらいは覚えていてほしかった。血の気が引いていくのを感じる。
これは一刻も早く勉強しないと幽閉ルート回避どころか、おバカ令嬢になってしまう。
「そ、そうなのお母様。私ね、字が書けるようになりたくてお母様やお父様の真似をしてカッコよく書いてみただけなの。ごめんなさい。あの、ね……できればその、お勉強したいのだけど、先生を用意してもらえないかしら?」
その瞬間、マーガレットの眼前に何かとても柔らかい感触が広がり、身体中が優しい温もりに包まれる。気付くとマーガレットはレイティスに抱き締められていた。
「マーガレット、本当にどうしたの? 何か心配事があるのなら怒らないから言いなさい………私はあなたの、母様なのだから」
「お、かあ……さま」
「昨日、あなたが池でぐったりなった姿を見た時、私はとても怖かったの。死とはこんなにも近いものなのかって。あなたがいなくなるんじゃないかって」
ああ、あたたかい。とってもあたたかい。
お母様、娘の私が突然変わってしまって、心配かけてごめんなさい。
でも心配しないで、私の中にはあの頃の我が儘なマーガレットも確かにいる。
「ねぇ、お母様。じゃあ、少しだけ我が儘を言ってもいい?」
「えぇ、いいわよ」
「あのね、もう少しだけぎゅってしててほしいの」
「あら、甘えん坊さんね」
本当はお母様から別人と疑われて淋しかった。
だからお母様の探しているマーガレットも私の中にいると気付いてほしい。
お母さまに、娘だって認めてもらいたい。
「マーガレット、いきなり変わろうとしなくていいの。誰かが何か言ったのかもしれないけど、あなたはあなたのままでいいのよ」
「………はい、お母様」
「……えっと、コホンっ」
突然聞こえた咳払いにマーガレットとレイティスは音のした方に目をやった。
すると、父のセルゲイがバツが悪そうに開けっ放しの扉からひょっこり顔を出していた。
「あらセルゲイ。何か用?」
「ん、いや、母娘のふれあいの時間を邪魔したら悪いとは思ったのだが、マーガレットに用事があってね」
「昨日言っていたあのことね」
レイティスはマーガレットを抱き締めていた手を名残惜しそうに離す。離しながらマーガレットのおでこにキスをしてそっと囁いた。
「さあマーガレット。甘えん坊の時間はおしまいよ。お父様から大事なお話があるみたい。本当はちょっとまだ早いかと思ったのだけど、今のあなたならきっと大丈夫ね」
マーガレットにはレイティスの言っていることの半分も理解できなかったが、レイティスから背中を押されたマーガレットはセルゲイの元へと向かった。
「お父様、ご用ってなぁに?」
「ああ、実はマーガレットに会わせたい人がいてね。玄関ホールで待っているから一緒に行こう」
「会わせたい人? 誰かしら」
「ふふふ、会ってからのお楽しみだよ」
玄関ホールへと向かう道中、マーガレットは父が会わせたいという人物について考えていた。
もしかして、ゲームに登場する人物かしら?
マーガレットの記憶をたどっても、アヴェル以外の攻略対象者とは今まで会ったことはなさそうだけど。マーガレットが覚えていないだけだったらごめんなさい。
一体誰なの……まさか、私の推しのユーリ君だったりして!
ど、どうしよう。ちょっと緊張してきた。
玄関ホールへと続く階段を降りる途中で、マーガレットの心配は杞憂だったとすぐに分かった。そこで待っていたのは、ゲームの登場人物たちとは違う人物。
彼はセルゲイとマーガレットに気付くとぺこりとお辞儀をした。
マーガレットよりもこぶしひとつほど背が高く、短く整えられた涅色の髪に、硝子細工のような透き通った真紅の瞳が印象的な端正な顔立ちの少年。
ゲームで見た覚えのない子だし、一体誰なのだろう。
お互いをまじまじと見つめ合うマーガレットと少年をひとしきり眺めたあと、セルゲイは口を開いた。
「マーガレット、彼は今日から君の従者になるクレイグだよ」
「えっ、従者⁉」
「そうだよ。本当はイグナシオの従者にと思っていたのだが……昨日のマーガレットの言葉を聞いて、クレイグはマーガレットの従者にとお母様とも話して決めたんだ」
「じゅう、しゃ?」
あれ、ゲームのマーガレットに従者なんていたっけ?
確かいつも傍にいるメイドの女の子と取り巻きの令嬢たちならいたけど、男の子キャラはいなかったはず……。
どういうこと?