第198話 カリーパーティ!
アヴァンシーニの屋敷、温室にて。
テーブルについたマーガレットは、待ち焦がれたカリーパーティの幕開けを胸の高鳴りとともに待ちわびていた。
温室の中央の長テーブルには各席ごとに、銀色のドーム型の蓋が並べられている。マーガレットの視線はその磨かれた銀色の蓋に釘付けになり、蓋の中身への期待でつい生唾を飲み込んでしまう。
この中に、私の待ち望んだカリーがあるのね。
早く食べたいわ!
控えめに一礼したメイドは銀色の蓋に手をかけ、恭しく持ち上げた。
しかし蓋の中身は熱望したカリーではなく、前菜のキュウリや人参のピクルスだった。次こそはと期待しても前菜が続き、なかなかカリーは姿を現さない。
その頃にはアンナマリアも舞い戻り、全員揃っての楽しい食事会となっていた。
そして、いよいよその時が——
香ばしいスパイシーなカレーの香りがふんわりと漂い、温室中に広がっていく。
クミンやコリアンダーの香辛料の匂いは少々強力だが、懐かしい香りがマーガレットの鼻腔をくすぐり、あふれた唾がごくりと喉を鳴らす。
メイドたちが大きな銀皿を置くと、皿には小さなカップに入った五種類のカリーが並んでいた。
「変わった香りですね」
「種類がたくさんですわ。どれから食べるのでしょう?」
「何だか、見た目がぐちゃぐちゃしているのですね。一体どんな味なのかしら」
アリスもアンナマリアもシャルロッテも、初めて見るカリーを色々な方向から観察して興味津々だ。
そんな令嬢たちの姿を、ラウルも満足げに眺めている。
前世ぶりのカリーに胸躍らせていたのは、もちろんマーガレットだ。
黄色いカリーに、赤いカリー……私がよく食べていた茶色のカレーは……うーん、ないのね。それに、ご飯がない。後で運ばれてくるのかしら。
しかし皿に乗っていたのは、香ばしい匂いを漂わせるこんがりと焼き上がったナンだった。
カリーって、勝手にカレーライスを想像していたけど、インド料理のことだったみたい。日本産の乙女ゲームなのに、こんな所だけ本場にしなくてもいいのに。
でも、こんな美味しそうなカリーを目の前にして「ご飯じゃなかったー」とか嘆いてられないわ。
スプーンもフォークもない状況に女性陣が首を傾げている中、マーガレットは躊躇なく手でナンをちぎり、カリーをつけて豪快に口元に運んでいく。
マーガレットの大胆な食べっぷりに女性陣は目を丸くしたが、ラウルだけは腹を抱えて陽気な笑い声を響かせている。
笑い転げるラウルに、マーガレットは「美味しいです」と満面の笑みで返した。
笑いすぎて腹を押さえたラウルは、弾むような声で話し出す。
「ハハハ、それは良かった。しかし、何の躊躇いもなくその食べ方を選ぶとは」
「あら、間違っていました?」
「いや、合っている。その食べ方が正解だ……さあ、皆様もどうぞ人の目など気にせず、存分に召し上がってください。カリーはこの食べ方が正解なんだ」
「そうよ、恥ずかしがらないで。パクッといっちゃって!」
マーガレットとラウルが自信たっぷりに勧めても、一同はそわそわと落ち着かない様子で顔を見合わせるばかりで、一向にナンに手を伸ばそうとしなかった。
まあ確かに普段フォークとナイフで食べている方々に、「いきなり手掴みで食べて」はハードルが高いわよね。
そんな中、アリスはクスリと口元を緩めると思い切りよく豪快に食べ始めた。
流石は下町育ち、対応力が早いわ。
最初は躊躇していたアンナマリアも、ラウルに勧められるとすぐにナンをちぎり始める。舌に合ったらしく、最終的に一番辛いカリーをおかわりしていた。
最後まで抵抗したのはシャルロッテだった。
ナンをちぎるところまではスムーズだったのだが、何故かナンをカリーにつけられない。
「お行儀が悪いです。人前でなければするのですけど、どうしても身体が言うことを聞かないのですっ」
王家の厳格な躾が身に刻まれた賜物なのか、抗い続けていたシャルロッテだったが、痺れを切らしたマーガレットがナンにカリーをかけると、フォークとナイフで器用に食べて大層お気に召したようだ。
マーガレットは夢中でカリーを頬張りながら、言葉にならない感嘆を唸り声にして響かせている。テーブルに肘をついたラウルは柔らかな笑みを浮かべ、満ち足りた表情のマーガレットを見つめた。
「マーガレット嬢、お望みのカリーはお気に召したか?」
「はい、美味しくて大満足です……ただ」
マーガレットは心残りでもあるように、言葉を詰まらせる。その様子にラウルは首を傾げ、探るような視線を向けた。
「ん、どうした?」
「その、ナンで食べるカリーも美味しいのですけど、ご飯で食べるカリーも美味しそうだなと思いまして」
「……ごはん? 米なら、ちょっと待て」
ラウルがメイドに視線を投げると、彼女は静かに頷いた。メイドはくるりと踵を返して、キッチンへと小走りで向かっていく。
あのメイドさんは、さっきもアンナマリアに付き添っていた。ラウル様が信頼しているメイドさんなのかしら。
……というか、ご飯あるの?
流石は外交のアヴァンシーニ家。
私も市場で米を買ったことがあるけど、古かったうえにパサパサしていて好みじゃなかったのよね。
でも、アヴァンシーニ家の米は正規のルートで手に入れたお米っぽいし、言ってみてよかった!
やがて先ほどのメイドが、銀のトレイに載せた炊き立てのご飯を静かな足取りで運んできた。マーガレットの眼前に置かれた炊き立てのご飯は、湯気を纏って艶々と輝いている。
遠慮することなく、ご飯にカリーをかけたマーガレットは、ご飯とカリーが溶け合う様を見つめていた。スプーンを手に持つと、カリーとご飯の比率を慎重に確認しながら掬い、口へと運んでいく。
濃厚なカリーの香りが鼻腔を刺激し、口の中でご飯と混ざり合う。
ああ、この柔らかくてほのかに甘い味。
私の知っている日本のお米に遜色しない。
悪役令嬢になってしまったけれど、諦めずにここまで生きててよかったよーっ。
心の底から味わうようにカリーライスを口に運ぶマーガレットの姿に、テーブルを囲む一同は目を奪われ、次々とご飯を所望していった。
こうしてカリーパーティの二次会として、カリーライスパーティが幕を開けた。それは皆の胸に、忘れがたい思い出の一頁として刻まれたのだった。




