第203話 ウワサの二人
新入生歓迎パーティの会場近くの馬車乗り場は、馬車がひっきりなしに降車と出発を繰り返し、到着した生徒たちで大いに賑わっていた。
マーガレットとアヴェルが乗車している王家の紋章の入った馬車が近づくと、馬車の整理係のボーイが、道を塞ぐ他の馬車を急かすように追い立て始める。
王家の馬車は程なく停車し、従者たちが周囲を隅々まで確認する。
扉からアヴェルが顔を覗かせると、入り待ちしていた女生徒たちの息を呑む声が波のようにさざめいた。
女生徒たちの熱を帯びた視線など気にすることもなく、アヴェルはマーガレットに手を差し伸べる。
「さあ、足元に気を付けて」
「ありがとう、アヴィ」
すると、馬車から姿を現したマーガレットの姿を見た野次馬たちから、溜め息に似たどよめきが広がった。個々の声は小さいが、重なり合うと地割れのように響き、それはマーガレットの肌を震わせ、皆の視線が自分に注がれていることを報せていた。
「な、何だかとても目立ってるみたいね」
「……マーガレットが綺麗だから見惚れてるんだろ」
「ええ!? もうアヴィったら、いつからそんな軟派なことを言うようになったの。それに女生徒たちが見惚れているのはアヴィだし。きっとダンスのお相手が大変ね」
「うーん……それは否定できないな。隙を見て早めに帰ろうか」
「ふふ、そうしましょう」
笑顔を浮かべつつも、周囲から奇異の視線を向けられていることが、マーガレットは気になっていた。
これまでもゼファーの婚約者として、特異な目で見られることが日常ではあった。しかし、今日の生徒たちの視線は何だかとてもこそばゆい。
もしかして、アヴェルに向けられる女生徒たちの期待の眼差しなのかしら。
王子妃になろうとアヴェルを狙う欲深い令嬢もいそうだし……頑張れアヴィ。
悪い令嬢には騙されないで。
皆の視線の異質さ――その視線の正体は、マーガレットの息を呑むような美貌に心奪われた者たちの、羨望の眼差しだった。
マーガレットの豊満な谷間を見られるのではと期待していた男子生徒たちだったが、そのピンク色の淡い期待はゼファーの策略によって見事に打ち砕かれた。
しかし、胸元を覆うレースから想像される豊かな胸に妄想を掻き立てられる者たちも多く、結果的にゼファーの作戦は失敗に終わったようだ。
さらにウワサ好きの女生徒たちは、マーガレットとアヴェルの仲睦まじい姿を見て、弟王子とその兄の婚約者の『禁じられた恋』に想いを膨らませ、だらしなく上がる口角を隠すのに必死である。
もちろん、アヴェルの妻の座を狙う者たちもいる。
自らの野望に燃える令嬢たちは、互いを牽制し合うように、後方からじっくりと獲物を狩るように牙を研いで見守っている。
マーガレット様は、ゼファー殿下のご婚約者なのだから対象外よ。
寧ろ将来の王妃候補なのだから、仲良くしたほうが得策。
と、あれこれと思考を巡らせているようだ。
そんな様々な思惑が混じった視線を一身に浴びる二人に、一組の男女が近づいた。
互いの色を衣装に纏い、腕を組み仲睦まじく寄り添った男女は、ラウルとアンナマリアだ。ラウルは堂々とした表情を湛えながら、にこやかに微笑みかける。
「アヴェル殿下、マーガレット嬢。すっかり注目の的ですね」
「ラウル生徒会長。カレドニヒ嬢もご機嫌麗しく。あなた方が話しかけてくれて助かりました。俺たちは悪目立ちしているようで、心許なかったのですよ」
学園で出会うたびに、ラウルから生徒会への勧誘を受けていたアヴェルは、いつの間にか『ラウル生徒会長』と気軽に呼ぶほど親しくなったようだ。
人との距離をあまり詰めないアヴェルにしては珍しい。
マーガレットは着飾ったアンナマリアと目が合い、互いに微笑み合う。
アンナマリアのミルクティ色の髪に薄桃色のドレスは映え、愛らしい魅力を一層引き立てている。
「アンナマリア、とっても綺麗だわ」
「ありがとうございます。マーガレットこそ綺麗で、大人の魅力を感じますわ」
「え……大人の?」
「はい……その、えっと、羨ましいかぎりです」
アンナマリアの視線が自分の胸元へと注がれたことに、マーガレットは気が付いた。次の瞬間、マーガレットはアンナマリアの耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
「胸の大きさなんてラウル様は気にしないわ。それ以上にアンナマリアには、天使のような魅力があるもの」
一瞬目を丸くしたアンナマリアだったが、二人は互いに見つめ合って笑い合う。
その様子を横目で見ていたラウルは、「相変わらず、内緒話までして仲が良いことだ」と不機嫌そうに呟いた。
その呟きを聞き逃さなかったアヴェルは、ギラリと目を光らせる。
「おや、ラウル生徒会長も焼きもちを焼かれるのですね」
「はあ!? あ……ち、違いますよ。アヴェル殿下、何を言って」
「ラウル生徒会長の弱点が判明したのは、大きな収穫ですね。生徒会の件は是非諦めてくれると嬉しいです」
「い、いや」
ラウルは声を詰まらせ、震える視線をマーガレットの背後に立つクレイグへと向けた。その視線には、助けを求める切実な訴えが滲んでいる。
クレイグは我関せずと素知らぬふりをしていたが、隣に控えるアヴェルの従者・デイヴィットが「君のこと見てるよ」と不審そうに耳打ちしてきたので、仕方なく助け船を出した。
「皆様方、ここでは他の生徒の方々にご迷惑が掛かりますので、もう少し奥まった場所へ移動なさいませんか」
差し伸べられた救いの手に、ラウルは一瞬の躊躇もなく飛びついた。
「ああ、そうだな。アンナマリア、準備が滞りなく進んでいるかチェックがてら、会場に入ってもいいか?」
「はい、もちろんですわ。私もラウル様の生徒会長ぶりを拝見したいです」
「よし、ならば行くとしよう。お二人はどうなさいますか?」
ラウルの誘いの言葉に、マーガレットは眉を寄せ、申し訳なさそうに微笑みを浮かべる。
「ごめんなさい。私はここでアリスと待ち合わせしていますので、待つことにしますわ。アヴィは先に入っていて」
「いや、それなら君と一緒にバートレット嬢を迎えるとしよう。パートナーとしても、君を一人にしておくなんてできないよ」
「ふむ、では俺たちは先に失礼する。また後でな」
会場へと入る二人を見届けたマーガレットとアヴェルは肩を並べ、何気ない雑談を交わす。久々に交わした幼馴染みとの他愛ない会話は、待ち時間であることを忘れるほどに穏やかな時間となった。




