第2話 悪役令嬢の名は伊達じゃない
部屋の扉が開くと、銀髪の女性に付き添われ落ち着きを取り戻したお母様が戻ってきた。この銀髪の女性はお母様の学生時代からの親友で、ローゼンブルク王国第二側妃のマルガレタ様だ。
マルガレタ様は平民でありながら、現国王に見初められて妃となった乙女ゲーのヒロインのような方である。
優しく微笑むマルガレタ様の隣で、こわーい顔で私を睨んだお母様はベッドの近くの椅子に腰かけ、息を整えてから口を開いた。
「マーガレット、あんな所で何をしていたの? まさかドレスを着たまま水遊びをしていたわけではないのでしょう?」
あれ、息を整えた割に威圧感がすごい。流石は悪役令嬢の母、迫力がある。
私も将来、あんな風に悪役令嬢らしくできるかしら?
マーガレットが感心していると「マーガレット、黙っていないで答えなさいっ!」とさらに怒られてしまった。
そのレイティスの怒鳴り声が部屋の外まで聞こえたのか、廊下から全速力で走ってきた少年アヴェルはマーガレットとレイティスの間に入ってマーガレットを庇うように立ち塞がった。
「ち、違うんです、レイティス様。マーガレットと僕はあの池の近くの木に咲いていたきれいな花をレイティス様とお母様にプレゼントしたくって…でも届かなくて。それでも一生懸命取ろうと手を伸ばしたマーガレットが池に落ちてしまったんです。だからマーガレットをそんなに怒らないであげてください。うっ、うっ…」
「まあっ、アヴィったら。さっきまでだんまりを決め込んでいたのに、マーガレットちゃんのために勇気を出したのね。偉いわ」
「お、お母さまっ」
そう言ってマルガレタはアヴェルを包み込むように抱き締めた。アヴェルは何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返し謝り続けている。
マルガレタはアヴェルの背中を優しくさすりながら、諭すように耳元で囁いた。
「ねぇアヴィ。あなたが謝る相手はお母様ではないでしょう? あなたが本当に謝りたい人は誰?」
「うっ、うう。それはマー、ガレットです。ぐすん」
慈愛に満ちた優しい笑顔を浮かべたマルガレタは、アヴェルの肩を抱いてマーガレットの横たわるベッドへと向き直らせた。
間近で見たアヴェルは、私の知っている恋ラバのアヴェルよりもとても幼く弱く見えた。両手をもじもじさせたアヴェルは少し俯きながら声を震わせる。
「マーガレットが池に落ちそうって僕思ってたのに、止められなくて助けられなくて……ごめ、なざっ……ぐすっ」
涙があふれ出す紫色の瞳をゴシゴシと手で拭きながら、アヴェルは六歳の子供なりに懸命に謝っている。
私にはマーガレットの記憶がある。だからマーガレットがアヴェルの静止を振り切って花を取ろうとして足を滑らせ、池に落ちてしまったことをしっかりと憶えていた。
アヴェルは何も悪くない。
これまでのマーガレットなら「アヴェルのせいよっ」と怒鳴り散らして暴れるのでしょうけど、円満な婚約解消を目指す私は違う。
「アヴェルは悪くないわ。あなたは私を心配して止めてくれたのに、聞かずに暴走した私が悪いの。だから気にしないで」
「………え、ばとうしないの?」
―ん。ば・と・う? ……罵倒⁉
子供にしてはおかしな、穏やかでない単語に一瞬部屋の空気がヒヤリと固まる。その間を破ったのは静観していたマーガレットの母・レイティスだった。
「ちょっと待って、マーガレットったら大丈夫⁉ 池に落ちた時に頭を打ったんじゃないでしょうね。タチアナ、すぐに医者を呼び戻して!」
メイドのタチアナに指示を出しながら、レイティスはマーガレットの頭を触ってたんこぶができていないか確認している。
うわぁ、ただ普通に喋っただけでこの反応。
私ってそんなに、アヴェルの言葉を借りるなら『ばとう』していたかしら。
マーガレットが我が儘だという記憶は私の中にも残っているのだけど、自分のことってなぜか実感が湧かないのよね。
でも、お母様もとても心配しているようだし、ここは。
「お母様、私は大丈夫よ。ちょっといい子になろうと思っただけだから」
「いい子ですって……あなた、本当にマーガレット?」
今度はレイティスだけでなくアヴェルやメイドたち、周囲もざわざわし始めて「早く医者をー」と大騒ぎになってしまった。
わぁー、逆効果だったみたい。我が儘悪役令嬢の名は伊達じゃないわね。
そこに騒ぎを聞きつけたアヴェルの妹のルナリアがぽてぽてと歩いて部屋に入ってきた。
四歳のルナリアはマーガレットのいるベッドのシーツをよじ登ると「マーあぇっとねぇたま、ルナとあそびまちょー」と可愛らしいクマのぬいぐるみをマーガレットの眼前に掲げた。
その場で騒いでいた者たちの視線は一気に二人に注がれる。そんな奇異の視線など気にしていないマーガレットはとびきりの笑顔を浮かべた。
「はい、遊びましょう。ルナリアは何をして遊びたい?」
「わたくちは、このクマたんとマーねぇたまとあそびたいれす」
ルナリアが掲げたクマのぬいぐるみを受け取ったマーガレットは、ぬいぐるみの手足を動かしながらちょっと低めに声を出してクマになりきって話し出した。
「ルナリアちゃんこんにちは。僕はくまえもんだよ。別の世界からやってきた熊型ぬいぐるみなんだ。実は話せるんだけど、他の人に見つかったら大変だから僕とルナリアちゃんの秘密にしてね」
「わあぁぁっ! くまえもんたんっ、ごきげんよう。マーねぇたまもいっちょ」
「ん? そうだね。マーガレットも一緒だ。マーガレットも秘密を守ってくれるかな?(いつもの声に戻して)分かったわ、くまえもん」
ルナリアはすっかりくまえもんに夢中になって、淡い紫色の瞳をキラキラ輝かせ始めた。