第182話 ある男たちの嫉妬心
マーガレットの女王様のような発言に、なぜか言いようのない興奮を覚えた五人の女生徒たちは、そわそわと目を泳がせながら互いを見回している。
背後から、クレイグの呆れた溜め息が聞こえた気がした。
クレイグの溜め息から、何かやらかしたと気付いたマーガレットは、気まずさを隠すように苦い笑みを浮かべて頬を掻いた。
「ごめんなさい。つい本音がでてしまったわ。皆さんとっても可愛いのに、そんな怒った顔をしていたら、もったいないと思ったものだから」
歯の浮くような台詞だが、マーガレットの言葉に嘘偽りはなかった。
マーガレットが言えた義理ではないが、女生徒たちは少しキツめの顔立ちをしているものの、清楚で整った顔立ちの令嬢ばかりだ。
女生徒たちは美人と称賛されることはあっても、可愛いと持て囃されることには慣れていなかった。
王太子の婚約者という立ち場のマーガレットの言葉が、お世辞でなく本気だと理解した女生徒たちは頬を染めて俯いたり、照れ隠しに視線を泳がせたり、驚きに身を強張らせたりと三者三様だ。
すると突然、「あ、そうだわ!」とマーガレットが声を張り上げた。
次は何を言われるのかと、女生徒たちは一斉に身をよじらせる。
「あなたたちの誤解を解くためには、お互いを知ることが一番だと思うの。せっかくですし、これから皆で学園のカフェでお茶でもいかが? もちろん、アリスさんも一緒にね」
マーガレットの口から飛び出した思いも寄らぬ提案に、女生徒たちは視線を彷徨わせながら、互いの顔を見交わしている。
本当は行きたくないが、自分たちよりも格上の公爵令嬢で、将来の王太子妃のマーガレットからの誘いを無下にはできない。
アリスにも目上との関係のことで注意しているのだし、なおさらだ。
さらにゲームでの主従関係も影響しているのか、女生徒たちはマーガレットを前にすると、どうしても逆らえないのである。
断りたいのに断れないジレンマに、沈黙がその場を支配した。
アリスも不安げな瞳でマーガレットを覗き込んでいる。
アリスに笑顔で一瞥したマーガレットは、唯一名前を憶えていた美しい黒髪の女生徒に話しかけた。
「もう、どうしたの? 黙り込んじゃって……ニーロ様、あなたは好きな俳優さんはいらっしゃらないの?」
「あ、えっと……私はブルック・プディカスティ様が好きです」
「まあっ、そうなの? 私もブルック様が大好きなの。その話、もっと聞きたいわ。是非カフェでお話ししましょう。さあ、アリスも」
女生徒たちの腰に手を添えたマーガレットは、半ば強引に五人の女生徒たちをカフェへとエスコートしていく。
戸惑いを隠せないアリスだったが、言葉を飲み込み、黙ってマーガレットの背を追いかけた。
そんな女生徒たちの攻防を、クレイグはただ静かに無言で見守っていた。マーガレットは振り返ると、クレイグに向けて申し訳なさそうに眉を下げる。
「……クレイグ。幾何のお勉強は少し遅くなってもいいかしら」
「ええ、もちろんです。幾何よりも、ずっと大切なことだと僕は思います」
許可をもらったマーガレットは、意気揚々と学園のカフェテラスへと向かう。
★
カフェテラスのお茶会は大成功だった。
最初は互いに距離があり、ぎこちなかったお茶会だが、アヴェルが通りかかったことで一変した。
マーガレットが女生徒たちにアヴェルを紹介すると、女生徒たちは目の色を変え、アリスに目くじらを立てたことなど忘却の彼方へ消えてしまったようだ。
さらに、アリスが市民街区で有名な雑貨店の店主の姪であることが判明すると、張りつめた空気が解けるように会話が弾み始めた。
子爵家以下の令嬢たちは、その店をよく利用するらしい。
ゲームにも登場した雑貨屋さん。私も行ってみたいわ。
アリスと打ち解けた女生徒たちは、もうアリスをいじめることはないだろう。
初期のいじめイベントは全部マーガレットの担当だったから、これで終わりだといいんだけど……。
★☆★☆★
ある日のこと。
ローゼンブルク城、翡翠宮にて。
ゼファーから茶会の招待を受けたマーガレットは、翡翠宮の中庭で優雅にお茶を嗜んでいた。
すると、ティーカップを置いたゼファーは紫色の瞳を怪しく揺らめかせて、今日の本題について静かに尋ねる。
「ねえ、マーガレット。君が女生徒たちを篭絡していると小耳に挟んだんだが、本当なのかい?」
「……ぶっ! そ、それは、どういう意味なのでしょう?」
はしたなく紅茶を吹き出してしまったマーガレットは、口元を上品に拭いながらゼファーから事の詳細を聞いた。
どうやら、先日のアリスのいじめイベントに居合わせたマーガレットの護衛騎士が、マーガレットのおかげで心を入れ替えた女生徒たちのことを、まるで女王様に篭絡されたようだったと報告したらしい。
き、騎士さん。なんて表現をしているのよ!
