第242話 成金令嬢バネッサは猪突猛進
「それではズバリお尋ねします! 先ほど、アヴェル殿下ととっても良い雰囲気でしたが、お二人は『恋人同士』なのですか?」
バネッサがしれっとした顔で繰り出した禁断の質問に、その場の空気は吹雪が吹き荒れるように凍りつく。
動揺したアリスは目を白黒させながら、
「なななっ、何を言ってるのバネッサぁ!? いひゃっ」
舌を噛みながらも、必死の形相でバネッサの手首を掴むと、急ぎ足で人気のない場所へと連行した。
舌の痛みに耐え、ムスッとした表情で無言の抗議をしてくるアリスに、バネッサは口を尖らせる。
「なによぅ。アリスだって、隣の特等席でうっとりした顔で二人のこと見てたじゃない」
「う、それは……そうなんだけど」
「私たちの学年で一番のウワサといえば、あの二人のことでしょ。新聞部員としても、新聞社の跡継ぎとしても、渦中の相手を前にして話を聞かないなんてバネッサ・ピアソンとしての名が廃るというものよ!」
そうだった。
バネッサって、一度決めたら周りが見えなくなる猪突猛進タイプだった。
猪のように突進してくるバネッサを止めるのは、私には無理かもしれない……。
諦めを悟りながらも、アリスは熱のこもった声で切実な訴えを伝える。
「バネッサ。お願いだから、マーガレット様を困らせるような質問は止めて」
まだ納得のいかない様子のバネッサに、アリスは溜め息をひとつ吐き、冷静に考えを巡らせる。
まずはマーガレット様に、バネッサの失礼な質問を誠心誠意込めて謝ろう。
デリケートなことだし、怒っていらっしゃらなければいいけど。
そう切に思いながらアリスは踵を返した。すると眼前には、後ろで手を組んだマーガレットが興味深々に覗いていた。その背後には、ロマンス小説を携えたクレイグが厳格な態度で威圧している。
アリスが声を発するより前に、マーガレットは左手の人差し指を口元に添えながら、穏やかに質問に答えた。
「んー、私とアヴェルは赤ちゃんの頃から知っている幼馴染みなの。そのせいか、普通よりも距離感が近いみたい」
真っ先に反応したのはバネッサだった。大袈裟に驚きの声を上げ、その場の空気を一変させる。
「えぇぇっ、本当にそれだけですか!?」
「はい、残念ながら」
「ほんとうにぃ~~? オフレコってことで教えてくださいよぅ」
「そう言われても、ただの幼馴染みだし」
「えー……でも少しくらいはときめいて、恋心を持ったことがあるでしょ?」
何度否定しても延々と質問を繰り出すバネッサに、流石にしつこいと感じたクレイグが口を挟んだ。
「ピアソン様。マーガレットお嬢様のプライベートに関わる質問は控えていただけませんでしょうか」
「おぉう、イケメン従者さんのブロックが入るぅ」
「は?」
得体の知れない言葉遣いに困惑したクレイグは、瞼を僅かに引きつらせた。
それを目にしたマーガレットは、堪えきれず柔らかな笑みをこぼす。
「ふふ、クレイグがハンサムだって褒められたのよ……それと、アヴェル殿下は私にとって気心の知れた良き友人であり、頼れる家族のような関係で恋心はありません。これで信じてもらえるかしら?」
「あ、お嬢様」
「ごめんなさい、クレイグ。でもはっきりと答えたほうがすっきりするでしょ」
しっかりと真摯に応じたマーガレットから、バネッサは嘘偽りは微塵も感じなかった。羽根ペンとメモ帳を携えた手は行き場を失くし、羽根ペンの羽根軸で頭を掻く。
何よりもバネッサが驚いたのは、マーガレット・フランツィスカという人物だ。
王太子殿下の婚約者で、将来王妃となることが約束された公爵令嬢。
夜会で遠目に見る、ゼファー王太子殿下の傍らに寄り添うマーガレット様はいつも笑顔で……悪く言うと、笑顔しか印象のない、別世界の近づき難い女性だと感じていた。
でも現実のマーガレット様は、私の頭の中の彼女とは異なる顔を持ち、その飾らない親しみやすさが不思議と私の心を揺さぶった。
うーん。アリスもとても良くしてもらっているようだし、これ以上質問するのは気が引けてきたな。
ううんっ、でも私はピアソン新聞社の後継者バネッサ・ピアソン!
