第232話 マーガレットの誤算
木の枝に絡みついた思い出の花を取ろうと、マーガレットは兎のようにぴょんぴょん跳ねる。一歩踏み間違えれば、下は沼地だ。
すぐに駆け寄ったアヴェルはジャンプもせずに、その百合のように美しい花を摘んでみせた。
幼馴染みの華麗な手捌きに、マーガレットは驚きの声を漏らす。
「大きくなったわね、アヴィ。私じゃ、花にかすりもしないのに」
「もうあれから十年経ったんだ。大きくもなるよ。それよりも、そこは足場が安定していなくて危ないから、こっちへ」
「ええ、わかったわ」
アヴェルはマーガレットの手をしっかりと握り、安全な地面へと引き寄せた。
すると、何か閃いたらしいアヴェルは微笑みをこぼす。
携えた美しい花を舞台俳優顔負けの仕草で滑らせ、マーガレットの眼前へと仰々しく差し出した。
「麗しのマーガレット嬢。こちらの花は、あなたには劣るが美しい。是非この花を俺と思って受け取ってくれないか?」
マーガレットもすぐに察したらしく、こちらも舞台女優のように大袈裟に手を合わせて感嘆の声を漏らす。
「まあっ、アヴェル殿下。勿体なきお言葉です……たとえこの花が枯れても、自分の一部のように大切にいたしますわ…………ふっ」
堪え切れず、マーガレットは吹き出した。つられてアヴェルも笑い出し、淀んだ沼地に二人の笑い声が響き渡る。
「何だか、六歳の頃に戻ったみたいだ」
「本当ね、よく演劇ごっこに付き合ってくれたものね」
美しい花に目を落としたマーガレットは、そっと顔を寄せて花の香りをくすぐらせる。その姿はまるで絵画のように壮麗で、アヴェルもつい、息を呑むのだった。
「マー、その花はどうするんだ?」
「ん、帰ったらお母様に見せるつもりよ。私が溺れた時の花よって」
淡々と言ってのける幼馴染みに、アヴェルは不安げな顔を覗かせ、ぼそりと呟いた。
「……レイティス様は怒りだすんじゃないか」
「どうかしら。怒るかもしれないし、笑い出すかもしれない」
「ふっ、君たち親子は何だかんだで似ているよな」
先ほどの演劇ごっこは、幼馴染みの二人にとっては子供の頃からの他愛もない戯れだ。しかし、そんなシーンを、何も知らない人物が見たらどう思うかなど、二人は考えもしなかった。
実は小島の木々の陰から、空色の瞳を湖面に映った陽光のように煌煌と輝かせ、アリスが胸を高鳴らせていた。
二人の秘め事に、アリスの心は騒がしく跳ね上がる。
ど、どうしましょうっ。
まるで恋愛小説の、ときめく一頁を盗み見てしまったよう。
少しはお二人の逢瀬のお役に立てたかしら。
「アリス~っ、どこかしらぁー!?」
突如聞こえたマーガレットの呼び声に、アリスはすぐさま木陰から飛び出す。
大きく手を振って、何も知らないように二人と合流したのだった。
「綺麗な花ですねぇ。その花はどうなさったのですか?」
一部始終見ていて把握していたが、アリスは知らぬ存ぜぬで尋ねた。
若干演技がかっていたが、マーガレットは特に気に留めることもなく、さらりと答える。
「アヴィにもらったのよ」
「まあ、素敵です。アヴェル殿下のお気持ちが伝わってきます。マーガレット様にとってもお似合いですね」
アリスの言葉に、マーガレットは目を見開いた。
あれ? これじゃ私とアヴィのイベントみたいじゃない!
光球や思い出の花に夢中になってすっかり忘れていたけど、私にはアリスとアヴィを二人きりにして親密度をアップさせるという崇高な目的があったのだわ!
えっと確か、この光球探しでのアヴェルのイベントは――
マーガレットは光球探しに飽きて休憩。そこでアヴェルとアリスは、二人で森の奥地へと向かう。
その先で、輝く金色のシャワーの美しい光景を見た二人は、お互いの距離も近くなってみたいな感じだったのだけど…………あ、それってさっき見たアレ?
ど、どうしようっ。今さら感動も何もないわよね。
うーん。とりあえず、二人きりにしてみましょう、か。
すると、マーガレットは不自然によろけてみせる。
「んあっ…………私、ちょっと疲れてしまったから休んでおくわ。だから、あなたたちは二人で」
言い終わる前に、アリスはマーガレットの手を取り、気遣わしげに覗き込む。
「ええっ!? 大丈夫ですか、マーガレット様っ。ここは沼地で足場も悪いですから、すぐに休憩できる安全な場所に移動しましょう。アヴェル殿下もそれでよろしいですよね?」
「ああ、もちろんだ。バートレット嬢はマーガレットを看ていてくれ。俺が一人で光球を探してくる」
「いえいえ。私が探してきますので、殿下がマーガレット様を看病なさってください」
どうしてだか、二人はマーガレットの看病を互いに譲り合っている。
口を挟む隙もないほどの真剣な会話に、二人が本気で心配してくれていることが痛いほど伝わってくる。
仮病という虚言を弄した報いか、マーガレットは良心の呵責に苛まれていた。
ど、どうしようっ。
私の思い付きから、大変なことになってしまった。
おずおずと手を挙げたマーガレットは、顔色を窺うように猫なで声を発した。
「あのぅ~、もう大丈夫だから、光球探しを再開しない?」
「ダメです。マーガレット様は安静にしていてください。それに、マーガレット様をお守りするとクレイグさんとも約束しましたから」
何度回復したと訴えても、アリスが首を縦に振ることはなく、心配性のクレイグもどきが増えてしまっただけだった。
結局、アヴェルとアリスは休憩している私の周囲で光球を探している。
私のせいで、二人のイベントが消えてしまった。
「ああ、二人ともごめんなさい」
またひとつ、光球を発見したアリスが労わるように微笑んだ。
「マーガレット様は何も悪くありませんよ。お二人と過ごせて楽しいですし」
すると、光球の入った重い袋を持ったアヴェルも激励を送る。
「バートレット嬢の言うとおりだ。マーガレットが気にすることはない。光球のポイントは十分に稼いだし、もうすぐ終了時刻になる。あとは集合場所に戻りながら探そう」
「え、ええ……そうね」
私が謝罪したのはそちらではなかったのだけど、言えるはずもない。
今はただ、二人のあふれるほどの優しさが辛かった。




