表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役令嬢マーガレットはままならない~執着王太子様。幽閉も監禁も嫌なので、私は従者と運命の恋を!~【学園編】  作者: 星七美月
第3部 星霜の学園

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

197/251

第197話 それぞれの思惑

 サムエル・アヴァンシーニ閣下は、歩き慣れた屋敷の廊下を急ぎ足で進んでいた。普段の不摂生がたたり、肺の奥に微かな息苦しさが滲む。

 しかし息が切れることも忘れてしまうほど、アヴァンシーニ閣下は非常に焦っていた。


 理由は、先ほどのマーガレットのひと言だ。


『アンナマリアを泣かせる方がいたら、絶対に許さない』


 その言葉が自分に向けられたもののような気がして、胸の奥に静かな波紋を広げて私を捉えて離さない。

 あれは私への脅迫なのか。それとも、ただの偶然なのか。


 王家と二つの婚姻を結ぶフランツィスカ家は、ゆくゆくは王家に最も近い存在となるだろう。

 おそらく、王家に次ぐ最高権力者のベノワ宰相をも(しの)ぐだろう。


 はあ、こうしてはいられない。

 秘書はまだ執務室にいるだろうか、急がなくては……。


「閣下、閣下! お待ちくださいませっ」


 背後から自分を呼び止める声が聞こえる。

 この甲高い声は、アンナマリアだ。

 アンナマリア……

 断りもなしにアヴェル派に鞍替えした、忌々しいカレドニヒの娘。


 アンナマリアには罪がないことなど、重々承知している。

 だが、この胸に渦巻いたカレドニヒへの失望を、誰かに押し付けずにはいられなかった。




 呼吸を荒げたアンナマリアは肩で息を整えながら、ようやく足を止めたアヴァンシーニ閣下に笑いかける。


「はあ、はあ……よかった。追いつきましたわ」

「何用だ? 私は今、急を要しているのだが」

「まあ、そうですのね。では、これを……閣下にお渡ししたくって」


 アンナマリアが取り出したのは、透明なオーロラ色の包装紙に包まれたクッキーだった。クッキーを見たアヴァンシーニ閣下は、すぐに怪訝な表情を浮かべる。


「私は甘い物が苦手だ。シャンパンといい、一体何度言えば」


 アヴァンシーニ閣下の鋭い叱責がアンナマリアに叩きつけられる。

 肩を震わせたアンナマリアはくちびるを噛み、拳を握りしめた。


 閣下が甘い物が苦手なんて知らないし、炭酸が苦手だということも先ほど初めて知ったことだわ。

 閣下に嫌われているのは重々承知している。それでも、私はラウル様と……。


 アンナマリアは深く息を吸い込むと、閣下の叱責をも吹き飛ばす大声で言い放った。


「閣下が甘い物が苦手でいらっしゃると思いまして、トマトやオレガノで作った甘くないクッキーですのよ。どうか、ご試食くださいませ」


 アンナマリアはクッキーの袋を差し出した。

 差し出した手はふるふると細かく震えている。

 いくら威圧しても引き下がらないこの不撓不屈の根性は、アヴァンシーニ閣下も認めざるを得なかった。


 溜め息を吐いた閣下は、差し出されたクッキーをぞんざいに掴んで受け取り、荒々しく引き裂いて中のクッキーを頬張ってみせた。


 生地はさっくりと舌の上でほどけるように崩れ、爽やかな甘みの後に、トマトの酸味と旨味がじわりと口内に広がっていく。

 正直今まで食べたどのクッキーよりも美味しく、思わず舌鼓を打った。


 口の中のクッキーを舐めとりながら、アヴァンシーニ閣下は鋭い視線を向ける。


「先ほど作ったと言ったが、これはお前が作ったのか?」

「そうですわ。マーガレット様と一緒に作りましたの」


 アンナマリアの言葉を耳にした瞬間、アヴァンシーニ閣下は全身に電流が走ったかのように飛び上がった。

 驚愕の余り、思わず口元を押さえてブツブツと呟いている。


「マ、マーガレット様と!? 料理を共にするほどとは…………これはもしや」

「閣下? お口に合いませんでしたか?」


 アヴァンシーニ閣下の妙に落ち着かない様子を不審に思ったアンナマリアは、そっと顔を覗き込んだ。すると閣下は突然顔を上げ、アンナマリアに微笑みかける。


