第248話 あま~い誘惑
マーガレットの私室にて。
マーガレットはアリスと並んでソファに腰を下ろし、満ち足りたひと時を過ごしていた。部屋には穏やかな陽光が差し込み、二人を優しく包み込む。
その平穏な空気を噛みしめるほどに、マーガレットの瞳はどこか落ち着かない色を宿していく。
今、私の部屋にアリスがいる。
悪役令嬢の部屋にヒロイン……という、バグのようなシチュエーション。
大丈夫よね? 問題ないわよね?
突然、バッドエンドとか、部屋が爆発したりしないわよね!?
そんな思いは露とも知らず、アリスはマーガレットの部屋に大興奮し、目に焼き付けるように周囲を見渡している。
この部屋だけで、うちの雑貨店よりも大きい。
家具も、物語の挿絵に描かれるような素敵なデザインのものばかり。
あの猫脚の机で勉強されるのかしら。
あちらの天蓋付きの寝台で素敵な夢を見られるのかしら。
対称的な佇まいの二人を観察していたクレイグは、そっとマーガレットの耳元に口を寄せる。
「お嬢様。そろそろお茶の準備をしてもよろしいでしょうか?」
「あ、そうね。お茶にしましょう。お願いするわクレイグ」
浮かれ気分で顔を緩ませていたアリスは、突然何かを思い出したように顔を上げると、勢いよく声を張り上げた。
「あ! ちょっと待ってくださいっ」
突然のアリスの大声に、マーガレット、クレイグ、ターニャの三人は一瞬でアリスに釘付けとなる。
「あの、実はその……私、マーガレット様のお誕生日プレゼントを持ってきて」
「え!? うんうん♪」
「私が用意したものというのが、これなんです」
アリスは足元に置いてあった大きな紙袋から、包装された箱を慎重に取り出した。実は三人とも、その大きな紙袋に何が入っているのか、気になって仕方がなかったのである。
箱をテーブルの上へと置き、アリスは緊張した手付きでゆっくりと蓋を持ち上げた。
すると中には、色とりどりのクリームやフルーツで可愛らしく飾られたカップケーキが山のようにぎっしりと詰まっていた。
プレーンにチョコ、ストロベリーに、アールグレイ、シナモンとカップケーキの生地の種類も豊富だ。
「まあっ、カップケーキ。とっても美味しそう……ねえ、アリス。お茶請けにいただいてもいいかしら?」
「はい、もちろんですっ。マーガレット様のために作ったので、好きなだけ召し上がってください」
「わあ、どのカップケーキを食べるか迷っちゃうわね。とりあえず、チョコとストロベリーと……」
一時間後。
カップケーキを心ゆくまで堪能したマーガレットは、口元についたクリームを取りながら満ち足りた笑みを浮かべた。
「アリスのカップケーキ。とっても美味しかったわ。そういえばクレイグのカップケーキも美味しいのよね、学園が始まったら、今度はクレイグのカップケーキでパーティしましょうよ」
すると、クレイグは躊躇うように静かに首を振る。
「……いえ、しばらくは作りません」
「あら、どうして?」
「…………」
クレイグは心の葛藤を押し隠すように、沈黙を貫いている。その黙り込んだ様子に、何かを隠しているとマーガレットの勘が働いた。
「怒らないから、正直に言って」
僅かに間を置いてから、クレイグは言葉を選ぶようにゆっくりと告げた。
「お嬢様は今日、アリスさんのカップケーキを沢山召し上がりましたので、しばらく量を減らさないと、その……」
「………………え」
皆まで言わなかったが、クレイグのひと言は、マーガレットの顔面に巨大な岩を投げつけたようなそんな衝撃だった。
カップケーキを食べていた手は止まり、そっと皿の上へと置く。
冷静になったマーガレットは、自分の食べたカップケーキを数え始める。
一、二、三……あれ、片手で収まらない……六…………八……きゅうっ!?
ぎ、ギリギリ両手に納まった。
し、しまった。
アリスのカップケーキが美味し過ぎて、つい我を忘れて食べてしまった。
私、絶対にふとっ…………さりげなく、数えてくれたクレイグに感謝。
クレイグへの感謝を胸に、マーガレットは静かに手を合わせて合掌した。その顔には、すべてを達観したような柔らかな笑みが広がっていた。
「クレイグ、ターニャ。明日から秘密の稽古を倍に増やしましょうね」
十七歳になった早々、マーガレットはダイエットの誓いを立てるのだった。
★☆★☆★☆
時の流れを忘れるほど、語らいに花を咲かせていると、時刻は夕刻。
窓の外はもうすっかり闇に覆われ、雪景色は寂しさを増している。
マーガレットとアリスはパーティ用の華やかなドレスに身を包んだ。
マーガレットはマーメイドラインの美しいオリーブ色のドレスに、アリスは腰元のペプラムが魅力的な桜色のドレスへと身を包み、二人は誕生日パーティが開かれる一階の晩餐室へと歩みを進めた。
階段を降りていくと、階下では執事やメイドが忙しなく行き交い、準備に追われる姿が目に入る。その慌ただしさは、お客様の到着を物語っていた。
アリスの案内をクレイグとターニャに任せると、マーガレットは率先して出迎えへと向かう。
エントランスへと乗り付けた馬車の前には、月光を纏ったような銀色の礼服に身を固め、ホワイトゴールドの前髪をオールバックにしたゼファーが佇んでいた。
こちらに気付いたゼファーは満面の笑みを浮かべ、軽快に駆け寄った。
「マーガレット、誕生日おめでとう。またひとつ、大人になったね」
「ようこそいらっしゃいました、ゼファー様。大人といっても私は十七。まだまだ子供ですわ」
「いやいや、もう十分大人だよ。君は年齢よりも大人っぽくてとても綺麗だから、変な虫が付かないか、いつも心配しているんだ。
あと一年待たないと結婚できないのが口惜しい……ああっ、もういっそのこと、このまま君を攫ってしまおうか、ゴフッ」
何者かが、甘い言葉を囁くゼファーを突き飛ばした。
その人物は、電光石火の如く速さで、飛びつくようにマーガレットを強く抱きしめる。
彼女の絹糸のような桃色の髪が夜風に揺れ、美しくなびく。
その人物とは――もう一人のお客様のシャルロッテだ。
目を凝らすと、ゼファーの馬車の後ろに、王家の紋章の入った馬車がもう一台寄せられていた。
あれ、馬車が二台?
いつもなら同じ馬車で来るのに、どうしたのかしら?
果たしてその理由とは……?




