第193話 男子トーク、女子トーク
アヴァンシーニの屋敷のエントランスでは、少女たちの軽やかな笑い声が響き合っていた。すると、ラウルがさりげない微笑みを浮かべ、マーガレットに声をかける。
「マーガレット嬢」
「はい、何でしょう?」
「君の従者と話したいのだが、いいかな」
マーガレットの視界からは確認することはできないが、怪訝な顔を浮かべたクレイグが「はぁ……」と溜め息をこぼす声が、背後から僅かに耳に届いた。
相も変わらず、ラウル様に気に入られてしまっているのね、クレイグ。
大丈夫よ、ラウル様におかしなことはさせないから。
マーガレットからの異様な勘違いオーラを感じ取ったのか、ラウルは眉をひそめる。
「一応言っておくが、君が思っているようなことは決してないからな」
「はいっ、もちろん信頼しておりますわ……ごゆるりとお話しくださいね」
女性陣と談笑しながらも、マーガレットの翡翠の瞳は時折こちらを窺っている。
背後にチクチクと刺さるような視線を感じながら、ラウルはクレイグのいるエントランスの隅へと歩みを進めた。
「信頼されているのか、いないのか。よくわからんな…………よお、クレイグ。お前も逃げずによく来たな!」
「……僕が参加することは、アヴァンシーニ生徒会長がカリーパーティを開くために出した条件のひとつでしたから」
「ああ、そういえばそうだったな。ところで、そのアヴァンシーニ生徒会長という呼び方は長くて嫌いだ。お前には特別にラウル様と呼ばせてやる」
ラウルは胸を張り、いつもの堂々とした表情で言い放った。
一方、クレイグはくちびるの端を僅かに下げ、どこか冷ややかな笑みを浮かべている。それは、いち従者が公爵令息に向ける態度ではないのだが……。
胸に燻る苛立ちを抑え込むように、クレイグは浅く息を吐き出す。そして、心の中で合点がいったかのように、冷たく乾いた声でボソリと呟いた。
「……なるほど」
「何だ、クレイグ?」
「そういう謀略を使って、マーガレットお嬢様やアリスさんにも親しげに名前で呼ばせたのかと思いまして」
「フッ。何だ、妬いているのか? 先日の生徒会室でも、表情ひとつ変えなかったお前が、唯一顔をしかめたのはマーガレット嬢のことだったしな…………何だったら、手伝ってやろうか?」
ラウルの甘言は、クレイグの心の奥を木の葉のさざめきのように ざわめかせた。しかし、クレイグは静かに深く息を吐くと、ある疑念を口にする。
「お言葉ですが、ラウル様。僕は先刻から、あなたを見ていて気付いたことがあるのです」
★
マーガレットとアリスと談笑する傍ら、アンナマリアは遠目で見るラウルの様子に衝撃を受けていた。
「ラウル様、何だか楽しそうですわ。クレイグさんとどんなお話をしているのでしょう」
「さあ、何かしら? 故郷の話でもしているのかも。クレイグの故郷はアヴァンシーニ領なんですって」
マーガレットの発言に、アリスは瞬時に反応して頭の中の教科書をそっと開いた。パラパラとページを捲り、答えのページを開くと流れるように呟く。
「アヴァンシーニ領というと、ローゼンブルクの東の国境から南東にかけてですよね。広大な温かい土地で、今は貿易と観光が収入源で大きな港もある」
「その通りですわ! 私は将来のためにアヴァンシーニ領について学んでいるのですけど、覚えることが多くて……私がダメダメだから、閣下は婚約破棄だなんて言い出したのでしょうか……うぅ」
突如トラウマともいえる苦い記憶を掘り起こしたアンナマリアは、目を伏せて肩を落とす。マーガレットはその沈んだ背中にそっと手を置き、エールを送るように優しく叩いた。
「もう、そんなことないわ。今日だって、私たちを出迎えてくれたアンナマリアは、既にアヴァンシーニ公爵家の女主人のようだったわよ。だから元気を出して、今からが本番なのだから」
「……そっ、そんな私が女主人だなんて……まだ結婚式も挙げていませんのに。マーガレットはお世辞がお上手ですのね」
アンナマリアの頬は一瞬で薔薇色に染まり、帯びた熱を冷ますように両頬に手を当てている。蕩けるように潤んだ瞳と真っ赤に染まった顔から、アンナマリアがラウルに恋に落ちているのは誰の目にも明らかだった。
そんなアンナマリアの姿を見たマーガレットとアリスは、顔を見合わせて穏やかに笑い合った。
「もうっ、アンナマリアったら、あなたって本当に可愛いのね」
「えぇっ、どうしてそうなったのです?」
「好きな人を好きと、素直に表現できるのは本当に美徳だと思うわ」
……私には絶対にできないことだから、正直なところ、すごく羨ましい。
胸に生まれたどうしようもない悲しみに、瞼を落としたマーガレットだったが、不意に顔を上げ、そっとアリスに笑いかけた。
「ねえ、アリスも可愛いと思ったでしょ?」
問いかけられたアリスはそっと目を細め、頬に笑みを浮かべている。
「はい。僭越ながら、私もアンナマリア様を可愛らしいと思ってしまいました」
「もうっ、お二人ったら、そんなにからかわないでくださいませっ」
頬を真っ赤に染めたアンナマリアの恥じらう声は、周囲をくすぐるように響き渡り、まもなく幕を開けるカリーパーティの予測不能な物語を予感させたのだった。




