第227話 罰
あれ? 私、この方に見覚えがある。
危機を救ってくれた謎の女生徒の顔をじっと見つめながら、マーガレットは心の奥底に沈む記憶をたぐり寄せていく。
直接的な面識じゃなくて、私が一方的に知っているんだわ。
たぶんどこかで、この方を見かけたことがある。どこだったかしら?
なぜだかベアトリス様が鎧を着て、勇敢に戦っている姿が目に浮かぶ。
私はベアトリス様ではなく、対戦相手を応援していて。
う~ん…………あ、アヴィ!?
ということは、二年前の御前試合?
そうだわ。あの試合でアヴィに勝った女性騎士が、ベアトリス様だわ!
国王主催の御前試合で、王子を負かしたと観衆に騒がれていたから、記憶に残っている。
マーガレットはベアトリスに向き直ると、令嬢のお手本のような気品ある礼をした。その壮麗な仕草に倣い、アリスも心を込めて頭を垂れる。
「お助けくださり、心から感謝申し上げます。騎士様」
「いや、騎士として当然のことをしたまでだ。もし君が怪我をしたら、そこの女生徒だって後悔したはずだ…………あれ?」
ベアトリスの瞳が、マーガレットの燃えるような赤毛に引き寄せられる。やがて、ベアトリスの視線はマーガレットの顔の細部へと移っていった。すると、先ほどまでのハキハキとした話し方が嘘のように、ベアトリスは声を震わせる。
「き、み……もしかしてゼ、ゼファー王太子殿下のご婚約者のマーガレット・フランツィスカ嬢かッ!?」
「はい、そうですが……?」
すると、ベアトリスはスカートであることも忘れて膝を折り、恭しく顔を伏せる。
「こ、これは失礼した、いや、失礼致しました。私の名はベアトリス・ハウと申します。マーガレット様のご明察のとおり、私は第七騎士隊に所属している騎士でございます。私のことは、ベアトリスと気軽に呼び捨ててください」
深々と頭を垂れるベアトリスは、まるで女王にへりくだるように跪いている。
これにはマーガレットもたじろいだ。
ええっ、膝まで突いちゃうの!?
王太子と婚約しているといえど、私はただの公爵令嬢でこんな大袈裟に敬意を払われる謂れはないのだけど……どうしたものかしら。
何となしに距離を埋めるべきだと判断したマーガレットは、頬を綻ばせ、人懐っこい笑みを浮かべた。
「それでは……ベアトリス先輩とお呼びしてもよろしいですか?」
「いえいえ、先輩は不要です。呼び捨てで構わないのですが」
「私たちは助けてくださった感謝の意を込めて、ベアトリス先輩とお呼びしたいのです。ね、アリスもそう思うでしょ?」
マーガレットは右目をパチンと瞬かせ、アリスに向かって軽やかにウインクを投げかけた。瞬時にその目配せの意味を察し、アリスは力強く首を縦に振って同意する。
「はい。よろしければ、私もベアトリス先輩と呼ばせていただきたいです」
「それはもちろん構わないですが……あの、マーガレット様。ひとつ窺ってもよろしいですか?」
「はい、何でしょう?」
マーガレットたちと会話をしながらも、ベアトリスは周囲に目を配っていた。そして不可解なこの状況に眉をひそめる。
「確か、マーガレット様には護衛騎士が同行しているはずでは?」
「そういえば……私もすっかり忘れていました! 階段を下りる時までは、後ろで資料を運んでいてくれていたのに、どうしたのかしら?」
「なっ!? これは由々しき事態です。騎士に何かあったのかもしれません。マーガレット様、別隊である私が、不肖ながらあなたをお守りすることをお許しください。とりあえず、安全な場所に」
ベアトリスが言い終わる前に、マーガレットたちの会話をぼんやりと眺めていたバーバラが口を開いた。
「あの、それについては私たちの友人のひとりが関わっておりまして……」
バーバラの発した言葉に、マーガレットもベアトリスも驚き、目を見張った。
静寂の中、バーバラは落ち着いた声を響かせる。
「友人のひとりが魔法睡眠薬を使いまして、騎士様には眠ってもらっています」
「何だって、騎士が魔法睡眠薬にやられるだと!? 騎士はある程度の薬には耐えられるように訓練しているんだぞ!」
「はい、今日という日のために最上級のものを用意しましたので」
ベアトリスの凛と引き締まった顔立ちは、一瞬にして侮蔑を帯びた表情へと変貌した。冷ややかな視線を刻んだベアトリスは、バーバラたちを蔑むように見下した。
「穏便にすまそうと思ったが、そこまでして将来の王太子妃に害をなすつもりだったのだな。これはゼファー殿下にご報告すべきか……下手をしたら懲罰房に入って尋問だが」
「ひっ、それだけは勘弁してください。私たちはただ……」
そこまで言うと、バーバラは悔しそうに唇を噛んで口をつぐんだ。
フェデリコ先生のためとゼファー様に知られてしまったら、またどんな恐ろしい仕打ちが『フェデリコ先生』に振りかかるか想像もできない。
バーバラ様たちは、フェデリコ先生を守りたくて私に注意しただけ、なのよね。
一度は仲を疑われたフェデリコ先生と仲良くしてしまった私の行動は、実際軽率だっただろう。
もしバーバラ様たちが注意しなかったなら、いつの間にかウワサは広がり、ゼファー様も疑いの目を向けたかもしれない。
……うん。
バーバラ様たちのやり方は褒められたものではないけど、未然に防いでくれたことには感謝すべきだわ。
マーガレットはふぅと息をひとつこぼす。そしてバーバラたちを庇うようにゆっくりと前へと進み出た。
「お待ちください、ベアトリス先輩。私はそちらの方々から、私の誤った行為について注意を受けただけです。その注意に、私が反省すべき点があったのは事実ですから、できればこのことは内々に済ませたいと思っております」
マーガレットの真摯な眼差しと懇願の声に、何か感じ取ったベアトリスは顎に手を添えると、冷静な口調で言葉を返す。
「その注意については触れないほうが良いということですね、マーガレット様」
「はい。私たちだけの問題では済まされなくなってしまいますので」
「……なるほど」
ベアトリスは女生徒たちの顔を順々に見回していく。
女生徒たちは皆一様に下を向き、落ち着きなく目を泳がせ、恐怖に顔を凍りつかせていた。
『ゼファー殿下』と『懲罰房で尋問』というワードが彼女たちの良い薬になったようだ。
これならば、マーガレット様の願いを聞き入れても問題はないか。
だが、彼女たちが暴力を振るったという行為は決して消えることはない。
彼女たちを許すというのなら、相応の誓いをその魂に刻まなければならないだろう。
ならば、どうするべきか……。




