第56話 七つのマーガレット
マーガレットからの質問を受けたクレイグは、お風呂に入ったわけでもないのに頬を赤く染めていく。さらに瞳をキョロキョロと動かして、しどろもどろしている。
挙動不審なクレイグなんて初めて見た。
マーガレットが目をぱちくりさせていると、クレイグが小さな声で話し始めた。
「あの、それは……」
「……え?」
「その……僕からの、お誕生日プレゼントです。街でお嬢様が好きそうなハンカチを見つけて」
「このハンカチって、クレイグからのプレゼントなの? ありがとうクレイグ、本当に私の好みぴったりだわ。すごく嬉しい! 特にこのマーガレットの花の刺繍なんて名前が『マーガレット』の私のために作られたみたい」
「その花の刺繍は僕がしたんです。タチアナさんに教えてもらいました。お嬢様の七歳の誕生日なのでマーガレットの花を七つ刺繍してあります」
マーガレットが改めてハンカチを確認すると、ハンカチには可愛らしい白いマーガレットの花が七つ刺繍されていた。
思わずマーガレットは感嘆の声を漏らす。
「わああああぁぁっ……とっても素敵。じゃあ、私の百歳の誕生日にはこのハンカチ全部お花で埋まっちゃいそうね」
「……それまで僕が一緒にいられるかどうか」
「えー、クレイグはずっと一緒にいてくれるわよ。私信じてるから……あ‼」
『あること』に気付いたマーガレットの目線は、包帯だらけのクレイグの指先へと移った。
「ねえ、日に日に増えていったその指の傷って……もしかしてこの刺繍のせいでできてしまったの?」
「はい……(ごにょごにょ)練習しましたから」
気になっていたクレイグの指の傷の謎が一気に解けたと同時に、自分のためにできた傷だと知ったマーガレットは、気付くとクレイグに駆け寄って包帯だらけのクレイグの手を優しく握っていた。
クレイグの手は氷のように冷たく少し湿っていて、風呂上がりの温かいマーガレットの指の体温をじんわりと奪っていく。
クレイグの手を温めようと、マーガレットは包み込むように優しく握りしめた。
「傷は痛くない?」
「まったく痛くないです……って何を!?」
マーガレットはクレイグの指に巻かれた包帯をべりべりと剥がして、傷の確認を始めた。
クレイグの指先には、針で刺したらしい小さな傷が一、二、三、四……十といくつも確認できる。
私のためにこんな……クレイグ、ありがとう。
クレイグはというと、どうにか誕生日プレゼントを渡せた達成感で気を緩めていたのだが、マーガレットに包帯を剥がされ、見せたくない努力を見られて恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。
まるで裸でも見られたように恥ずかしい。
いつ渡そうかと悩み、渡せたとしても自分のような素人の刺繍のハンカチを喜んでくれるのだろうかと不安に思っていたことも、今のこの羞恥心ですっかり吹っ飛んでしまった。
「そうだわ。この前、クレイグがくれた塗り薬がとてもよく効いたのよ。あなたにも付けてあげる。ちょっと待ってね、今取ってくるから」
「いえ、僕は……っ」
「いいから! さぁ、そこに座って」
マーガレットに促され、クレイグはソファに腰掛けた。急いで塗り薬を取ってきたマーガレットは、塗り薬を手に取るとクレイグの手に遠慮なく塗り始める。
マーガレットが塗り薬を優しく伸ばすと、ヒヤリとした感触がクレイグの指全体に広がっていく。その間、クレイグは塗っているマーガレットの手と顔を交互に見ていた。
なぜだろう。
今日はマーガレットお嬢様がいつもよりも大人っぽく、まるで二十歳くらいの女の人に見える。
もしかしたら、あのきれいなピアスのせいかもしれない。
大旦那様の部屋からピアスを付けたお嬢様が出てきた時、すごくきれいでドキッとしてしまった。
下着姿も知っているお嬢様のはずなのに……僕どこかおかしいのかな。
塗り薬を塗ってもらったクレイグの手は、いつの間にか春の陽だまりのように温かくなっていた。
「クレイグが従者になって半年以上過ぎたけど、本当にあなたには迷惑かけっぱなしね……令嬢らしくなくてごめんなさい」
クレイグはハッとした。
僕の思っていることにお嬢様は気付いていたのか。
お嬢様って思っていたよりもずっと敏感で、僕のことをきちんと見てくれている。
冷静になったクレイグはいつもの調子に戻って、少し澄ましたように話す。
「おかげで退屈しないオモシロおかしい毎日を送れています」
「オモシロおかしいって……ぷっ、クレイグの言い方だと私は侯爵令嬢じゃなくて大道芸人みたいだわ、ふふふ」
「他家のご令嬢は知りませんが、お嬢様に限っては大道芸人よりもずっと波乱万丈な目に合っているかと思いますよ。たとえ大道芸人でも市民に変装して誘拐されたり、氷の神殿を粉々にしたりはできないでしょうから」
「うふふ、本当にそうよね……そうだわ! 私も令嬢らしく刺繍でも始めてみようかしら。クレイグ、今度教えてちょうだい」
「……教えるのは構いませんが、細かい作業ですのでお嬢様には向かないかと」
「あ、何よそれ。私だって壁を壊す以外のこともできるんだから。私にも女の子らしいことができるってことを見せてあげる!」
意気込んだマーガレットは、翌日から早速刺繍の練習を始めた。
練習ではクレイグの『C』のイニシャルと、祖父ルードヴィヒの『L』のイニシャルをハンカチに刺繍して二人にプレゼントした。
プレゼントしたことでマーガレットは悟りを開く。
……私には刺繍は向かない。
前世の私と同じく、マーガレットも細かな作業は苦手らしい。
クレイグの言ったとおりでちょっと癪だけど、クレイグもお祖父様も刺繍のハンカチを喜んでくれたし……ま、いっか。