「……いや、プロが作ったというほど大変美味であった。ラウルはトマトが好物だから渡すといい。喜ぶだろう」

「は、はい! ありがとうございます」

「それと」


 アヴァンシーニ閣下は息を整えると、眉を寄せてくちびるを尖らせながら、アンナマリアを見据えた。そして複雑な感情を隠すように、ゆっくりと口を開く。


「これからは、アヴァンシーニ家に相応しい者となるよう、公爵家としての素養を叩き込んでもらうからな。気を引き締めるように」

「ふぁ……」


 閣下の言葉を聞いて、アンナマリアは時間が止まったかのように呆然と立ち尽くした。


 閣下が、私にアヴァンシーニ家のお勉強をしなさいと言っている。

 それは、つまり……私はラウル様の婚約者でいられるということ?


「アンナマリア、聞いているのか?」


 感極まって激しくまばたきを繰り返すアンナマリアの耳元には、アヴァンシーニ閣下の声がぼんやりと入ってくる。


 閣下に、『アンナマリア』と面と向かって名前を呼んでもらえたのはいつぶりだろう。本当にアヴァンシーニ家の者として認められたみたい……みたいじゃなくて認められた、の?


 突然、我に返ったアンナマリアは息継ぎも忘れて言葉を連ねた。


「閣下、アンナマリアはアヴァンシーニ家の者として 恥ずかしくないよう誠心誠意頑張りますっ!」

「ああ、是が非でもそうしてくれ……私は急いでいるので失礼する。君もさっさとカリーパーティとやらに向かいなさい。マーガレット様と懇意にするのだぞ」


 アンナマリアの無垢な眼差しに耐えきれず、アヴァンシーニ閣下は逃げるように執務室へと急いだ。




 ―バタンッ。

 執務室の扉が荒々しく開いた。


 突然の物音に身体を小さく震わせた秘書は、すぐさまアヴァンシーニ閣下のもとへと駆けつけた。


「閣下、どうなさいましたか。王女殿下やマーガレット様にご挨拶に行かれたのでは?」

「それは済ませた。それよりも、カレドニヒへの手紙はどこだ? まさかもう、送ったのではないだろうな」


 アヴァンシーニ閣下は執務室の暗がりに目を凝らし、キョロキョロと周囲を見回した。しかし、探しているカレドニヒ宛の手紙は見当たらず、苛立ちから閣下は顔を歪めている。

 そんな閣下を凝視していた秘書が、机の端に隠れていた一通の手紙を取り出した。


「いえ、まだここに。何か不備がありましたか?」

「……すぐに破り捨てろ」

「え?」


 秘書は手に持った手紙をじっと見つめ、目を丸くして立ち尽くしている。秘書の顔には困惑が滲んでいた。

 秘書の戸惑いを一蹴するように、アヴァンシーニ閣下は激情を含んだ声で強く言い放った。


「手紙を破棄しろと言っているのだ!」

「しかし、カレドニヒ伯爵家との婚約破棄は」

「婚約破棄などしたら、それこそゼファ、いいやマーガレット様に何を言われるかわかったものではない。それに裏を返せば、アンナマリアのおかげで王室と深い繋がりができるかもしれん」

「あの、一体どういう……?」


 アヴァンシーニ閣下は秘書の問いかけを無視し、勢いよく手を振ると威厳に満ちた声で命じた。


「とにかくだ、すぐにカレドニヒ家への援助を復活させろ。アンナマリアを褒める文面で援助の復活を報せる。だが決して下手したてには出るなよ」

「は、はい。今すぐっ」


 秘書は半分も理解していなかったが、何か取り返しのつかない一大事であることは承知して、アンナマリアを讃える文章をしたためるのだった。


 その横で、アンナマリアから送られたクッキーを吸い込むように口に放り込みながら、アヴァンシーニ閣下は思案に沈む。


 ゼファー殿下と我が息子ラウルは七歳の年齢差があるから、たとえ懇意にしてもらっても、右腕のミュシャ・ヴァレンタイン卿より親交を深めるのは難儀だ。

 それならば、妻となるマーガレット様からアンナマリアで取り入るのも……。


 上手くいけば、生まれた御子と我が孫が親しくなるかもしれん。

 同性なら友に、異性なら……結婚。

 アヴェル派に入ったカレドニヒも保険と思えば悪くない……うむ。


 考えがまとまる頃には、クッキーの袋は空になっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