第210話 パーティのあとに
シャルロッテの騒動のあともパーティは続き、生徒たちは笑い声やダンスに身を委ね、束の間の宴を心ゆくまで楽しんだ。
こうして、新入生歓迎パーティはどうにか幕を下ろした。
その裏で、事情を知る数名の生徒会役員と教師たちはクラマーから事情を訊いたり、王家に連絡を取ったりと目が回るような忙しさであった。
そんな由々しき事態になっているとは知らないシャルロッテは、救護室の寝台の上で幸せそうにすやすやと寝息を立てている。
シャルロッテに抱きつかれた際に酒をこぼされ、ドレスを汚してしまったマーガレットは、アリスのドレスに不備があった場合にと持参したオフホワイトのドレスに着替え、アリスとともに寝台の傍らでシャルロッテの目覚めを待っていた。
そのシャルロッテはというと、酔い潰れて一向に目を覚ます気配はない。
クレイグとアリスのダンスの件も相まってか、マーガレットの胸中は荒々しく波立っていた。するとマーガレットは、普段より濃い化粧をして眠るシャルロッテの頬を、人差し指でツンツンと突っつき始める。
驚いたアリスは、シャルロッテを起こさないようにマーガレットの耳に顔を寄せて、小声で「ダメですよ」と囁く。
「いいのよ、アリス……後ろのミゲルを見て。自分が目を離したせいで、シャルロッテがクラマーに何かされたんじゃないかって泣いてるわよ、もうっ」
壁際に佇むミゲルは、同じ従者仲間で気心の知れたクレイグに肩をさすられて、慰められている。
まさか、シャルロッテが男子生徒と二人きりでお酒を飲むなんて……。
ゲームのシャルロッテはここまで奔放じゃなかったのに。
―カチャ。
救護室の扉が開いた。
入室したのは生徒指導のマルティネス先生と、保険医のネルソン先生、そしてネルソン先生の助手が二人。全員女性だ。
マーガレットとアリスは椅子から立ち上がると、先生方に会釈をする。
お母様から聞いた話だが、マルティネス先生はお母様が学園に通う頃から、生徒指導をしていたそうだ。
お母様が通う頃は乱暴な生徒が一部いて、その生徒たちと拳で語り合い、先生の通った跡には、気を失った生徒たちが積み上げられていたらしい。
お母様がこっそり教えてくれたのだが、その乱暴な生徒の中にはお父様も含まれているそうだ。お母様も学年が違うので直接見たわけではないが、お父様の友人が教えてくれたと自慢げに語っていた。
今の、虫も殺せないほど優しいお父様からじゃ、全然想像できないわね。
生徒指導のマルティネス先生がいらっしゃったということは、シャルロッテがお叱りを受けるのかしら?
マルティネスはマーガレットとアリスに目を向けると、優しく微笑みかけた。
「アリスさん。あなたの叔父様がお迎えにみえたようですから、一緒にお帰りなさい」
「え、ジョセフ叔父さんが」
「あなたが帰宅時間を過ぎても帰らないことを心配して、迎えにいらしたのでしょう。夜道の女性の一人歩きは危険ですもの……特にあなたはころっと騙されてしまいそう」
「で、でも」
空色の瞳を瞬かせたアリスは、マーガレットと眠っているシャルロッテを交互に捉えると、静かに黙り込む。その沈黙が、「帰りたくない」と語っていた。
心配してくれてるのね。ありがとう、アリス。
マーガレットは柔らかな微笑みを浮かべ、アリスの肩を抱き、澄んだ声で言葉を紡いだ。
「私たちのことは心配しないで。あなたは叔父様と帰ったほうがいいわ。本当はウワサの叔父様にご挨拶したかったのだけど、それはまた今度にと、謝っておいてね」
「そ、そんな……謝るも何も、マーガレット様にそんな風に言ってもらえたと知ったら、叔父も喜びます」
するとアリスは黙り込み、静かに思案を巡らせる。
熟考の末、顔を上げたアリスは晴れ渡った空色の瞳をマーガレットへと向けると、残念そうに言葉を告げた。
「…………わかりました。私はこれで失礼します」
「ええ、また週明けに会いましょう」
「はい! あ、あの、マーガレット様もお気をつけて。それでは失礼します」
深く頭を下げ、アリスはその場にいた全員に一礼した。眠るシャルロッテに後ろ髪を引かれながらも、救護室をあとにするのだった。
アリスの足音が遠のくと、マルティネスはマーガレットにそっと視線を向け、穏やかに笑いかける。
その笑顔には相手を落ち着けるような、不思議な安らぎが込められていた。
「それでは、マーガレットさん。
シャルロッテ殿下に最初に駆け寄ったのは、マーガレットさんだったとアヴェル殿下からお聞きしました。別室でお話を伺ってもよろしいですか?」
「はい、もちろんですわ」
「では、私の後についてきてください。ミゲルさん、クレイグさん。あなたたちもですよ」
マルティネスの言葉に全員素直に従うと思われたが、物事はそう簡単には運ばなかった。ミゲルが悲壮な表情を浮かべ、嘆くように訴え出したのだ。
「マルティネス先生! 僕はシャルロッテ様が起きるまで、ここにいますっ。僕のせいで、シャルロッテ様がこんな……うぅ」
ミゲルは大粒の涙を流して、膝から砕けるようにその場に崩れ去った。傍にいたクレイグは、泣き咽ぶミゲルの背中をさすって励ましている。
その悲痛な光景を目にしても、マルティネスは心を動かされることもなく、冷静にミゲルに告げる。
「……まず言っておきますが、この件はミゲルさんのせいではございません。話を聞くかぎり、原因は渦中の二人にあるのは間違いないです。もちろん、あなたの従者としての後悔の念は理解できます。しかし、ここにいてはなりません」
「な、なぜですかっっ!?」
ミゲルの剣幕に、マルティネスは重い溜め息を吐くと静かに語り出した。
「……本当は教えるつもりはなかったのですが、仕方ありません。これからシャルロッテ殿下には、ネルソン先生たちの身体検査を受けてもらいます。これは一刻を争います。ミゲルさんだって、シャルロッテ殿下が酷い目に…………はぁ。これ以上、言わせないで」
「っ!!?」
ミゲルの顔から血の気が引き、心臓を掴まれたように青ざめていく。
シャルロッテの傍にいたいという、ミゲルの気持ちは理解できる。
でもシャルロッテは泥酔していて事情が聞けないから、真実が見えてこない。
だから……身体検査は早めのほうがいいのも本当だ。
すると事情を理解したミゲルは、魂が抜け落ちたように力なく床に倒れ込んだ。
クレイグは瞬時にミゲルの肩に手を伸ばして抱き止めると、マルティネスに向かって落ち着いた口調で告げた。
「彼は僕が連れて行きますので、別室に移動しましょう」
「ええ、そうね。ありがとう、クレイグさん」
「僕のせいだ。どうしよう。もしシャルロッテ様が傷つけられていたら……」
ミゲルの消え入りそうな声はマーガレットとマルティネスには届かなかったが、肩を貸すクレイグにだけは鮮明に聞こえていた。
もし、マーガレットお嬢様がそんな目に合ったら、僕ならきっと、理性を保っていられず、相手を傷つけてしまうだろう。
主のことをまっすぐに想うことができる君は強いよ、ミゲル……。