記者たるもの、情に流されるのは禁物だ。だから最後にひとつだけ……。
「あの、マーガレット様はアヴェル殿下と婚約するはずだったのに、ゼファー王太子殿下に横取りされたっていうのは本当なのですか」
「「っ!?」」
先ほどの爆弾質問よりもさらに火薬の多い質問を投下され、周囲は氷点下ほどに凍りつく。質問を受け、眉をハの字にして困った顔をしたマーガレットを視認し、頭に血が上ったアリスは声を荒げる。
「バネッサ、これ以上はやめてッ‼」
しんとしていた図書館にアリスの澄んだ声が響き渡った。
読書に没頭していた生徒、試験勉強に勤しんでいた生徒、課題に頭を悩ませていた生徒たちが一斉にこちらを見やる。中には集中を乱され、睨みつけている生徒もいる。
カウンターの奥では図書委員もこちらに目を光らせていた。
その場には息が詰まるような最悪の気配が漂い、押し潰すような重苦しさが支配していた。
うーん、これはもう退散したほうが良さそう。
不穏な空気を振り払うように、マーガレットは燦燦とした笑顔を輝かせる。
「レポートも終わったし、そろそろ行きましょうか」
「す、すみません、マーガレット様。私のせいで……」
空色の瞳に涙を溜め、アリスはガタガタと身を震わせている。
バツが悪そうにしているバネッサだが、実は温厚なアリスに叱られたことに驚き、ただ黙って立ち尽くしていた。
何事もなかったように、涼やかに、マーガレットはさらりと返事を寄せた。
「何言ってるの。私たちはレポートを終わらせたら、図書館を出る予定だったじゃない。私はこの本を借りてくるから、アリスとピアソン様は先に出ていてね」
マーガレットと三冊のロマンス小説を大事に抱えたクレイグは、カウンターへと向かった。
先に図書館を退室したアリスとバネッサは、薄暗い廊下でマーガレットとクレイグを無言で待っていた。
いつも小鳥のように饒舌なバネッサも流石に反省の色を滲ませたのか、口を閉ざして深い静寂の中に身を沈めていた。
そんな静寂を破ったのは、アリスだった。
「ねえ、バネッサ……高貴な方々の婚約って、そう簡単には解消できないものなのかしら?」
不意を突く質問に、バネッサは僅かに目を瞬かせる。
アリスは誰とも明言しなかったが、バネッサにはそれが誰を指しているか、即座に浮かんだ。
「うーん……私みたいな俄か令嬢と違って、本物のご令嬢って大変みたいだし、好きでもない人との結婚だって普通だもんね。しかもお相手は王太子殿下。ローゼンブルク王国の将来の国王陛下よ。どうしようもないかも」
「やっぱり、そうよね……ふぅ」
アリスの心からの溜め息が、静かに廊下に反響する。
それと同時に、アリスは「あ」と声を漏らした。
「このことは記事には」
「しないよ。記事よりも、アリスにそんな顔させたくないし」
「バネッサ。ありがとう」
心の重荷が解けたように、アリスは朗らかな笑顔をそっと咲かせた。
その微笑みはバネッサにとって、どんな妙薬よりも効く最上の薬であった。
うん、マーガレット様に記者としてプライベートな質問をするのはもう止めよう。新聞部員である前に、新聞社の跡継ぎである前に……私は、アリスの友達だもの。
何よりも私がアリスを傷付けたくない。
アリスを悲しませるなんてありえない。
でも、マーガレット様と仲良くなって、それとなーく聞く分にはいいわよね。
どうしても、真実を追い求める記者の血が騒いでしまうし。
すると何か思い出したらしいバネッサは、快活に声を弾ませ、軽やかに声を響かせた。
「あ、そうだ。今日のお詫びに何か手伝ってほしいことがあったら、何でも言ってね。男子生徒たちの情報もたんまり揃ってますぜ! へへへッ」
心を入れ替えたはずのバネッサは、どこか企むような意味深な笑みをくちびるに寄せている。
その笑顔を前に、一抹の不安がよぎるアリスだった。
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次の物語は――
学園は冬期休暇へと入り、
マーガレットはアリスの実家である雑貨店を訪れます。
乙女ゲームでも登場した雑貨店に大興奮のマーガレットに、
アリスの叔父があることを打ち明けて……。




