第196話 作戦名は仲良しアピール?
サムエル・アヴァンシーニ公爵閣下。
ラウルの父親で、外交に強く、ゼファー派の重鎮。
ゼファー派のベノワ宰相、デヨン枢機卿の次に権力を持つ実力者。
というのは、クレイグからの受け売りだ。
私を褒め讃える態度から、アヴァンシーニ閣下はゼファーの妻になる予定の私に取り入ろうとしているようだ。
だったら……その思惑をこちらも利用させてもらいましょう。
アヴァンシーニ閣下は穏やかに微笑むと、気遣うような優しげな声で言葉を紡ぎ出す。
「学園はいかがですか。マーガレット様は成績優秀と伺いましたが」
「ええ、良い友人にも恵まれまして、とても楽しい学園生活を過ごしております。そうだ紹介いたしますわ。アリス、ちょっといいかしら」
アリスはマーガレットの呼びかけを聞くなり、笑顔を弾ませて早足で駆け寄ってきた。軽快な足取りで歩むアリスの後ろには、慎重にワインを運んでいるアンナマリアの姿もある。
アリスがやって来ると、マーガレットは柔らかい笑みを浮かべ、敬意を込めて紹介した。
「こちらはアリス・バートレットさんです。同学年で唯一の特待生なのですよ」
『特待生』という言葉を耳にした瞬間、アヴァンシーニ閣下はギラリと輝く視線をアリスに向ける。
「ほう、あなたが例の癒しの賜物が使えるという?」
「はい、アヴァンシーニ閣下。お目にかかれて光栄にございます。アリス・バートレットと申します」
アリスを将来有望な女性と見定めた瞬間、アヴァンシーニ閣下の口角が僅かに上がった。柔らかな笑みを浮かべてはいるが、瞳は獲物を狙う狩人のように鋭く、ゆっくりと距離を縮めていく。
「いやはや、こんな可愛らしいお嬢さんだとは、学園でも男子生徒が放っておかないでしょうな」
「い、いえ。私なんて」
慣れない褒め言葉に頬を赤らめたアリスは、はにかんだ笑みを浮かべた。
その時、マーガレットからまさかの援護が入る。
「あら、この前も侯爵家の先輩に声をかけられていたじゃない」
「あ、あれは、ただ名前を聞かれただけですよっ」
アリスは声を張り上げると、照れを隠すようにマーガレットの腕を優しく叩いた。うら若き乙女たちの微笑ましい光景に、アヴァンシーニ閣下も頬を緩ませる。
「ははは、将来は侯爵夫人かもしれませんなぁ」
アヴァンシーニ閣下がアリスをひとしきり褒めたところで、マーガレットはある人物に視線を向ける。アリスの背後で、アンナマリアがワインをいつ渡そうかと、タイミングを窺っていたのだ。
アンナマリアを見つめたマーガレットは決意を新たに頷くと、アンナマリアの手を掴んで、そっと自分のもとへと引き寄せた。
「そしてこちらは……ふふ。閣下ももちろんご存知ですわよね。アンナマリアも私の大切な友人なのですよ」
「ほうッ! アンナマリアと知り合いなのですか!?」
アヴァンシーニ閣下の食いつきは、アリスの時の比ではなかった。まるで唯一無二の秘宝がその先に眠っているかのように、ギラギラと目を輝かせている。
その様子を観察していたマーガレットは、静かに頷くとにっこりと微笑んだ。
「はい、最近とっても仲良くなりましたの」
そう言いながら、マーガレットはアンナマリアの持っていたワイングラスを受け取り、マーガレットから閣下へと渡した。すると身軽になったアンナマリアを引き寄せ、何の予告もなしにギュッと抱き締める。
「ふぁ!?」
マーガレットの腕の中、慌てたアンナマリアの口から甲高い声が漏れ出た。
呆けているアンナマリアの頬に頬を寄せて、マーガレットは親密さをアピールしてみせる。それはアヴァンシーニ閣下に、二人の揺るぎない友情を高らかに宣言するようだった。
その宣言を確固たるものにするため、マーガレットは毅然と追い打ちをかけるように言い放つ。
「今ではもう、すっかり昔からの友人のようでしょう? もし、アンナマリアを泣かせる方がいらしたら…………『絶対』に許しませんわ」
「……はは。仲がよろしいことで」
一瞬だったが、閣下の自信に満ちた表情が崩れたのを、マーガレットは見逃さなかった。
一応、私の作戦はこれでお終い。
これで閣下がどう動くか、なのだけど……上手くいくかしら。
マーガレットが思慮に思慮を重ねていると、可愛らしい吐息が耳へと届く。
「あ、あの……マーガレットっ」
前世の子供時代から聴いている、大好きなアンナマリアの声が耳元で鈴のように響く。その瞬間、マーガレットはアンナマリアの感触と温もりを感じ、いまだに抱擁を交わしていたことを思い出した。
私ったら、考え込んでしまってアンナマリアをずっと抱きしめてしまっていた。
きゃぁぁーっ、なんって大胆な!?
慌てたマーガレットは誤魔化すように手を振って、アンナマリアを解放する。
「ご、ごめんなさい。アンナマリア。苦しくなかったかしら?」
「それはまったく問題ありませんわ。突然のことにちょっと驚いてしまっただけで」
仲良く語り合うマーガレットとアンナマリアの間に割って入るように、背後からラウルが声を張り上げた。
「お嬢様方、そろそろカリーパーティの時間だぞ。さあ、席に着いてくれ」
「まあ、ついにこの時が来たのね。楽しみだわ!」
「ええ、そうですね」
「どんな味なのでしょう?」
女性陣が談笑しながらテーブルへと向かう中、アヴァンシーニ閣下だけはまるで石像のように動かなかった。
微動だにしない閣下の異変に気が付いたマーガレットは、心配そうに尋ねた。
「閣下、どうなさいました?」
「私は、そのカリーという食べ物は見た目も匂いも苦手でしてね……急用もできたことですし、私はこの辺りで失礼致します。皆様方はカリーパーティをお楽しみください」
一同に礼をしたアヴァンシーニ閣下は、一刻を争うように温室を後にした。
着席したマーガレットが今か今かとカリーの登場を待ち望んでいると、場の空気を変えるようにアンナマリアが「あ!」と声を上げた。
その跳ねるような声は、カリーに注目していた一同のざわめきを止め、皆の視線はアンナマリアへと注がれる。
すると、首を傾げたマーガレットが代表して尋ねた。
「どうしたの、アンナマリア?」
「すみません。閣下にク、いえ、用事があったことを忘れていました。私は少し席を外しますが、皆さんはお気になさらずにカリーをお召し上がりくださいませ」
席を立ったアンナマリアは、アヴァンシーニ閣下を追って温室を立ち去っていった。皆が唖然とする中、ラウルだけは落ち着いた様子で笑みを浮かべ、一同に告げる。
「アンナマリアもああ言っているし、気にせずカリーパーティを始めようか」
そう言い放ちながらも、ラウルは一人のメイドに目配せすると、メイドはアンナマリアを追って温室を後にしたのだった。




