第30話 兄妹対決
木剣の太い柄を握って振り回すのは、小さな手のマーガレットにとってなかなか骨が折れる。マーガレットの慣れない剣捌きを、イグナシオは表情ひとつ変えずに木剣でいなしていく。
本当に全く歯が立たない。
イグナシオは防御しているだけでまだ一度も攻撃してこないのに、まるで遊ばれているようだ。
このままじゃ、負けちゃう。
木剣は見た目よりも重く持ち手にも違和感が出てきた。木剣なんて置いて賜物で殴った方が早いのに……あぁ、もどかしいっ‼
「あ、言っておくが、少しでも賜物を使ったらお前の負けだからな」
マーガレットの心理を読み取ったように、イグナシオは釘を刺した。
「分かってます!」と叫びながらも、マーガレットは心の中ではチッと舌打ちした。
イグナシオはそんなマーガレットの心の隙を見逃さず、マーガレットの木剣めがけて力いっぱいの一撃を食らわした。
「いっ」
痺れるような激しい痛みにマーガレットは声を漏らす。しっかりと握っていたはずの木剣は宙を舞い、地面へと転がった。
その上、慣れない木剣を振り回したせいか、マーガレットの手首はズキズキと痛み始める。
力の差は歴然。勝てる気がしない。でも……。
「フハハ、勉強はできても剣はからっきしだなマーガレット。そんなんじゃ、俺には一生勝てん。さぁ、思い知っただろう。これであきら、め……」
イグナシオの軽快なトークなど聞こえていないかのように、マーガレットは無言で木剣を拾い上げると、木剣をイグナシオに向けて戦いの意思を示した。
マーガレットの翡翠の瞳からは戦意は消えていなかった。
イグナシオはため息を吐く。
せっかく手加減してやったのに。
それなら、ここからは遠慮なくいかせてもらうぞ。
狙うは、マーガレットが痛めたらしい手首だ。
イグナシオの狙いに気付いたマーガレットは、手首を庇って重心を低くする。重心が後ろにかかったところで、イグナシオは足蹴りを繰り出した。
するとバランスを崩したマーガレットは尻持ちをついた。
「はぁ、お前なんて木剣を使わずして倒せる。それが分かったら……っ!?」
イグナシオの視線の先には、大の字に横たわったまま、清々しい顔で空を見上げて笑っているマーガレットがいた。
尻持ちまでついたこの惨めな状況を笑っているだと!?
「ふふふ。お兄様って本当にお強いのですね。それに手首を狙ってくるところも、めざといお兄様らしいです。ふふ」
マーガレットはむくりと起き上がると木剣を地面に突き刺し、フラつく身体に鞭打って杖のようにして立ち上がった。
手首は痛いし、尻持ちをついたことでお尻もジンジンしている。青アザにならなきゃいいな。その上、体力はもう限界で立っているのもやっとだ。
それでもマーガレットが立ち上がるのは「稽古を付けてもらいたい」という願いだけでなく、この戦いに楽しさを見出してしまったからだった。
フラフラになりながらもマーガレットは木剣を構える。
「さあ、お兄様。もう一戦お願いします!」
★☆★☆★
その後もマーガレットは何度倒されても立ち上がった。
諦めさせようと厳しく攻めるイグナシオが、マーガレットの諦めないという意思を感じて逆に恐れ戦いてしまうほどだった。
流石のイグナシオも体力の限界を向かえ、疲れ果てて片膝をつく。イグナシオは口頭で説得を試みる。
「はぁはぁっ、くっ……もぅ、いいかげんあきらめろ、マーガレット」
「ぜぇ……イヤ、です。私は、お兄様に勝って、けいこをっ……ぜえぜぇ」
赤毛の兄妹は二人とも息を切らしながら、まだ戦うことをやめなかった。その主の様子を、二人の従者のクレイグとサイラスは固唾を飲んで見守っていた。
ジャン・グリンフィルドはその場のピリリとヒリついた雰囲気を感じつつも、マーガレットの諦めない心に自分の若き頃を重ねて懐かしんでいた。
私にもあったなぁ、あんながむしゃらな頃。
残念ながらマーガレット様には、イグナシオ様のような剣技の才能はないようだけど、戦う術についてマーガレット様にも是非お教えしたい。
どうすれば、イグナシオ様の機嫌を損なわずにうまく収められるだろうか。
うーむ…………。
何か思いついたグリンフィルドは、二人の試合を止めるようにごく自然に話しかけた。
「イグナシオ様も、マーガレット様も素晴らしい勝負をなさいますね。マーガレット様の何度倒れても立ち向かう心、そしてイグナシオ様の妹君の勝負を幾度となく受けて立つその度量の大きさには感服いたしました」
「そ、そうですか。先生にそのように褒めてもらえて僕も光栄です」
と、すぐに反応したのは、度量が大きいと称賛されて浮かれ気分のイグナシオだ。
マーガレットはというと、まだ息を切らしたまま何事かとイグナシオとグリンフィルドのやり取りを傍観している。褒める調子のまま、グリンフィルドは話を続ける。
「はい、それで思ったのです。そのように度量の大きなイグナシオ様ならきっと、マーガレット様に稽古をつけてもお怒りになるはずがない、と」
「それはもちろ……え?」
勢いで快く頷こうとしたイグナシオは固まった。
この流れは―――。
そして息を切らしていたマーガレットの呼吸が一気に整う。グリンフィルドはイグナシオの引きつった表情から目を背けて話を続けた。
「いや、実は思っていたのです。このように強くなられたイグナシオ様なのに、まだ兄弟子になっておられない。イグナシオ様が剣術をさらに磨くためには自ら学んだことを、次代の弟子に教えていく―――これもまた修練なのです。
つまり、マーガレット様たちが門下に加わるということはイグナシオ様にとっても大きなプラスとなるということ。
どうでしょうか、イグナシオ様。ここは度量の大きなイグナシオ様から稽古を付けることを許可していただけないでしょうか?」
「そ、それは……」
本当は許可なんてしたくない。
それがイグナシオの素直な回答だ。しかし、ここまで先生に言われて妹と一緒に稽古したくないなんて、格好悪くて言えやしない。
俺は、度量の大きな貴族だ。
「……分かりました。マーガレットたちの稽古の件………許可します」
「ほ、本当ですか。お兄様?」
傷だらけのマーガレットは開いた口が塞がらない。
何? どういうこと?
グリンフィルド騎士団長のおかげで全部上手くいったの?
イグナシオはまるで錆び付いた時計のようにギギギと首をゆっくりと動かして、マーガレットを捉える。
「本当だマーガレット。お前たちがここで稽古することを許可しよう」
「おお、流石イグナシオ様。器が大きくていらっしゃる」
大げさに褒め称えるグリンフィルドは、マーガレットに目配せした。気付いたマーガレットもイグナシオを褒め称える加勢をする。
「ほ、本当ですワー。お兄様の器は、えっと……海のように大きく広いのですネー」
「ん…………ふんっ」
少しオーバーに言い過ぎたかと焦ったマーガレットだったが、まんざらでもなさそうに鼻高々なイグナシオの様子を見て胸を撫で下ろした。
続けて、サイラスとクレイグもパチパチと拍手を送る。
どうなることかと思ったが、すっかり満足気なイグナシオの許可をもらい、マーガレットとクレイグもグリンフィルド騎士団長から稽古を付けてもらえることとなった。