おかげで私は今、ゼファー様から疑心に満ちた視線を向けられている。
するとゼファーは口元の左端を吊り上げ、狡猾な微笑みを浮かべ、マーガレットを獲物を見るような目で捉えた。
「そんな罪つくりな君には、やっぱりおしおきが必要だよね」
ゼファーはマーガレットの座っていたソファーに無理やり腰を下ろすと、マーガレットの華奢な腰に指を滑らせ、背後から力強く抱きしめる。
マーガレットの首すじに顔を埋めたゼファーは、吐息まじりに耳元で囁いた。
「……はぁ、マーガレットは僕のことを篭絡するだけでは飽き足らず、他の女生徒にまで手を出すとは本当に困った子だ」
「そんなことはしていません! お願いですから、離してくださいっ」
「だったらこっちを向いて、マーガレット。向いてくれないのなら、このまま逃げられないように、一生こうしておくかい?」
そんなこと言って脅されても、絶対に向きたくない!
向いたら頬にキスしてくるの見え見えなんだからッ。
「しっかりと覚えておいてね、マーガレット。将来の夫である僕の腕の中が、君の居場所だよ」
吐息に混じるゼファーの囁きが、まるで呪文のようにマーガレットの背筋をゾクリと凍らせた。
ひいぃぃぃぃぃっ!? 何で、どうしてこうなったのよ。
私はただ、女生徒たちと話しただけなのにっ。
困り果てたマーガレットは、縋るような瞳でクレイグに助けを求める。
クレイグはすぐにマーガレットの視線に気が付いたが表情ひとつ変えず、声を出さずに口だけパクパクと動かしてみせる。
(こ・う・す・い)
……こうすい、香水? なるほど!
クレイグの意図を理解したマーガレットは、演技であることを気取られないように自然を装いながら、嬉しいことを思い出した子供のように無邪気に話しかけた。
「そうですわっ……ゼファー様気付きましたか。実はゼファー様から頂いた香水をつけてみたのですけど、手につけているのでちょっと離れますわね」
マーガレットからの嬉々とした発言に、ゼファーは腕を解いてソファに座り直すと、紫の瞳を星のように煌煌と輝かせ、確かめるように息を吸った。
「…………言われてみれば。僕としたことが気付かないなんて、早速つけてくれるなんて嬉しいな」
「これは何の香りなのですか?」
ゼファーは楽しそうに香水について語り出した。
結局、クレイグの機転と香水の話でマーガレットは窮地を脱したのだった。
帰りの馬車にて。
ようやく肩の荷が下りたマーガレットは、大きく伸びをしながら向かいに座るクレイグへと感謝を述べた。
「はぁぁぁ~、助かったわクレイグ」
「……いえ。お嬢様がご無事で本当に良かったです」
するとマーガレットの隣に座っているターニャも不満そうに口を膨らませて、二人の会話に加わる。
「あの王太子、最近発情してるよね。今日なんて、今にも襲い掛かりそうな勢いだったし」
「言われてみれば…………今日のは身の危険を感じたかも」
他人事のようなマーガレットの言葉に苛立ちを覚え、クレイグは鋭い口調で釘を刺した。
「お嬢様も、ゼファー殿下を煽るような発言は控えてください」
「ええっ、煽るようなことなんて言ったつもりはないわ」
首を横に振って否定するマーガレットに、今度は隣のターニャからクレイグへの援護が飛んでくる。
「あー、あれでしょ。『お願いですから、離してくださいっ』って……あれはあたしも、もっときつくしちゃえ、いじめちゃえってなるかもしれない」
「ど、どうして? ……本当に苦しくてお願いしたのに」
首を傾げるマーガレットの愛らしい仕草に目を細め、クレイグは深い溜め息とともに呟いた。
「どれだけ心配させるつもりなんですか…………そういう仕草も他の誰かの前ではしな」
そこまで口にしたところで、クレイグは素早く口元を覆い、言葉を飲み込んだ。
何言ってるんだ、僕……。
これじゃ僕も、あの嫉妬深い王太子みたいじゃないか。
クレイグの従者にあるまじき発言は馬車の轍の音に掻き消され、マーガレットの耳に届くことはなかった。
その場に残ったのは、クレイグの熱を帯びた頬と、微かな溜め息だけだった。