第52話 従者たちの矜持
――それは使用人塔での出来事。
「クレイグ君、明日は早いんだって?」
サイラスは、自室へと戻るクレイグに声を掛けた。
「はい。明日はソレイユタウンの氷の祭典へ出かけますので、朝三時に起きる予定です。それからマーガレットお嬢様の支度もありますし……あ、そうだ。ジョージさんから聞いたのですが、サイラスさんはご実家に帰られるのですか?」
「その話、君まで知ってるんだ。うーん、そろそろ家業を継ぐために帰ってきて建設の勉強をしないかと、両親には言われてはいるんだけど」
家宰のジョージに聞いた話とは違って、サイラスは従者を辞めることを決めかねていると直感したクレイグは、少し訊ね方を変えてもう一度訊き直した。
「……本当に従者をやめるのですか?」
「まだわからない。ようやくイグナシオ様とも打ち解けて従者の仕事が楽しくなってきたし、僕としてはもう少し従者をしたいのだけど、父様たちの意向が強くて旦那様にも話して勝手に話を進めているみたいなんだ」
思慮深く考えを巡らせたクレイグは、サイラスにあることを告げた。
「……サイラスさんには言っていませんでしたが、僕はもともとイグナシオ様の従者になるためにフランツィスカ家に来たんです」
「えぇっ、そうだったの?」
「はい、それが旦那様の意向で急にマーガレットお嬢様の従者になったんです。でも、これでよかったと僕は思います。僕はお嬢様のことは何とかお支えできていますが、イグナシオ様のことは支えられそうにないと思いました。だってあの方は、なかなかの『高慢ちき』じゃないですか。僕ではきっと喧嘩になります。『高慢ちき』なイグナシオ様を支えられるのは、サイラスさんしかいません」
いつも真面目な従者クレイグの『高慢ちき』という不敬な物言いに驚いたサイラスは、思わず笑い出す。
「ふふふ、そんなこと言ったらイグナシオ様に大目玉を食らうよ。それに、何をしでかすか分からないマーガレット様についていける君もなかなかだと思うけど……僕しかいないかぁ。そう言ってもらえると何だかすごく嬉しいな。ありがとうクレイグ君。うん、もう少し考えてみるよ」
そうして二人は「おやすみ」と言い合って、自室へと戻っていった。
★☆★☆★
考えた末、やっぱりイグナシオ様の従者として研鑽したいと決意した僕は、両親にそのことを伝えた。
最初は驚いて説得を試みた両親だったが、僕の意思が固いことが分かると学園在学中は建設関連の講義を取ることと、学園を卒業したらすぐに帰るという条件付きで許可を出してくれた。
だから僕が従者を辞めるのは七年後の話だし、まだイグナシオ様の耳に入るはずじゃなかったんだけどな。
どういうわけかテーブルの下に隠れたイグナシオ様は、母様たちのお茶請け話でそのことを知ってしまった。
ものすごい勘違いだけど、勘違いしてくれたおかげでイグナシオ様の本心を知ることができたし……案外良かったのかもしれない。
「おいサイラス。さっきから何をひとりでニヤニヤ笑っているんだ?」
イグナシオの声でサイラスは我に返る。
先ほどまで喧嘩していたのが嘘のように、ベッドに腰掛けたイグナシオはあっさりした顔でサイラスを覗き込んでいる。
「えっ……ふふ、イグナシオ様は意外と淋しがり屋なんだと思いまして」
「何だと……ぐぅ~~(お腹の鳴る音)……っと、腹が減って怒る気にもならん。何か食べる物はないのか?」
「あ、お茶の時間を抜いていますからね。ちょっと待っていてください。今、下から何かお菓子を持って」
「待て待て。その前に、お前のせいでシワシワになった服の着替えを手伝ってくれ」
イグナシオはベッドから軽々と飛び起きると、手を広げて着替えさせやすい体勢をとって待機した。
「ん、言っておくが本当は俺ひとりでもできるぞ。でもサイラスがいるのだし、お前にやってもらうのが一番だろ。ありがたく思え」
「ふふ、その通りです。喜んでありがたくやらせていただきます、イグナシオ様」
本当だ、クレイグ君。
こんな『高慢ちき』なイグナシオ様の従者は、僕にしかできないね。
笑顔で着替えの準備をしているサイラスを見たイグナシオは、そっと小声で呟く。
「それと……まあ、何だ。これからも従者として…………友人として、よろしく頼むぞ」
「……え? 何ですかイグナシオ様。ちょっと聞こえなかったのですが」
「ん? 別にぃ~俺は何も言ってないぞ」
「あれ、でも何か……?」
ちょうどその頃、ソレイユタウンから帰ってきた雪の積もった黒い馬車が屋敷のエントランスに到着した。
マーガレットたちを心配していた家族たちが玄関ホールに駆けつけて集合するのに、そう時間はかからなかった。
その中には、慌てて飛び出したシワくちゃシャツのままのイグナシオの姿も、あったとかなかったとか―――。
お読みいただきありがとうございます。
次の話は――
マーガレットの誕生日の話です。
友人たちを集めた楽しいお誕生日会。
しかし、祖父ルードヴィヒは何やら思うところがあるようで……
ルードヴィヒから語られる、フランツィスカ家と王家の因縁とは?