第181話 絶対なる悪役令嬢様
ローゼル学園に入学してから、今日で一週間が過ぎた。
新入生のレクリエーションも終わり、本格的に授業が始まった頃。
ゲームならば、まだ序盤だというのに、マーガレットはすでに躓いていた。
実力を確かめるための幾何の小テストで赤点を採り、放課後に補習を受けてしまったのだ。
補習を受けたのは私だけではない。
幾何の小テストで百点を採ったクレイグも、一緒に受けたのである。
もちろん、私の付き添いで。
屈辱の補習を終え、帰り支度を済ませた二人は、迎えの馬車の待つ校門へと向かう。
「昔はクレイグも幾何が苦手だったのに、いつの間に得意になったの?」
「別に得意になったわけではありません。努力した結果です」
「……くっ、ぐうの音もでないわ」
「先生の特別授業では足りなかったようですから、今日は帰ったら僕がもう一度きっちり教えましょうか」
クレイグの言うとおり、実は理解できなかった箇所が何か所もある。
そこが理解できないから、その後の部分なんて解けるはずもない。
頭の中で図形をイメージするのが、どうも苦手なのよね。
「理系の頭じゃないけど、私でも理解できるかしら」
「お嬢様にもわかりやすいように、虎の巻でも作りましょうか」
クレイグはいつにも増してやる気に満ちている様子だ。
幾何はもともと苦手なのもあるけど、フェデリコ先生に幾何を教えてもらったことが原因で、例の降爵事件が起こったからか、あの日以来、幾何の教科書を開いても罪悪感に苛まれて勉強に身が入らなかった。
もしかしたらクレイグは、私のそんな気持ちを察してくれているのかも。
なーんて、自意識過剰すぎるかしら。
すると校門近くの木々の茂みから、女生徒たちの怒鳴る声がマーガレットの耳に微かに届いた。
「あなた、一体どういうつもりなのかしら?」
「そうよ! 高貴な方々とお話して……私たちだってお話ししたことないのに」
「特待生だからっていい気にならないで、バートレットさんッ‼」
何だかどこかで聞いたことのある台詞たち。
もう遠い昔の記憶だけど、まだ微かに憶えてる。あれは……。
突如、脳裏に浮かんだ不快な光景に心臓がドクンと脈打ったマーガレットは、校門へと向かっていた足を止め、踵を返して茂みへと走り出した。
後ろのクレイグも驚くことなく、あとに続く。
茂みを抜けると、五人の女生徒たちがアリスを取り囲んでいた。
女生徒たちの瞳には憤怒と侮蔑が混じり合い、アリスを閉じ込めるように囲んでいる。アリスは中央に小さく佇んだまま、肩をすくめて沈んだ表情で地面を睨んでいた。
前世で何度も見たことがある光景。
だって、アリスが初めて悪役令嬢マーガレットにいじめられるシーンですもの。
マーガレットの足音に気付いた女生徒たちは、一斉にこちらに視線を向ける。
女生徒たちにも見覚えがあった。
ゲームの静止画で、高笑いするマーガレットの背後に並んだ取り巻きの女生徒たちだ。
ゲームだと悪役令嬢のマーガレットを引き立たせるためか、女生徒たちの顔は影になって描かれていなかったけど、髪型が特徴的だったから何となくわかる。
面識のある令嬢ばかりだけど、今の今までこの子たちが私の取り巻きだなんて全然気が付かなかった。
ふーん。私がアリスをいじめなかったら、代わりの人間がいじめるのね。
マーガレットは、公爵令嬢らしい気品漂うお得意の笑みを女生徒たちに向けた。
「皆さん、ごきげんよう。あなたたちも、こちらでひなたぼっこかしら?」
「え、いえ。私たちは、その……」
視線を逸らそうと顔を背ける女生徒たちの視界から外れないように、マーガレットはゆっくりと近付いて圧をかけていく。
「あら、違うのですか。では、一体こんなところで何をしていらっしゃるの? ……アリスさんを囲んで」
マーガレットは項垂れたアリスの手を優しく取り、囲いの中心からスッと連れ出していく。アリスのしなやかな手は氷のように冷たく、小刻みに震えていた。
マーガレットにようやく気付いたアリスは、か細い声で「マーガレット様」と呟いた。すると、マーガレットはよそ行きの作り物めいた笑みとは異なる、穏やかな笑顔をアリスに向けながら、アリスにだけ聞こえる声で「安心して」と囁いた。
マーガレットはアリスの代わりに女生徒たちの囲いの中心へと入って、令嬢たちを見回した。
「……こんな風に囲まれたら、やっぱり怖いわね」
眉を寄せて不快を露わにしたマーガレットの言葉に、びくりと身体を震わせた女生徒たちは口々に弁解を始める。
「マーガレット様、私たちはただ……」
「そこのバートレットさんが身分も弁えないからですわ」
「バートレットさんが悪いのです」
「目上の男子生徒の方々と仲良くしていたのがいけないのですっ」
「そうです! わたくしたちが恥をかかないように、早々に注意しただけですわ」
――ん?
女生徒たちの散り散りの弁明に違和感を覚えたマーガレットには、ある疑念が生まれていた。
入学してから一週間、私とアリスは同じクラスでほとんど一緒に行動していたけど、男子生徒たちと話をしたことなんてあったかしら?
男子生徒だけじゃなくて、女生徒と話したところすらほとんど見たことがない。
アリスが話すのは、私とクレイグくらいのものなのである。
それ以外で私が見たのは……。
その瞬間、ある人物たちが思い浮かんだマーガレットは、女生徒たちに鋭く問いかけた。
「皆さんが言う、目上の男子生徒たちと仲良くしていたのって、入学式の直後かしら?」
「ええ、そうですわっ、わたくし見ましたもの。バートレットさんが噴水の前で、アヴェル殿下やアヴァンシーニ生徒会長と仲良くお話していたところを!」
ああ、やっぱり。
マーガレットは深い息を吐くと、真面目な顔になって女生徒たちに重々しく告白する。
「それなら、私もあなたたちに怒られなければいけないわ」
「えっ、なぜですか?」
「だって、私もその場にいたもの。というか、アリスさんをあの場所に連れて行ったのは私ですから、私があなたたちから二人分のお叱りを受けるべき……ん?」
不意に、マーガレットは目の前にいたツインテールの女生徒の顔に目を留める。
すると何を思ったのか、マーガレットは女生徒の顎を指先でクイッと持ち上げて顔をじっくりと観察し始めた。
その女生徒を値踏みするようなマーガレットの姿は、まるで玉座に座す女王のように気高く、誰もがひれ伏すかのような威厳を秘めていた。
その蠱惑的な光景を目にした女生徒たちは、禁断の光景を覗いてしまったかのように頬を紅潮させ、胸の奥では新しい扉を叩く小さな鼓動が高鳴り始める。
すると、マーガレットは口元を緩め、甘く艶やかに囁いた。
「あなたたち……とっても可愛いわね」
「「「「「んなっ! 何をおっしゃいますの突然ッ!?」」」」」
散り散りだった五人の女生徒たちの声が、奇跡的に合わさった瞬間だった。