第3話 天敵
薔薇の紋章の入った王家の馬車の前で、マーガレットとレイティスはアヴェルたちの見送りに出向いていた。
たっぷりとぬいぐるみ遊びを楽しんだルナリアは、遊び疲れて母・マルガレタに抱かれ夢の中である。アヴェルはどこか落ち着かない様子で俯いている。
馬車の窓を開けたレイティスは、マーガレットとレイティスに笑いかけた。
「レイティス、今日はとても楽しかったわ。マーガレットちゃんもルナリアとたくさん遊んでくれてありがとう。こんなに楽しそうなルナリアは初めてで驚いちゃった。また遊んであげてね」
「いえ、こちらこそ。私もルナリアといっぱい遊べて楽しかったです」
「まあ…マーガレットちゃんはいつの間にかすっかりお姉さんになったのね……さあ、アヴィもお別れのご挨拶をして」
「うん……マーガレット、また今度一緒に遊ぼう。それとやっぱりどこかおかしいかもしれないからよく休んでね」
「し、心配してくれてありがとう。アヴィも気を付けて帰ってね」
子供ながらも、アヴェルはなかなか鋭いわね。
前世の記憶が戻ったことで生じたマーガレットの違和感に気付いているみたい。
馬車を見送ったマーガレットとレイティスが屋敷の中へと戻ると、レイティスはすぐにマーガレットに声を掛ける。
「マーガレット。今日のあなたは愚痴もこぼさずにルナリア様と遊んで、とてもお姉さんらしくて立派だったわ。あなたも疲れたでしょう? 池で溺れたことがあった後だし、今日はもう休みなさい。食事は消化しやすいものを、後でタチアナに届けてもらうから。私も疲れたからちょっと休むわ」
そう言ってレイティスは眉間を押さえながらタチアナと寝室へと向かった。
お母様、とても疲れているみたい。やっぱり私のせいかしら。
記憶も戻って私自身はとってもすっきり元気なんだけど、これ以上無茶して心配かけるわけにもいかないし、言うこと聞いて今日は寝ましょ。
マーガレットは二階の寝室へと向かうため階段を上る。すると、見計らったように少年の声が二階から降ってきた。
「やっと帰ったんだな。まったく、お母様とマルガレタ様の仲の良さにも困ったものだ。二人はお前とアヴェル殿下を早く結婚させたくて仕方ないらしい。この前なんて、もうお前の結婚式用のドレスのカタログを見ていたぞ。学生の頃の約束だか何だか知らないが、もしアヴェル殿下が王女だったら俺が結婚させられるところだったんだから本当にそうならなくてよかったよ」
マーガレットが見上げると、マーガレットの赤毛と同じ髪色をしたマーガレットよりも年上の少年がニヤニヤと笑いながらこちらを見下していた。
少年の名はイグナシオ・フランツィスカ。マーガレットの五つ上の兄だ。
呆れたマーガレットは深いため息を吐く。
妹が溺れてあんなに大騒ぎだったのに、気遣う様子もなく今頃のこのこ出てくるなんて何て冷たい奴だろう。
あー、でも傍から見れば、記憶が戻る前の私もきっとあんな感じだったんだろうなぁ。
何たってアヴェルに『罵倒』とまで言わせたんだもの。
そう思うと、イグナシオがちょっぴり不憫に思えてきた。
「お、おいっ! 何でそんな同情するような目で見るんだよ。やめろっ! 何とか言えよ」
おぉー、意外と勘が鋭い。
マーガレットとイグナシオという兄妹はどちらかが喧嘩を売ることに始まり、売った喧嘩をもう一人が買い、さらに買った喧嘩を売っては繰り返しの無限マウント取り合戦が普段のコミュニケーションだったと、マーガレットの記憶が告げている。
でも記憶が戻った私は、そんな精神をすり減らすような面倒なことは正直したくない。だからこれからはイグナシオのことは軽くあしらっていくつもりだ。
二階への階段を上り終えたマーガレットは、身構えたイグナシオの前でピタリと止まると軽く会釈をする。
「イグナシオお兄様。私、今日は早く休むようにとお母様から言いつかったのでお先に休ませてもらいます。それでは」
「……はあぁぁぁっ⁉」
妹から挑発が返ってくると予想して臨戦態勢に入っていたイグナシオは間の抜けた声を上げると、突然暴れだした。暴れ兄の横をマーガレットが通り過ぎると、少し離れた所で待機していたイグナシオの従者のサイラスがこちらに向かって会釈をする。
マーガレットが「あなたも大変ね」の意を込めて笑顔で返すと、サイラスは驚いた顔をして頬を赤く染めた。
ん? そういえばマーガレットって性格以外はパーフェクトな美女設定だったっけ。ということは、今の私は見た目は美少女ということなのかしら。
それなら、この笑顔は武器になるのかもしれない。
でも変なことに巻き込まれたら嫌だし、笑顔の押し売りはやめておこう。
その時だった。
バタンッと玄関ホールの扉が開き、ホール中に「マーガレットっ‼」と男性の大きな声が響き渡った。