第206話 パーティの幕開け
パーティ会場であるダンスホールは、生徒たちの熱気と興奮でざわめき、開会の合図を今か今かと待ち望む生徒たちの期待が、会場の空気を震わせていた。
マーガレットやアヴェル、そしてアリスも、生徒会運営の開会宣言を待ちながらダンスホールで談笑している。
すると壇上に、生徒会長のラウルが颯爽と姿を現した。傍らにはアンナマリアが寄り添い、二人は和やかに壇上の中央へと歩みを進める。
二人に気付いた生徒たちは「始まるぞ」と囁き合い、会場全体が一斉にラウルに視線を注ぐ。
ダンスホールにいる全生徒の視線を一身に受けたラウルは、皆の視線に緊張する素振りもなく、いつもと変わらず不敵な笑みを浮かべている。
アンナマリアはというと、緊張しすぎて目を瞑ってしまったようだ。
すると、煌煌と照らされていたシャンデリアの明かりが消え、世界は暗転する。
ダンスホールは暗闇に包まれ、壇上のラウルにだけ、ひと筋のスポットライトが降り注いだ。堂々とした表情を浮かべ、ラウルは厳かに言葉を解き放つ。
「一年生の諸君。入学して約一か月、学園にはもう慣れただろうか。まだ慣れていない者も、このパーティが始まったらもう学園の仲間だ。思いきり楽しんでくれ……しかし、羽目を外しすぎてはいけないぞ。わかったな!?」
「「おお———っ!」」
高揚した男子生徒たちの熱気あふれる声が、ダンスホールを揺らすように響き渡った。女生徒たちも楽しげな笑い声を弾ませ、一気に華やいでいく。
ラウルは傍らのアンナマリアの手に手を重ね、熱を帯びた視線で見つめると、生徒たちを沸かせるように低音を響かせる。
「お前ら、ファーストダンスの相手は決まったか!?」
「「おお——っ」」
いつの間にか、会場にはドラムロールの期待を煽る音が鳴り響いていた。
「よしっ! だったら後腐れないようにパーティを楽しめよ」
ラウルが楽団に合図を送ると、ドラムロールから一転して重厚なクラシックの音色がダンスホールを包み、会場は一気に貴族のパーティらしい荘厳な空気を漂わせた。
ダンスに参加する者は残り、参加しない者は壁際へと一斉に退いていく。
アリスはマーガレットに駆け寄ると、「私は皆さんと一緒に下がっています」と告げ、クレイグたちとともに後退していった。
しかし、下がる途中、アリスにダンスを申し込む男子生徒も現れた。
アリス、大丈夫かしら。
そういえば、もしアリスが最初に踊った相手が攻略対象者でない場合って、どうなるんだろう?
心配そうにアリスの姿を目で追うマーガレットの耳元で、アヴェルがそっと囁く。
「マーガレット、今は俺とのダンスに集中してくれ」
「そうね、ごめんなさい……あれ? アヴィと踊るのってすごく久しぶりだわ」
「ああ。八歳の頃の、兄上の祝賀パーティ以来だ……それ以降は、兄上がマーと踊らせてくれなかったから」
「そっか……」
アヴェルと繋いだ手をギュッと強く握ったマーガレットは、翡翠の瞳をキラリと輝かせて微笑んだ。
「じゃあ、今日は思いっきり踊りましょう!」
「……ああ」
マーガレットの想いに頷くように、アヴェルも繋いだ手を優しく握り返し、二人だけの小さな約束を交わす。
ダンスを踊っている間、マーガレットはアリスの攻略イベントのことはすっかり頭から抜け、アヴェルとのダンスに興じた。
もし、ゲームのとおりにアヴェルと婚約していたのなら、私たちはこうして八歳からダンスを踊っていたのかしら。
ゼファー様との八年間を思い返すと、たとえ幽閉されても、アヴェルと婚約したほうが気は楽だったのかもしれない。
でも、私が好きなのは…………。
瞼の裏に浮かんだ仏頂面の従者の顔に、マーガレットは笑みをこぼすのだった。
ダンスの曲が変わり、マーガレットとアヴェルのダンスは時の流れに溶けるように終わりを告げた。二人は互いに顔を見合わせて、にっこりと微笑み合う。
「ふふふ、ここからが大変よ。アヴィ」
「あ、ああ……できれば早く帰りたい」
マーガレットの視界からは、アヴェルの背後でダンスを申し込もうと待ち構えている、三十名ほどの着飾った女生徒たちが見えていた。彼女たちのギラギラとした鋭い瞳は、まるで獲物を狙う獰猛な肉食動物のようだ。
アヴェルがどうか狩られてしまいませんように……。
あ、よく見るとシャルロッテもいる。
さっきもアヴェルと踊りたそうにしていたし、この状況を利用して踊るつもりね。
アヴェルの境遇にすっかり同情したマーガレットは、優しく励ますように声を掛けた。
「じゃあ、少し早めに帰りましょう。それまで、気をしっかり持って!
私はアリスと一緒に壁の花になって待っているわ」
マーガレットの励ましの言葉に、アヴェルは眉を寄せ、同情しているような哀愁漂う苦笑いを浮かべる。
「……マーも、どうやらそうはいかないみたいだよ」
「え?」
アヴェルの視線をたどり、踵を返す。すると、二十名ほどの男子生徒たちが期待に満ちた眼差しでこちらを見つめていた。
「う、うそ……私と踊るの?」
「どうやら、兄上への恐怖よりも君の魅力が勝ったみたいだ。お互い頑張ろう。またあとで」
そう言ってアヴェルが手を離すと――
「マーガレット様」
「ぜひ僕と」
「いえ、私と」
我先にとダンスを申し込むべく、男子生徒たちが雪崩れ込むように次から次へと言葉が押し寄せる。
マーガレットは声を失い、呆然とした。
この人たちは、私と仲良くしたフェデリコ先生が爵位を奪われかけたことを知らないのかしら。それとも知っていてダンスを申し込んでいるの?
あーもうっ、それなら仕方ない。
とりあえず片っ端から踊って、こんなに踊ったのならどうしようもないってくらい、ゼファー様の嫉妬を分散させるしかないわ。
よそ行きの笑顔を周囲に振りまきながら、マーガレットは決意するのだった。




