第57話 数十年後の後悔
そうして年が明け、雪が解け始めた頃。
祖父のルードヴィヒがフランツィスカ領へと帰る日が、とうとうやってきた。
屋敷のエントランスで馬車の前に並んだマーガレットたちは、祖父との別れを惜しみながらルードヴィヒを見送っていた。
眉を下げて淋しそうな表情をした孫たちや娘と、ルードヴィヒはひとりずつ挨拶を交わしていく。
「お祖父様っ、またすぐに来てくださいね……ぐすっ」
「もちろん、またすぐに会いに来るよ。だから泣かないでおくれマーガレット。お前が泣くと私も悲しくなってしまう。さあ、可愛い笑顔をみせておくれ」
涙があふれんばかりのマーガレットが鼻をすすっていると、
「うわあぁ――――ん。ナタリー、離れたくないよおぉぉぉっ」
後ろの馬車から従者のサイラスが家族との別れを惜しんでいる声が聞こえてきた。
しかし、当のナタリーは兄のサイラスと離れるよりもイグナシオと離れるほうが寂しいらしく、マーガレットの隣のイグナシオに向かって「うーうー」と呼びかけている。
するとサイラスが「ウソだぁぁ」と絶叫するものだから、イグナシオのほうが居たたまれないようだ。
それはマーガレットの涙も止まって笑ってしまうほど面白い光景で、マーガレットたちは笑顔でルードヴィヒたちを送り出すことができた。
馬車の外で見送るマーガレットたちに手を振りながら、ルードヴィヒは護衛のため同行している義理の息子セルゲイへと話しかけた。
「マーガレットは一年見ない間に随分と成長したのだな。一年前はあんなにわんわん泣いて我が儘を言っていたのに、孤児院を建ててと言い出すなんて嘘のようだ。心配したレイティスが『人が変わった』と手紙を寄越したのも納得した」
「子供の成長とは早いものです。父親としては嬉しいような悲しいような気持ちです。ただ、池で溺れたり黙って市民街に出掛けたりと、相変わらずお転婆はお転婆ですよ」
「誘拐された時に従者が助けてくれたと、マーガレットから力説されたよ。彼に褒美を聞いたら従者でいさせてほしいと。マーガレットの願いも従者から外さないでだった…………私は、可愛い孫娘から嫌われたくはない、はあ」
ルードヴィヒは、馬車を走って追いかけてくる孫たちに今も手を振っている。そのルードヴィヒの姿を見ていたセルゲイは、気取られないようにそっと胸を撫で下ろした。
『冷血将軍』と呼ばれたお義父様も自分の孫娘には嫌われたくないらしく、無理矢理二人を引き離すことはできなかったらしい。
マーガレットもクレイグも頑張ったようだし、僕も頑張ってアピールしないとな。
セルゲイはルードヴィヒに笑いかけた。
「……家庭教師は九人替わったのに、従者は一人目で気が合って幸運でした」
「セルゲイ、なぜマーガレットに男の従者を付けたのだ?」
「……サイラスの件もあって、クレイグはイグナシオの従者にと考えていたのですが、いろいろとありまして」
「その『いろいろ』とは何だ? ……私の若い頃には男女の主従で恋仲となり、駆け落ちして行方をくらました者もいたのだぞ。マーガレットがそうなったらどうするつもりだ」
突然、タガが外れたようにまくし立ててくるルードヴィヒに、セルゲイは墓穴を掘ってしまったと悔やんだ。しかし、笑顔という仮面を付けたセルゲイは冷静に話しを続ける。
「そう心配なさらないでください、お義父様。いずれは侍女も付けるつもりですので、年頃に二人きりという状態はありませんから……どうか安心してください」
「はぁ、レイティスはマーガレットをアヴェル殿下と結婚させると言ってきかないし、もし王家の者と婚約した上で従者と恋仲になったら目も当てられん。何より……マーガレットが駆け落ちして一生会えなくなったらどうする!? 私は耐えられないっ!!!」
「あぁ、そこが本音か」とセルゲイは苦笑する。
不思議なのは、マーガレットとクレイグが恋仲になるのが確定しているみたいな物言いをする点だ。
なぜそんなにも義父が二人の恋仲を恐れるのか、セルゲイには理解できなかった。
そこにはセルゲイも知らない、ルードヴィヒが若かりし頃の経験から来る勘が関係していた。
実はルードヴィヒは学生時代、何人もの友人たちの駆け落ちを仲介したプロフェッショナルだった。
あの頃は自由と正義を信じて自分のやりたいようにやったが、家長となった今では貴族社会に仇名す、家族を崩壊させてしまう大それた事をしたと後悔している。
もちろん駆け落ちした当人たちからは感謝され、今でも親交のある者もいる。
だがそれはそれ、これはこれ。
歳は取ったが、あの頃培った長年の勘は今も鈍ることはない。
あの二人が共にいる姿を見ると、何やらムズムズと胸騒ぎがするのだ。
ルードヴィヒは遠くで手を振っているマーガレットと後ろのクレイグを視界に捉えると、深いため息を吐いた。
お読みいただきありがとうございます。
次の話は――
実は第1話にも名前だけは出ていた新たな人物が登場します。
稽古を終えたマーガレットたちが屋敷へと帰る途中、妙な視線を感じます。
そこにいたのは……。
クレイグにとっては、ある意味でライバルになる人物の登場です。
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