第25話 フランツィスカ夫妻
腰まである長い赤毛をヒラリと揺らめかせ、男が気絶したことを確認した女性は武人の顔から母の顔へと戻り、もうひとつの影へと駆け寄った。
「セルゲイっ、二人は大丈夫なの⁉」
「レイティス。あぁ、二人とも無事だ。マーガレットは眠っているよ。余程疲れていたんだろう。クレイグは傷だらけだ、早く治療を……回復薬を頼めるかい?」
「はっ、今すぐ」
と、元気よく答えたのはセルゲイの後ろに控えていた軍事貴族の隊士だ。
数時間前。
マーガレットが行方不明との報せを受けたセルゲイは、私情を挟んで軍を動かすわけにはいかないと悩んでいた。
しかしその時、その場に居合わせた彼ら軍事貴族の隊士たちが自ら捜索の手伝いを名乗り出てくれたのである。
軍事貴族とはいうが、軍には貴族も一般市民も所属している。
いつ何時、他国から攻撃を仕掛けられるか予測できないため、一般市民でも戦い方を学べる場を軍は定期的に設けており、その中から見込みのありそうな者には隊士への誘いがかかることもある。
残念ながら、昇進しても騎士のように爵位がもらえるわけではないが、家族を、人々を、国を守りたいという志の高い者が多く所属している。
隊士の青年はセルゲイに敬礼、レイティスには会釈をして薬を取りに部屋を出て行った。
余裕のない表情のレイティスは、セルゲイに抱っこされた娘・マーガレットの前髪を撫で、寝息を立てている娘の体調を確認する。穏やかな寝顔からマーガレットが安心しきっているのが伝わってくる。
そして、隣のクレイグへと視線を動かし体調を確認した。起きてはいるようだが、声も出せず身体も動かないほど疲弊しきっているようだ。
セルゲイの推薦で娘の従者となってまだ一か月。
クレイグの衣服は血で滲み、ところどころ破れた衣服の穴からはできたばかりの擦り傷や痣が見えていた。レイティスはクレイグの肩を優しく撫でた。
「こんなに傷だらけになって……この子が自分を犠牲にしてマーガレットを守ってくれたのね。何て勇敢な子なのかしら。あなたのおかげでマーガレットは助かったわ、ありがとう……ねぇセルゲイ。フランツィスカの名の下に、クレイグには最高の治療を受けさせて」
「あぁ、もちろんだ。医師にはすでに連絡してあるから直に来るだろう」
「二人とも、無事で本当によかったわ」
感極まったレイティスは、二人を抱きかかえているセルゲイごとギュッと抱き締める。
月の光に照らされたフランツィスカ夫妻(中心にはマーガレットとクレイグもいる)は物語のワンシーンのようにとても絵になり、誘拐犯たちを連行する準備をしていた隊士たちもつい見惚れてしまうほどだった。
隊士たちも邪魔をしないようにと、空気を読んで声を潜めて静かに作業している。
マーガレットとクレイグを抱え、両手が塞がっているセルゲイはレイティスを愛しそうに見つめた。
レイティスは気の強そうな見た目と性格の率直さからキツい女性と勘違いされやすいが、繊細過ぎて不器用に振舞っているだけで本当は心根の優しい愛情深い女性だとセルゲイは知っている。
ある日、セルゲイがレイティス本人にそのことを告げると「そんなこと身近な人間が知っていればいいのだから、わざわざ言わなくていい!」と怒られてしまったことがある。
セルゲイよりも付き合いの長いレイティスの侍女・タチアナによると「レイティス様は恥ずかしがり屋の猫さん」だそうだ。
猫というのは手を伸ばすと、ちょっかいをかけてくることもあれば牙を剥くこともそっぽを向くこともあり、その真意は読み取りにくい。
なるほど、言い得て妙。確かにレイティスっぽい。
と、セルゲイも納得せざるを得なかった。
いつ話しかけようかとタイミングを窺っている隊士の姿が目に入ったセルゲイは、レイティスに何か耳打ちした。するとレイティスはセルゲイに抱きかかえられていたマーガレットを受け取って、何事もなかったかのようにセルゲイの隣へと移動した。
隊士はレイティスに会釈、セルゲイに敬礼をしてから話し始める。
「フランツィスカ卿、建物の制圧完了しました。この部屋以外に賊はいません。賊はこのフロアで気絶していた五名だけのようです」
「そうか、すぐに連行してくれ。彼らには聞きたいことが山ほどある」
「はっ! それと、こちらが回復薬です」
「あぁ、ありがとう。マーガレット、クレイグ。飲みたくないとは思うが体力を回復するために我慢して飲んでくれ」
セルゲイたちは緑色のガラスの小瓶に入れられた液体を子供たちの口に流し込んだ。
ゴクゴクゴク……。
「「グェェーーーッ、にがぁ……」」
あまりの苦さに二人は飛び起きる。飲んだと同時に回復薬が効いてきたようだ。
二人の第一声を、というかマーガレットの一声を聞いて、溜まっていた感情が爆発した人物が口を開く。
「苦いくらい何ともないでしょう! 我慢なさい。それよりも、これは一体どういうことなのマーガレット⁉ 自分がどれだけ危険な目に合ったか分かっているの? あなたの自分勝手な行動が招いたのよ。最近は我が儘も言わずに大人しくなったと思っていたのに、今日という今日は許しませんからねッ!!!」
「まぁまぁ、レイティス落ち着いて。お説教はゆっくり休んでからにしないかい? まずお医者様に体調を診てもらってからでも」
「お、かあさま……できれば、私もそっ、ちのほう、が……」
「マーガレットは黙って聞きなさい! どれだけ心配したと思っているの!? まったく、こんな風に親を心配させるんじゃありませんっ」
「ひゃ……ひゃぃ」
怒り狂いながら涙ぐむ母に怒られて、マーガレットはしょんぼりと縮こまった。