第26話 今日が良い日であるように
セルゲイに抱えられ、母娘のやりとりを見ていたクレイグは、まだ少し痛む傷に耐えながら口を開いた。
「すみません……旦那様、奥様。僕がお嬢様を見つけた時、従者としての責務を果たしてお嬢様を連れ戻すことができていれば、このような事態にはならずにすんだのです。本当にすみません」
「謝る必要はないよクレイグ。君が玄関ホールに残していってくれたこの置き手紙のおかげで、おおよその場所の予測が立てられたんだ。こうして下町周辺を重点的に捜索できたのは間違いなく君のおかげだよ。感謝しても、し足りないくらいだ、本当にありがとう」
セルゲイは胸ポケットに入っていた白い紙を取り出した。
その紙には――
『お嬢様がどこかへ出かけるようなので止めに行ってきます。もし戻らなかった場合は、お嬢様の服装から市民街区の可能性があるので探してください。お願いします』
――と、慌てて書き殴ったクレイグの字で記されていた。
「マーガレット、あなたもクレイグにお礼を言いなさい。クレイグがいなかったら、あなた今頃どうなっていたか分からないのよ!」
お母様の言うとおりだ。
クレイグの残した手紙を見てお父様とお母様が駆けつけなければ、私はダレンに賜物を利用され、一生下僕扱いされていたことだろう。クレイグだって奴隷として売られていたかもしれない。
助かったからこそ、そのおぞましい意味を実感し背筋が凍りついていく。
マーガレットはクレイグを見つめた。
自分が招いたトラブルのせいでクレイグは傷を負ってしまった。そう思うと、喉のあたりが辛く苦しく、引き裂かれるような感覚を覚えた。
「……クレイグ、追ってきてくれてありがとう。それと、私のせいでたくさん怪我させてしまって、本当にごめんなさい。そ、それにあなたに孤児とか、ひどいことも言って、あなたにこんなっ、ううぅっ……」
泣くつもりなんてなかったのに、マーガレットの翡翠色の瞳からは自然と涙があふれてくる。さらに感情が高ぶってきたマーガレットは、声を上げてわんわんと泣き出した。
どうしよう。涙が止まらない。
私、前世では二十歳だったはずなのに……自分で感情を制御できないなんて、これじゃ子供じゃない。あ、今は六歳だから上手く制御できないのかな。
「うわぁぁ――――ん、ひっくひっく……ぐすん」
「もう、急に赤ちゃんみたいになって。大丈夫よマーガレット、よしよし」
もともとレイティスに抱っこされていたマーガレットだったが、さらにレイティスにギュッと抱き締められる。レイティスの柔らかな胸に包まれながら、あやすように背中を優しく叩かれ、マーガレットの心は落ち着きを取り戻し始めた。
マーガレットの落ち着きを感じ取ったクレイグは、そっと手を伸ばしてマーガレットの手を握る。
「お嬢様、何も気になさらないでください。僕はあなたの従者としてやるべきことをやっただけです。こうして助かったのですから、あの時お嬢様が言ったように良い日として終わらせましょう」
「クレイグ……うん、ありがとう」
そっか、クレイグは私が教会から帰る時に言ったことを覚えていてくれたんだ。
まだ涙は頬を伝っているが、マーガレットも手を握り返して笑顔で応えた。その二人の様子を感慨深く見ていたセルゲイは頷き、ふと『あること』を思い出す。
「良い日といえば、僕たちがここに気付いたのは幸運にも大きな爆発音が聞こえたからなんだ。建物にあいたこの穴のおかげで言葉どおり居場所が一発で分かった。見たところ、爆発物はないようだけど、この穴はどうしたんだい?」
不思議そうに壁の大穴を見つめるセルゲイに、マーガレットとクレイグは顔を見合わせ六歳の子供相応にケタケタと悪戯っぽく笑った。
「ふふ。それは私があけたのよ、お父様」
「え、マーガレットがあけたって。まさかぁ……一応聞くけど、何の道具を使ってだい?」
「もちろん、素手で! ……あのね、聞いて。私、賜物が使えるみたいなの‼」
マーガレットは父親譲りの翡翠の瞳を一等星のように輝かせて自慢げに発表した。しかし、両親から返ってきたのは「「えっ」」という間の抜けた声だった。
「何代も前の先祖に賜物を使えた人がいたってお父様から聞いたことがあるけど、隔世遺伝ってものなのかしら?」
「うちの一族には賜物を使えた人はいないしなぁ……マーガレットは天使のように可愛いからどこかで神様か精霊に気に入られたのかもしれないね。なるほど、するとマーガレットは初めて賜物を使って身体が疲れてしまったのかもしれないな。元気になったらお父様たちにも賜物を見せておくれ」
「ええ、もちろんっ」
両親の話を総合すると、マーガレットが賜物を使えることは非常に稀な例とのことだ。
貴族の場合は賜物を使える者も多いが、それは神や精霊に好かれた同じ一族であることが多く、母のフランツィスカ家も父の実家も賜物には縁がないとのことだった。
ごくたまに神や精霊から祝福を受け、貴族も一般市民も関係なく賜物を使えるようになる者もいるが、その場合は一代限りの場合が多く、賜物の能力もピンからキリまであるため、誰にも明かさずに秘匿する者も多いらしい。
結婚相手が実は賜物持ちだったと、相手が死んでから知るなんてこともあるそうだ。
ゲームをプレイしていた時は賜物って特別感があって憧れていたけど、実際は使えたらお得くらいの雑な扱いのようである。
医者が到着し、マーガレットとクレイグはすぐにその場で診察を受けた。
マーガレットはセルゲイの見立てどおり、賜物使用による疲弊。
クレイグはというと、回復薬のおかげで傷の治りも良好ではあったが大事をとって一日入院となり、すぐに病院へと運ばれる手はずとなった。