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第187話 生徒会長、二度見する

 生徒会長室は、マーガレットの「カレーが食べたい!」という素っ頓狂な発言により、混沌と化していた。


 ラウルはいつもの自信満々の顔を崩して、唖然とした表情を浮かべている。

 ラウルの奇異の視線にも動じず、公爵令嬢という肩書きも忘れ、マーガレットはカレーについて力強く力説した。


「ですからカレーです! ローゼンブルクには、カレーの『カ』の字も存在しておりません。しかし、外交の要であるアヴァンシーニ公爵家のラウル様なら、カレーについてご存知かもと。

そして、カレーの材料についても心当たりがあるのではと。そしてそしてっ、あわよくば材料のスパイスを融通して頂けないかと思ったのですっ‼」


 弾丸のようなマーガレットの言葉の追撃に、ラウルはただ耳を傾けることしかできなかった。

 その迫力に気圧されたラウルだったが、『カレー』という言葉にどこか聞き覚えがあった。ラウルは記憶の断片を、散らばったパズルを組み上げるように完成させていく。


「……カレー…………それはアデニ・アラビカ公国の『カリー』のことか? スパイスが効いていて、舌を刺激する味わいの」

「っ!? きっとそうです。カリーですわ」


 マーガレットの翡翠色の瞳が大きく見開き、まるで花火が打ちあがったように煌めく。


 やった! やっと見つけた!

 この世界ではカレーではなく、カリーなのね。


 アデニ・アラビカ公国って、ローゼンブルクの東にある国の名前だわ。

 現代でいう、インドみたいな国かしら。


 ティーカップに残った紅茶を飲み干したラウルは、普段の自信満々の表情を取り戻していた。顎に手をあてて思考を巡らせると、カリーについてつらつらと語り出す。


「ふむ。カリーだったら何度か食べたことがある。公爵家うちにはアデニ・アラビカ公国出身のシェフがいるんだ。カリーの見栄えが良くないと言って、父が嫌がったので数えるほどしか食べたことはないが。

……そうだマーガレット嬢、君を我が公爵家のカリー試食会に招待しよう。友人を連れて来るといい。それならば、あの御方も妬みやしないだろう」

「試食会! なんて素敵なお誘いなのでしょうっ! ありがとうございます、ラウル様……そうですわね、女性をたくさん連れて行けば、たぶん……きっと大丈夫だと思います」

「不安にさせる物言いだな………………んなッ!?」


 突然、ラウルの消魂(けたたま)しい声が生徒会長室に響き渡った。


 ラウルの切れ長な瞳が大きく見開き、その視線はマーガレットの後ろに控えたクレイグへと注がれている。

 首を横に振ったラウルは目を離したが、目を擦ってもう一度クレイグの顔をまじまじと見つめた。それは言葉通りの二度見だった。


 ラウルのその挙動不審な仕草に、マーガレットは訝しげに眉をひそめる。普段は堂々としたラウルが、どこか落ち着かない様子で視線を泳がせていた。

 一方、クレイグはいつものように涼しい顔をして、マーガレットの後ろで直立不動で控えている。クレイグの真紅の瞳には何の不安なく、それが返って不気味さを引き立たせた。


 ラウルは隠す素振りもなく、クレイグの姿を焼き付けるように見つめた。その視線は疑念と好奇心に満ちていて、流石に不振に思ったマーガレットは探るように問いかける。


「あのう、ラウル様。どうしてクレイグばかり見ておりますの?」


 そう呟きながら胸の奥で何か閃いたマーガレットは、口元を手で覆って驚きの表情を浮かべる。


「……あ! まさか先輩、そちらの気が!? わ、私は良いと思いますけど、クレイグはダメですよッ」

「そうじゃない! マーガレット嬢の従者……クレ、クレイグというのか?」


 心なしか声が震えているラウルは、興奮したように問いただした。

 生徒会長室の置時計の秒針が微かに時を刻み、その音に身を委ねるようにマーガレットは記憶を遡る。


「クレイグはもう十年以上も私に尽くしてくれていますわ。お会いしたことありましたでしょうか。お兄様の茶会? クレイグ、ラウル様にお会いしたことがあったかしら?」

「ございません。今まで一度も、まったく」


 クレイグの発言は、マーガレットの胸に小さな波紋を広げた。

 まるで心の奥に隠していた本音がうっかり顔を出したような、そんな違和感。

 その違和感に胸がざわついたマーガレットは、正体を確かめようと勇気を振り絞る。


 しかしその瞬間、マーガレットの声が発せられるよりも早く、ラウルが口を開いた。


「クレイグ、どこの生まれだ?」

「……アヴァンシーニ生徒会長もご存知ない、片田舎の生まれでございます。答えても存じ上げないかと」


 クレイグの柔和な拒絶の声が響き渡ると、隣室で密かに耳をそばだてていた生徒会一同は、凍てつくような緊張に縛られた。


 たとえ公爵家のマーガレット様の従者でも、同格の公爵家のラウル様の質問を拒否するなど……! 紅茶は美味しかったが、あの態度は許されるものではない。


 隣室から漂う刺すような空気に身を震わせたマーガレットは、クレイグの沈黙を埋めるべく、咄嗟に言葉を紡ぎ出す。


「王都より暖かい場所の生まれよね。雪を見たことがなかったようだし」


 マーガレットの独断での返答がしゃくに障ったのか、クレイグの真紅の瞳は剣のように鋭い視線でマーガレットを貫いた。


 え、どうして睨みつけてくるの。

 ラウル様の質問に、クレイグが答えないのがいけないんじゃない。

 公爵令息の質問を他家の従者が拒むなんて、叱責で済むならそれはまだ幸運な結末よ。


 そんなマーガレットの懸念をよそに、ラウルは苛立ちの影すら微塵も出さず、凪の海のような穏やかさを漂わせていた。


「……暖かい。南の出身か? ならば、我が公爵家が統治しているアヴァンシーニ領の生まれか……いや、そうに違いない。お前とは仲良くなれそうだ。ふむ、同郷のよしみで今度茶会に招待してやろう」


 知らぬ間に、クレイグの出身はアヴァンシーニ領に決定し、茶会の約束まで取り付けられていた。隣室の生徒会一同はさらなる動揺に包まれ、ざわめきは頂点に達している。


 クレイグの表情は仮面のように平静を保っていたが、その瞳の奥には抑えきれぬ苛立ちと名状し難い諦めが水面みなものように揺れていた。


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