第58話 春の小さな訪問者
冬を越え、季節は春を迎えた。
フランツィスカ家の屋敷にて。
庭園に隣接する稽古場から、子供たちの気合のこもった声が聞こえてくる。
マーガレットとクレイグの二人は、空いた時間に自主的に稽古に打ち込んでいた。
マーガレットは扇子とトンファーの二刀流、クレイグは木剣と、武器は違えど互いの長所を生かして研鑽に励んでいる。
勝負は、いつも通りクレイグの勝利で決着がついた。
稽古を終えても息ひとつ切らしていないクレイグは、涼しい顔でマーガレットにタオルを渡す。タオルを受け取った息切れ中のマーガレットは、汗を拭きながらため息を吐く。
最近のクレイグの剣技の成長ぶりは尋常じゃない。
私だって決して成長していないわけじゃないのに、力の差は開くばかりだわ。
イグナシオお兄様とも互角に戦えるようになってきているし……やっぱり才能の違いなのかしら。
マーガレットの沈んだ様子に気付いたクレイグは、水筒からカップに注いだハーブティをマーガレットに手渡す。
「お嬢様がそのように悲しい顔をする必要はありませんよ。僕が強くなってお嬢様をお守りすれば、僕より強くなる必要なんてないのですから」
「むぅ、私は守られるばかりのお嬢様なんてまっぴらごめんだわ。寧ろあなたが背中を預けられるくらい強くなるのが目標なの。それにいざとなったら賜物でこう、地面を破壊することだってできるし」
そう言いながら、マーガレットは地面に向かって拳を突き立てるジェスチャーをする。
「……それは下手をしたら地形が変わって大事になってしまうので、本当に命の危機に瀕した最終手段だとグリンフィルド先生に言われたばかりじゃないですか……お嬢様の拳を受けたら、人だって原型をとどめていられるか……」
「あ――~もうっ、それ以上言わなくていいから! どうせ私は破壊魔令嬢ですよ―――だっ!」
頬を膨らませたマーガレットは、クレイグを置いて稽古場を立ち去ろうと屋敷へと戻り始める。
気付いたクレイグは稽古道具をささっと片付けて慌てることなく後に続いた。
―――ビクッ。
背中に張り付くような異様な気配を感じ取った二人は立ち止まった。
視線の主に気付かれないよう、二人は無言で視線を交わす。
誰かに見られてる?
何だろうこの気配……誘拐された時みたいな怖い感じはしないけど、穴が開くほどじっとりと見られているような。
二人はゆっくりと後ろを振り返った。
誰もいない、か。
しかし、
「あ、きづかれた」
と地面の方から緊張感の欠片もないまったりとした可愛らしい子供の声が聞こえ、二人は視線を落とした。
そこにはアッシュグレイの髪色と灰色の瞳が印象的な、マーガレットよりも少し幼い顔立ちの少女が膝を抱えて座って、こちらを見上げていた。
え、えええ……いつからそこに!?
あれ。でもこの女の子、見たことがあるような、ないような……?
「ああ、君は確か……」
マーガレットは答えにたどり着けなかったが、クレイグは難なくたどり着いたようで、答えを知りたいマーガレットは問いかける。
「クレイグ、その子のこと知ってるの?」
「はい、この子はタチアナさんの娘のターニャです」
「タチアナって、お母様の侍女の? なるほど。だからどこかで見たことがあるような気がしたのね。言われてみれば少し面影があるかも」
ターニャと呼ばれた小柄な少女は立ち上がると、まじまじとマーガレットを見つめた。
何だか、とても期待のこもった眼差しで見られているような……。
「あなたがマーおじょうさま?」
ターニャからの問いかけにすぐに反応したのはマーガレットではなく、気が高ぶったクレイグだった。
「ターニャ。使用人の家族が、仕えているお方を愛称で呼ぶなんてあってはならないです。無礼ですよ!」
「……?」
ターニャはクレイグが注意している意味が理解できず、キョトンとしている。
険悪な雰囲気を察したマーガレットは、今にも噛みつきそうなクレイグと状況を理解していないターニャの間に割って入った。
「いいのよクレイグ。私は全然かまわないから」
「しかし、マーガレットお嬢様……」
「突然仲の良いお友達ができたみたいで楽しいし。ねえ、ターニャは今いくつなの?」
「あたし? あたしはむっつだよ」
「なら、私やクレイグよりもひとつ年下なのね。ところで、ターニャはどうしてこんなところにいるの? あなたのお母様を探しに来たのかしら」
「ううん、ちがうよ。あたしはマーガレットおじょうさまに会いにきた」
「私に?」
「うん、いっしょにあそぼうと思って」
マーガレットとクレイグは、ターニャの意味不明な言動に今度は隠す素振りもなく顔を見合わせた。
どういうことだろう?
お母様からもタチアナからも、この小さな訪問者のことは聞いていない。
そもそも使用人の家族は屋敷には立ち入り禁止だし、ターニャはどうやって屋敷に入ったのだろう?
まさか、何かの『罠』じゃないわよね……。