第215話 お見舞いの名を借りた訪問
ローゼンブルク城。
翡翠宮の一角、シャルロッテの私室にて。
「マーガレット。お休みの日だけじゃなくて、毎日でも遊びに来ていいのですよ」
「そうは言っても、私だって学生なのだから毎日は無理よ。あなたが早く学園に戻って来なさい、シャルロッテ」
「もう、マーガレットの意地悪っ」
二週間の謹慎を言い渡され、暇を持て余したシャルロッテのもとへ、マーガレットは足を運んでいた。謹慎といっても、例のクラマーとの飲酒事件を知っているのは、ごく一部で口止め済みである。
学園では、シャルロッテは急病で倒れて療養中だと生徒たちは信じている。
皆が信じて疑わないのは、従者ミゲルの鬼気迫る一声のおかげだろう。
当のミゲルも、主人のシャルロッテから目を離して不測の事態を招いたと注意は受けたが、お咎めはなし。もちろん、護衛騎士たちもだ。
ということで、今もシャルロッテの後ろには紅茶のおかわりを淹れようかと、思い悩む普段通りのミゲルが佇んでいる。
クレイグはそんな様子のミゲルに目をやり、小声で助言しているようだ。
―カンコンカンコン。
すると、板をトンカチで叩くような小さな槌音が、マーガレットの耳に微かに届いた。
シャルロッテの部屋に着くまでも、廊下に響き渡っていたけど……。
「そういえば、翡翠宮は工事か何かしているの?」
「ええ、お母様のお部屋を改装しているのです」
「あら、そうなの。誰か住むの?」
何気ないマーガレットのひと言に、シャルロッテは薄紫の瞳を大きく見開き、くちびるをつんと尖らせる。
「もうっ、マーガレットったら鈍いんですから」
「え?」
「お母様のお部屋といったら、翡翠宮の主人の部屋。つまり、二年後のマーガレットのお部屋よ」
「え、ええぇぇぇぇ―――~っ…………私?」
自分に人差し指を向け、マーガレットは可愛らしく首を傾げる。その様子から点と点が繋がらず、ピンと来ていないのだとシャルロッテにも伝わった。
紅茶に垂らしたミルクをティースプーンでかき混ぜながら、シャルロッテは言葉を紡ぐ。
「そうですよ。結婚してすぐに住めるようにと、お兄様が改装工事を始めたの。少し前から片付けで大変だったのですから」
「へえ、そうなんだ」
「ローゼンブルク城は国王であるお父様の居城ですけど、翡翠宮は王太子のお兄様の領分ということに、えっと、この前のナントカって会議で決まったの。そして、お父様が国王としてご健在の間は、マーガレットはここにお兄様と住むのですって」
マーガレットは優雅に紅茶を口にしながら、シャルロッテの話に耳を傾けていた。
あと二年もすると、シャルロッテに会いに子供の頃から通っていたこの翡翠宮に、どうやら私も住むらしい。
……それにしても、ぜんっぜん現実味がない。
まるで霧がかかった靄の中を突き進んでいるみたい。
―コンコンコン。
すると、扉を叩く乾いた音が響いた。
返事も待たずに扉を開けたのは、今話題にも上がっていたゼファー本人だった。
ゼファーはマーガレットを視界に捉えると、その紫色の瞳を一等星のように煌めかせる。
「やあ、マーガレット! 君が来ていると耳にしたものだから、居ても立っても居られず、駆けつけてしまったよ。パーティでは君にも迷惑をかけたようだね。シャルロッテのためにすまない」
「あ、いえ。その、贈って頂いたドレスを汚してしまって申し訳ありません。素敵なお召し物でしたのに」
「ん? 気にすることはないよ。それよりも君に被害がなくて、本当の本当によかった」
「んもう、お兄様ったら! ワタクシは被害にあったのです。可愛い妹の心配もしてくださいな」
頬を膨らませて、ふくれっ面になったシャルロッテは、ゼファーの腕を軽く叩いて抗議している。しかしその愛らしい仕草も、ゼファーには効果はないようだ。
「シャルは被害者でもあるが、甘い言葉に騙されて自分から男と二人きりになって、酒まで飲んで自業自得だろう」
「んもぅっ、お兄様もお父様も、そればっかり! 冷たいんだから」
「『冷たい』だって? 反省した者の台詞とは思えないな。もう少し謹慎日数を増やすべきだと、父上に進言するべきか……」
「ひぃっ、それだけは……すみません。シャルは反省しております。すべてワタクシが悪いのデス」
紅茶の中のかき混ぜられたミルクのように、瞳をグルグルと回したシャルロッテは、頬をヒクヒクと引きつらせて、取り憑かれたように謝罪の言葉を繰り返している。
そんな悲痛のシャルロッテに改心の一撃を食らわせるかの如く、ゼファーは追撃の言葉を連ねる。
「そうだ。父上の計らいで、明日から家庭教師のバルトロ先生を付けて、もう一度、王女としての振る舞いを再学習させるそうだよ。バルトロ先生は大変厳しいことで有名な方だ。明日から忙しい日々になるな、シャルロッテ」
「……ウソ。バルトロ先生って、いつもお尻叩き棒を持っているという、あの?」
「そんなに怖がることはないよ。私もマーガレットもバルトロ先生の教え子だが、一度も叩かれたことなんてなかった。マーガレットもそうだろう?」
「はい、私も一度もありません。とても真剣に教えてくださる良い先生ですわ」
二人のバルトロ先生の人物評を横目に、シャルロッテは開いた口が塞がらなかった。
バルトロ先生については、妃教育を受けていたマーガレットから聞き及んだ記憶があるが、会話の百分の一も理解が追いつかなかったのである。
この二人の成績は上の上。
対してシャルロッテは、幼児専門の優しい先生でも匙を投げる下の下の下。
フフフ、控えめに言って無理です。
こうなったら明日は仮病を……いえ、逃げるしか!
シャルロッテの頭の中を開いて覗いたように、ゼファーは力強い口調で付け加えた。
「ちなみに、どんな理由であっても授業を休んだら、謹慎期間が延びていくから逃げないように……永久に学園に通えなくなるよ」
「んなっ!? ああぁぁぁ~っ、ワタクシって、どうしてこう不幸なのっ」
シャルロッテは恋に敗れた悲劇のヒロインのように床に手を突き、その場にガクッと膝を折って崩れ落ちたのだった。




