第214話 あなたとダンスを
静寂に包まれた馬車の中、マーガレットとクレイグは言葉を交わすことなく、ただ沈黙に身を委ねていた。しかし、身を委ねていたのはクレイグだけで、マーガレットはその実、非常に困惑していたのである。
つい先刻、わだかまりの原因は『嫉妬』であると、マーガレットはその胸に秘めた劣情を告白した。それなのに、その告白を受けたクレイグは俯いたまま、沈黙を貫いているのである。
ねえ、どうして黙っているの、クレイグ?
そりゃあ、勝手に焼きもちを焼いて、クレイグに余所余所しくしてしまったのは私だけど……それにしても、好きな人からの反応が薄いって、こんなに悲しいものなのね。
石畳を叩く規則的な馬蹄の音とともに淋しさは募りに募り、クレイグにベタ惚れなのだと改めて思い知ったマーガレットは照れ隠しに目を瞑る。
ううぅ、お願いだから、何か言ってちょうだいっ!
すると突然、クレイグがふふっと声を漏らした。
どうやら黙していたのではなく、笑いを堪えていたようだ。
マーガレットが顔を上げると、そこには自信に満ちた眼差しが広がっていた。口元に微かな笑みを灯し、クレイグは強気に言葉を解き放つ。
「それだったら、僕の勝ちですね」
「え」
「僕はお嬢様が誰かと踊るたびに、そういう気持ちになっていましたから。お嬢様が踊ったのは全部で十二人。僕はお嬢様の十二倍、嫉妬心を抱いた。全員の名前を憶えていたのでわかったでしょう? お嬢様の焼きもちなんて、子供の戯れのようにまだまだ可愛らしいものですよ」
「んなっ! そんなことないわ。私のほうがクレイグの何十倍も妬いてっ…………ふふ、変なの」
先刻まで険悪だったのが噓のように、二人は笑い合った。
踊った相手に、お互いに嫉妬していたなんて、心配していた自分が馬鹿みたい。
もうゲームのイベントとか、好感度とか、どうでもよくなっちゃったじゃない。
その事実に辿り着いただけで、マーガレットは心の荷が下りた気がした。
胸のつかえが取れたのはクレイグも同様のようで、軽やかに言葉を紡ぐ。
「せっかくですし、踊りませんか?」
「え? でも、馬車の中じゃ」
クレイグは悪戯な笑みを浮かべると、マーガレットの左手にそっと手を伸ばし、ゆっくりと引き寄せた。導かれるままに腰を上げたマーガレットは、クレイグの膝の上に滑るように腰を下ろし、クレイグの熱い両腕に包み込まれる。
体重のかかった互いの身体はぴたりと密着し、マーガレットの心臓とクレイグの心臓の鼓動が共鳴するように、ひとつに溶け合っていく。
クレイグはマーガレットの頬に顔を寄せると、蜜のように甘く囁く。
「チークダンスなら、馬車の揺れでそれらしくなるでしょう」
「えぇ!? チークダンスって」
―それって、頬を寄せ合って踊るという、あの恋人同士っぽいダンスのこと?
自らの発言に気恥ずかしさを覚えたクレイグは、動揺を隠すように囁くように語りかける。
「その純白のドレスも、いつもより清純そうに見えて大変似合っています」
「こ、これはアリスのために用意したもので……って、その言い方だと私が清純じゃないみたいじゃない!」
「お嬢様は清純そうには見えません」
「あ、あなたねえ」
従者の不敬な発言に、流石のマーガレットもクレイグを睨みつけた。
しかし、その刺さるような視線を堪能するように、クレイグはじっくりと言葉を紡いでいく。
「……どうしたって、お嬢様は人の目を引く華やかな美人でしょう。紫紺のドレスを着たあなたは本当に…………お嬢様の言葉を借りるのならば『きゅん』として、目のやり場に困りました」
「えっ、きゅんって、私に?」
じゃあ、クレイグがときめいた相手って、私だったってこと?
