第27話 フラッシュバック
マーガレットと両親の三人は、馬車で病院へと向かうクレイグを見送るため建物を出た。道路にはマーガレットが破壊した壁の瓦礫がパラパラと散乱している。
よほど疲れていたのか、馬車の窓から見えるクレイグはすでにスヤスヤと眠っているようだ。マーガレットは窓越しにクレイグの寝顔を見つめ、心から感謝した。
今日が最悪の日にならなかったのはクレイグのおかげよ、ありがとう。
馬車が見えなくなるまで三人は感謝を込めてクレイグを見送った。
「……さて、僕たちもそろそろ帰ろうか」
「クソッ、離せ!」
「おい、暴れるんじゃない」
背後から男の怒号と隊士たちの厳しい声が聞こえる。
忘れてしまいたいこの声の持ち主は――誘拐犯のリーダー格の男・ダレンだ。
ダレンは手錠を掛けられても、関係ないと言わんばかりに大暴れして三人の隊士を振り回している。
レイティスに抱っこされているマーガレットに気付いたダレンは、マーガレットを刺すような視線で睨みつけ、ドスの効いた低い声で叫んだ。
「おい、こんのクソガキッ‼ フランツィスカめ、いつか吠え面かかせてやるからな、覚えとけよォ!!!」
先ほどまでの恐ろしい出来事を思い出したマーガレットの身体は勝手に震えだし、抱きかかえているレイティスにぎゅっと掴まることで恐怖に耐えている。
レイティスはマーガレットの頭を撫でながら、ダレンの抉るような蛇の睨みにも劣らぬ、身の毛もよだつ鬼の形相で睨み返した。
「お前、よくもうちの娘にひどいことをしてくれたわね。さっきはせっかく手加減してあげたのに、よくもまあ吠える駄犬だこと」
「……は? 何だ」
「はぁ。お前ごときが……フランツィスカにケンカを売った意味が分かっているのかしら?」
人を見下すお高くとまった仕草、高慢な物言いから貴族女の戯言だとダレンも最初は思った。しかし、ダレンの背筋にまとわりつくこの黒い恐怖は何だろう。
恐ろしい怪物と対峙しているような、今すぐ逃げろと本能が告げるこの警戒心の正体は何だ?
ふと金木犀の匂いがダレンの鼻先を掠めると、痛めた首筋がズキリと疼きだし、気絶する瞬間がフラッシュバックした。
――この香り、月明かりに照らされた赤毛の女……そうだこの女‼
ダレンは自分が狩られる側だと瞬時に理解し、周囲の隊士を盾に後ずさった。
しかし軽蔑の表情を浮かべたレイティスは、ダレンの元へとゆっくりと近付いてくる。
あ、ダメだ。この女はヤバい。
剣術にはそこそこ自信のあった俺が成す術なく、赤子の手を捻るみたいにやられたんだ。間違いなくヤられるっ‼
ダレンが死を覚悟したその時――
「待つんだ、レイティス」
と、セルゲイがレイティスとダレンの間に割って入った。
助かったと冷や汗をかいていたダレンは息を吐く。
それと同時に今止めたことを後悔させるくらい、このフランツィスカ家にどう復讐してやろうかと悪知恵を働かせ始めた。
―しかし
「レイティス、君が懲らしめたら一発で息絶えて終わってしまうじゃないか。この男は軍として僕が責任を持って、マーガレットとクレイグをこんな目に合わせた罪も、これまで犯した罪の重さも十分に刻み込んで、生まれてきたことを何度も後悔させるつもりだから……どうか抑えてくれ」
……ん?
穏やかな物言いとは裏腹に、セルゲイの過激な言葉にマーガレットもダレンも耳を疑った。しかし、レイティスはいつもどおりに話している。
「あらそう? 確かに私よりもプロのあなたに任せたほうがいいかしら。お父様もあなたの尋問は凄惨な拷問のようにピカイチだって褒めていたものね……分かったわ、フランツィスカの名を聞いただけで気絶するくらいきっちりしつけてね」
「あぁ、お安い御用さ。君への『愛』に誓って約束するよ」
「ちょ、ちょっとセルゲイ。子供の前でやめてちょうだい!」
「ハハハ、いやぁすまない。怒り狂う君もきれいだったからつい、ね」
「もう、知らないっ。さあマーガレット、意地悪なお父様は置いて帰りましょう」
プイッとセルゲイに背を向けたレイティスは、マーガレットを抱きかかえたまま歩き出す。
拷問の話はいいけど、イチャイチャは子供に聞かせたらダメなのね。
マーガレットがレイティスをチラリと見上げると、レイティスは恋する乙女のような照れた表情を浮かべていた。
わぉ、お母様ってツンデレだったのね! 娘は初めて知りました。
お母様ってば可愛い。お父様が好きになるのも分かるぅ。
と、前世でツンデレ好きだったマーガレットはテンションを上げ、ダレンへのトラウマなどすっかりどこかにいってしまった。
「にゃぁ、にゃんにゃにゃ~~んっ」
するとそこに可愛らしい鳴き声とともに、レイティスとマーガレットの前にとおせんぼするように白い仔猫が現れた。