第40話 雪と氷の祭典
祖父・ルードヴィヒの訪問から数日後。
マーガレットはルードヴィヒとクレイグと共に、王都から北にある街・ソレイユタウンに馬車で向かっていた。
ソレイユタウンは冬は豪雪地帯、夏は避暑地として人気の観光地だ。
通常ならローゼンブルクから馬車で四時間ほどで着く山間にある街なのだが、雪が降る今は九時間かけてようやく到着することができた。
日が昇る前に屋敷を出たマーガレットとクレイグは、馬車に揺られていつの間にか眠ってしまっていたが、外の賑やかさで目を覚ますと馬車の窓の外には真っ白な風景が広がっていた。
雪山に囲まれた街だけあって辺りは真っ白な銀世界。
山崖も粉砂糖をかけられたケーキのように白く、陽の光で照り返しが眩しいほどである。
停車場へと到着すると、マーガレットは一目散に馬車を降りる。
防寒着を着て暖かいは暖かいが、じわじわと身体が冷えていく。
まだ少し寝ぼけた頭を冷ますように、マーガレットは冷たい空気をめいっぱい吸い込んだ。ひんやりとした空気が身体中に行き渡り、頭が冴えていくのを感じる。
「お嬢様、寒くはありませんか。もうひとつマフラーがありますのでこちらも」
「クレイグったら、私は一枚マフラーをしているし耳当てだってしているのよ。これ以上マフラーを巻いたら私が雪だるまになっちゃうわ。それよりもあなたが巻いて。従者が風邪を引いたら私が困るでしょ。ほら、貸して」
マーガレットはクレイグの首に問答無用でマフラーをグルグルと巻いていく。何か言いたそうに目を細めているクレイグだが、無言でマフラーを巻かれていく。
その時――マーガレットの背後から、とてつもなく大きな声が聞こえた。
「おぉ! これはこれはフランツィスカ公爵閣下。このような辺境の地までご足労頂きまして大変感謝いたします‼ 閣下のお力添えもあり、第一回から立派な祭典を開くことができました」
声は大きいが小さな背丈の男は、ルードヴィヒのもとへと駆け寄るといきなりゴマをすっておべっかを使い始めた。
大きな声の男が言ったとおり、ソレイユタウンでは『雪と氷の祭典』というお祭りが今日から三日間開催される。
『雪と氷の祭典』とは、雪や氷で像や造形物をつくって芸術を祝うお祭りだそう。日本の北国にあるお祭りみたいなものかしら。
祖父のルードヴィヒは祭典の出資者のひとりで、主催からの招待を受けて旅行がてら観光しにやって来たのだった。
あのおべっかの男の人がこの祭典の主催者なのかしら?
それにしてもあの人の声大きいわね。あんな大きな声で話していたら、雪山に囲まれたこの街は雪崩でも起きちゃいそうでちょっぴり心配だわ。
マーガレットがおべっか男を見ていると、男はこちらに気付いてにこりと張り付いた笑顔を見せる。
「こちらの可愛らしいお嬢さんがお孫様でいらっしゃいますか。閣下に似て聡明でいらっしゃる」
「マーガレットです。あなたは?」
「申し遅れました。私はトライセンと申します。今回の祭りの主催をしております。マーガレット様、楽しいお祭りですのでどうぞ楽しんでいかれてください」
「祖父から聞いて楽しみにして来ました。どんな催しがあるのかしら?」
「いろいろございますよ。そうですね……一番は何といっても祭りの目玉である『氷の神殿』でしょうな。なんと中に入ることもできます。何を隠そう、神殿は設計士の私がデザインしたもので、大変苦労いたしました」
トライセンが大きな声で苦労を語っていると、トライセンの背後から腰に警棒を携えた警備兵らしい男がやって来た。男はトライセンに何か耳打ちすると、トライセンの顔が険しく変化する。
何か問題でも起きたのだろうか。
マーガレットたちがトライセンと男の様子を見ていると、気付いたトライセンはにっこりと笑顔を浮かべた。
「それでは、私はこれで失礼いたしますね。何か不備がございましたら、すぐに私にお言い付けください」
大きな声のトライセンは、ルードヴィヒとマーガレットに一礼してその場を後にした。
「……ふむ。それではお祭りに向かおうか、マーガレット」
「はい、お祖父様。どこから行きますか」
「まずは雪像でつくった動物園のコーナーに行ってみようか。パンフレットによると力作ばかりらしい。出店もたくさん出ているようだし、何か欲しいものがあったらすぐに言いなさい」
パンフレットを片手にルードヴィヒは手を差し出す。マーガレットは笑顔で祖父の手を取り、二人は手をつないで祭典へと向かった。
★☆★☆★
『雪と氷の祭典』が開かれている場所は、ソレイユタウンの西側に新しく設けられた広場だ。
完成した広場の中心には、気付かない人などいないというほどの大きな『氷の神殿』がそびえている。その神殿を囲うように様々な催しが各所で行われていた。
街と神殿をつなぐ通りには、食べ物や遊戯場などの出店が並んで通る者を誘惑しているし、神殿を挟んだ左右の通りでは雪と氷の像や造形物が展示され、観る者を魅了している。神殿の裏の体験コーナーも盛況のようだ。
それにしてもすごい人だ。
ぼーっとしていると人混みの波に流されてしまいそう。
「マーガレット、私から離れないように。しっかりと手をつないでおこう」
「ええ、お祖父様」
ルードヴィヒも同じように思ったらしく、互いに手をギュッと握り合う。
マーガレットはもう片方の空いている左手をクレイグへと差し出した。
「クレイグ、あなたも手を握りましょう。離れたら大変だわ」
「………しかし」
クレイグはマーガレットの差し出した手を取ろうか躊躇っているようだ。
いつも口うるさいくらい注意してくるクレイグなのに、お祖父様が来てからは不気味なくらいに大人しい。ただの主人と従者なのだから何もやましいことなんてないし、何も気にしなくていいのに……そもそもまだ六歳だし。
マーガレットはクレイグの手を無理矢理握った。ルードヴィヒも見ていたが、特に何か言うこともなかった。