何だかそれってすごく……胸の奥が、ざわざわする。
表情はいつも通りだったけど、クレイグったら目のやり場に困ちゃってたんだ。ふふ。
マーガレットは湧きあがる笑顔を必死に堪えようと、くちびるをぎゅっと結んだ。しかし、つい頬が緩み、絶妙に頬を引きつらせた滑稽な表情になっている。
マーガレットの複雑な表情を眺めていたクレイグは、穏やかな笑みをこぼした。
だが、何かを思い起こしたように苛立ちを込めた低い声音で呟く。
「でも、それは他の男子生徒たちも同じだったようですけど」
「え?」
「まったく。ゼファー殿下には、もう少し学生らしいドレスを贈ってもらいたいものですね」
クレイグの言葉に、マーガレットは開いた口が塞がらない。
それってもしかして……。
「待って。目のやり場に困っていた人が沢山いたの?」
「ええ、遠くから見ている生徒たちは、男女関係なくお嬢様を盗み見ていました。ダンスを踊った方々は、踊っている間、目のやり場に困っている方が大半でしたね」
「そう、だったの」
そっか、全然気付かなかった。
じゃあ、私、悪目立ちしていたってこと?
う、ウソでしょう。目立たず騒がずが、学園での目標なのに。
悪目立ちって、悪役令嬢の領分に入るのかしら。
マーガレットは脳内で反省会を済ませると、くしゅんと肩を落として静かにクレイグの肩に顔を埋める。
不意に、クレイグは鋭くも真剣な眼差しでマーガレットを見据えた。そして、抑えきれない苛立ちを滲ませながら、不愉快な事実を告げた。
「それと、マティアスとミルドー侯爵令息は、躊躇なくお嬢様の胸元を覗いていました。この二人には、これからご注意ください………………以上です」
「わ、わかったわ。気を付ける。でももう終わり? クレイグのお説教が短いなんて、明日は雪でも降るのかしら」
「今日はもういいんです。その純白のドレスで踊ったのは僕だけで、気分がいいので」
「ふぇっ……もうっ、あなたってとんでもない従者ね」
「従者のダンス相手に嫉妬するお嬢様も、とんでもないですよ」
「それは、私の勝手でしょ…………ねえ、クレイグ」
するとマーガレットは熱を帯びた瞳でクレイグを真っ直ぐに見つめ、そっとその頬に頬を寄せた。伝わる頬の温もりに微かに声を震わせながら、マーガレットはささやかな願いを吐露する。
「しばらくこうしていても、いい?」
「…………あなたが望むのなら、いつまでも」
二人は屋敷に到着するまで、ひと言も言葉を交わさなかった。
聴こえていたのは馬車の音と、互いの吐息、そして高鳴る胸の鼓動だけだった。
★☆★☆★
後日。
シャルロッテは綺麗な身体のまま、事なきを得ていたことが判明した。
『蝶々姫』なんてふしだらな呼称の王女ならいいだろうと、ジェンキンス・クレマーは度数の高い酒をグラス一杯、シャルロッテに飲ませたらしい。
どんな目的で飲ませたかなんて、考えることすら耐え難い。
シャルロッテはすぐに酔いが回って眠ってしまったが、クラマーの邪悪な感情を読み取ったシャルロッテの賜物『人格防御』が、鉄拳制裁を食らわせてクラマーを昏倒させた。
そしてパーティ会場へと逃げ果せたシャルロッテの賜物は、安全を確認したのち、酔っぱらったシャルロッテと入れ替わったのではないか、という見解で王家と学園は落ち着いたそうだ。
事件の加害者のジェンキンス・クラマーは、静かに学園を去った。
ジェンキンス・クラマーの被害にあった女性は、シャルロッテだけではなかった。侯爵家の圧力によって泣き寝入りした女性たちが、両手の指では足りぬほど存在していたのだ。
しかし命運も尽きたのか、国王の逆鱗に触れたクラマー侯爵家は、召集された被害女性たちの証言により、内々に爵位を剥奪され、平民へと落とされた。
ジェンキンスに至っては、流刑に処されたと伝え聞いている。
騒動を起こした張本人のシャルロッテはというと、『二週間の謹慎』と『パーティ参加半年間禁止』を言い渡された。謹慎が解けたあとも、シャルロッテのパートナーは王家が指名した信頼に値する男子限定と決定したようだ。
シャルロッテの自業自得なのだけど、シャルロッテの嫌がる顔が目に浮かぶ。
二週間も謹慎じゃ、シャルロッテも淋しいだろうから今度遊びに行かなくちゃね。
こうして、長い長い新入生歓迎パーティは幕を下ろしたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次の物語は――
謹慎で暇を持て余したシャルロッテのもとを訪れたマーガレット。
すると、どこで嗅ぎつけたのか、ゼファーが現れ……。




