第42話 氷の神殿
氷の神殿はトライセンが自画自賛するのも頷けるほど、確かに美しかった。
どうやって削ったのかわからない滑らかな氷細工に、氷でできた円柱の柱が数えきれないほど立ち並び、まるでパルテノン神殿のような設計だ。
どこからでも自由に入場できそうな構造なのだが、神殿の外は高い柵と警備兵が囲んでおり、ひとつの入場口からしか出入りできない造りになっている。
その上、
「金を取るのか、それも一金貨も。入場料にしては少し高すぎやしないか。これでは貴族しか入場できない」(※一金貨は日本円にして十万ほど)
「いやはや、なかなか費用が嵩みまして……それにこうでもしないと混雑してしまいますので仕方がないのです。この神殿は頑丈に造ってありますが、人口が多すぎると暑くて溶けてしまうかもしれませんので、ははは」
神殿に同行した主催者兼設計士のトライセンはルードヴィヒの愚痴を聞き逃さず、つかさず冗談を言ってみせたが、その発言がルードヴィヒの軽蔑をさらに増幅させていることにトライセンは気付かなかった。
神殿の中へと入ると、中は外と違って意外と暖かい。
氷の柱に打ち込まれた壁掛けのキャンドルフォルダーの温かな明かりがゆらゆらと揺らめき、氷に反射してとても美しい。
マーガレットも連れてきたら喜んだかもしれないな。
周囲を見回すと、入場料が高いだけあって人はまばらだ。
もう少し人々が平等に楽しめる祭典だと思って出資したのだが間違いだったか。それに先ほどの地元の警備兵の話だとこの神殿の場所は……。
その時だった。
神殿の奥から「待てぇ―――っ」と叫ぶ男の声が響き渡る。
聞こえた方向を見ると、見覚えのある少年二人が警備兵に追いかけられて、こちらに向かって走ってきていた。
あの二人は、休憩室で食べ物を盗んだ二人組か!
すると今度はルードヴィヒの隣を歩いていたトライセンが、「何してる、捕まえろおぉぉぉ!!!」と耳を塞ぎたくなるような怒号にも似た声で叫び散らした。
……はぁ。私は賊の溜まり場にでも迷い込んだのか。
今の罵声でよく分かった。もう、これは駄目だ。
ピタッと足を止めて立ち止まったルードヴィヒはくるりと踵を返すと、入場口へと引き返し始める。
「ど、どうしたのですか閣下。あのようなドブネズミは気にせずとも」
「……ドブネズミだと? トライセンよ、この神殿の場所はもともとは彼らの住んでいた孤児院が建っていたのだろう? 人の住む場所を奪っておいて何がドブネズミだ。お前こそ、質の悪い略奪者ではないか。そんな非道をするために私は出資したのではない。この件に関しては他の出資者にも報告させてもらう……それでは孫が待っているので失礼する」
「お、お待ちください閣下、かっかぁ―――っ」
ルードヴィヒは服を掴むトライセンの手を払いのけ、振り返ることも足を止めることもなく、神殿の入場口へと戻ってしまった。
愕然としたトライセンだったが、だんだんと近付いてくる少年たちの足音と声に怒りを覚え、鬼の形相で少年たちのもとへと向かった。
挟まれていることに気付いた少年たちは足を止めた。
神殿から出るのは容易だが、外は高い柵と警備兵に囲まれているため、見つからずに突破して逃げ切るのは難しい。
そのため神殿内から突破できる入場口を目指していたのだが、目的地はトライセンにより塞がれ、背後は警備兵に塞がれて絶体絶命だ。
「お前たちのせいで、お前たちのせいでぇぇ。捕まえろぉぉっ!」
トライセンの号令で警備兵たちが一斉に飛びかかる。
少年たちは突っ込んできた兵を払いのけようとしたが、抵抗虚しく捕まってしまった。小さな身体の少年では抗うこともできず、手足をバタつかせて粗雑に抵抗することしかできない。
しかし少年の肘がひとりの警備兵の顔面に的中した。警備兵はそのままよろけて氷の柱へ激突――その衝撃で、氷の柱はポキリと……あっけなく折れた。
決して柱にぶつかった警備兵が重量級の重さだったわけではない。
その氷の柱にはキャンドルフォルダーが打ち込まれており。打ち込まれた際にできたヒビと炎の温かさで、弱くなった部分からポッキリといってしまったらしい。
しかし、それだけでは終わらなかった――――。
★☆★☆★
ソレイユタウン、入り口近くの停車場にて。
マーガレットは馬車の座席に腰かけて深いため息を吐いた。
気付いたクレイグはひざ掛けを取り出してマーガレットに差し出した。
「マーガレットお嬢様、お疲れならお休みになってください。大旦那様がいらっしゃったらすぐに知らせますから」
「うーん、大丈夫よ。疲れたっていうよりも、何か、いろいろと衝撃を受けちゃって……どうして弱い者いじめするんだろうって」
「……食べ物を盗んだ子たちのことですよね。お嬢様も聞いていたんですか」
「ええ、神殿の場所は元々はあの子たちの住んでいた孤児院が建っていたって。何でそんな大事な場所に、お祭り用とはいえ神様を祭る神殿を建てられるのかしら。あのトライセンって人からは悪意しか感じないのだけど」
「悪意ですか。あの人は自分のことしか考えていないだけで悪意ではないような……悪意というものは、自分の知らないところで大きくなって急に襲ってくるんです。本当に胸糞悪い」
マーガレットは開いた口が塞がらない。
気付いたクレイグはハッと口を押えた。
「すみませんっ。お嬢様の前で汚い言葉を使ってしまいました」
「いいのよ、別に気にしないし。それよりも、お祖父様が来てからずーっと大人し――くしていたクレイグからそんな言葉が聞けてちょっと元気が出たわ。ありがと」
「変な元気の出し方を覚えないでください! それこそ大旦那様に合わせる顔がなくなります」
「うふふ、別にいいじゃない……あ! お祖父様に私の賜物を見せるって約束すっかり忘れてた。ソレイユタウンに来る途中で見せるって約束してたのにぃー!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴ。
キンキンキン……。
突然、地面が揺れた。
馬車の中にいても、地面から地震のような大きな地響きが伝わってくる。
そして氷の祭典の開催場所からはキンキンと高い音が聞こえ、それに混じって人々の叫び声も聞こえてくる。
外で馬車の準備をしていた御者や護衛も、音の出所を探してキョロキョロと周囲を見回している。
クレイグは馬車のドアを開けて、状況を確認しようと耳を澄ました。
何だろう。雪山に囲まれた街だし、雪崩か?
周囲の雪山には変わった様子はないようだけど。
しかし、クレイグはすぐに異変に気付いた。
怯えた表情の観光客も必死の形相の街の住民も、ソレイユタウンから逃げるように走って、波のようにこちらに押し寄せてきたのだ。
クレイグは逃げる人を引き留めて、何があったか訊ねた。
すると、人々の口から信じられないが同じ言葉が告げられる。
『氷の神殿が崩れた』