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第175話 悪役令嬢、ヒロインと再会する

 ローゼル学園の敷地は、まるで別世界のように広大であった。


 中庭では噴水が水飛沫(みずしぶき)を七色に輝かせ、その周囲には城を思わせる石造りの校舎が壁のようにそびえ立つ。

学園の奥の湖のほとりでは生徒たちがボートを楽しみ、色とりどりの花が咲く庭園では薔薇が見頃を向かえ、薔薇の芳香が風に遊ばれるように運ばれてくる。


 そんな荘厳な学園内で、なぜか中庭の生け垣に身を潜めたマーガレットは、何を思ったのか、語り口調で言葉を紡ぎ出した。


「下ろし立ての制服に袖を通した新入生たちがローゼル学園の大門をくぐり、並木道を抜け、新たな一歩を踏み出していく。


 これから始まる学園生活に胸を躍らせているのか、新入生たちの足取りもどこか軽やかだ。

 早速意気投合して語り合う男子生徒たちに、アヴェル第二王子が入学することもあってか、色めきたつ女生徒たちも多いようだ」


 するとマーガレットの隣にいたクレイグが、呆れたように低く囁いた。


「…………お嬢様」

「ん?」

「お嬢様、さっきから何を言っているんです?」


 マーガレットは照れくさそうに頬を掻く。


「いや、つい。こんなナレーションで(ゲームが)始まったなあと思って……私が代わりにしてみたの」

「……いまいちお嬢様が何を言っているのか理解できませんが」


 そうブツブツと文句を言いながら、クレイグは目線を後ろに控える人物へと向ける。クレイグの目線の先には、屈強な身体の護衛騎士がひとり、直立不動で佇んでいた。


 クレイグは護衛騎士に聞こえないように、声を落としてマーガレットに呟いた。


「あまりおかしな行動をしていると、あそこにいる護衛騎士の方から変な目で見られてしまいますよ。またゼファー殿下に報告されたいのですか?」


 クレイグの言っているとおり、学園での私の行動や誰と会話したかなど、護衛騎士を通してゼファー様に逐一報告されるらしい。

 は~あ。どうしてこんな監視生活を送っているのか。


 理由なんて簡単、極めて異常に執着心の強いゼファー王太子殿下の婚約者になってしまったからなのだけど……。


 マーガレットはくるっと後ろを振り返ると、公爵令嬢たる気品漂うとびきりの笑顔で騎士ににっこりと微笑みかける。


「ふふ。ちょっと詩が浮かんでしまって、詠いたくなってしまいました。恥ずかしいので、このことはゼファー様には内緒にしてくださいね」

「はい、もちろんですっ!」


 大変気合の入った護衛騎士の返事に、クレイグは目を細めた。


 返事はご立派だが、お嬢様に笑いかけられた騎士は顔を赤く染めて照れている。

 おかしな報告はしないだろうけど、この騎士の人、ゼファー殿下の前でポカしてクビにならなきゃいいけど……。


 鎧を装着していてわかりにくいが、今まで騎士の何人かが護衛を辞めている。

 そのほとんどがお嬢様に気のある素振りをとったことで、ゼファー殿下が辞めさせたと側近のミュシャさんがぼやいていた。


 騎士との会話を終え、向き直ったマーガレットを横目に、クレイグは溜め息を吐く。


 それにしても今日はローゼル学園の入学式だったこともあってか、お嬢様のテンションが異常に高い。正直、何かやらかすのではと冷や冷やしてしまう。


 そして何より、今の状況だ。

 どういうワケか、お嬢様と僕は学園内の中庭の生け垣に隠れて噴水を見張っているのだ。どうしてこんな不可思議なことをしているのか、僕にはお嬢様の真意はさっぱり理解できない。

 お嬢様の言う『下ろし立ての制服』も長くかがんでいるせいか、すでに崩れてきている。


 僕もお嬢様の従者として共に入学できたのは嬉しいが、入学初日からこんな解読不能な謎めいた行動を取られると流石に心配してしまう。

 お嬢様の様子からして誰かを待っているようだが……一体何が始まるというのだろう。




 探るような猜疑(さいぎ)の瞳で睨んでくるクレイグの視線を感じながら、マーガレットはただひたすらに噴水を見守っていた。

 実は『恋ラバ』ファンのマーガレットにとって、絶対に見逃してはならない瞬間イベントが刻々と迫っていたのである。


 ―中庭の噴水。

 ここは、乙女ゲーム『恋せよ乙女 アリス in ラバーランド』をプレイした者なら必ず知っている、ゲームの幕が上がる始まりの場所である。


 入学式後、噴水の前でつまづいてしまったヒロインのアリスを、王子のアヴェルが助けると、そこから攻略対象者が次々と現れる。

 いわゆる攻略キャラ紹介イベントが発生するのだ。


 ここからアリスの恋が始まると思うと、好奇心が抑えきれない。

 このイベントは、開始時間が『入学式直後』とはっきりしているから、見逃すなんて『恋ラバ』ファンとしての名が廃るというもの!

 生け垣に隠れて『頭のおかしな子』と後ろ指を指されても、是が非でも見るのだと心に決めていた。


 まばたきさえ放棄してマーガレットが噴水を注視していると、不意に、天使の歌声のような柔らかい声が頭上から降り注ぐ。


「あの、すみません…………マーガレット様、ですよね?」


 どこか聞き覚えのある声にマーガレットは空を見上げた。


 下ろし立ての白亜の制服に身を包み、肩より少し上の金色の髪をなびかせ、大きな空色の瞳を(きら)めかせた女生徒がこちらを覗き込んでいる。

 入学したてのマーガレットだが、その女生徒のことはよく知っていた。

 だって彼女こそ――


「えっ、ア、アリス!? どうしてここに? ……噴水じゃ」


 マーガレットのどよめきに気付くことなく、感激で胸を一杯にしたアリスは手を合わせて喜んでいる。


「わあぁぁっ! 覚えていてくださったのですね、マーガレット様。もう十年も前のことですのに」

「もちろんよ。あの日のことは、私にとって忘れられない素敵な思い出だもの」

「私もです。マーガレット様がまた会えると言ってくださったので、ずっと信じていました。そうしたら治癒の賜物(カリスマ)に目覚めて、こうして特待生として学園に通えることになったんです」

「まあっ、治癒の賜物(カリスマ)なんてすごいわね」


 十年ぶりの再会もそぞろに、笑顔を浮かべたマーガレットの脳内は緊急ベルが鳴り響くほど混乱していた。


 どうしてアリスは真ん中の噴水じゃなくて、中庭の隅っこの生け垣に来たの?

 このままだと攻略キャラ紹介イベントが始まらないんじゃ……。


 マーガレットの愁いなど知る由もないアリスは、にこやかに微笑んで話を振ってくる。


「でも、まさかマーガレット様がゼファー王太子殿下のご婚約者だなんて、驚きました」

「え……どこで知ったの?」

「えっと、生徒の方が話しているのを聞いて」

「ああ……そっか、そうよね」


 アリスがその話題を出した途端、談笑していたマーガレットの表情が一瞬曇ったのをアリスは見逃さなかった。

 しかし、次の瞬間にはマーガレットはケロリと笑顔を浮かべている。


 アリスの金色の髪にヒラヒラとはためく淡いピンクのリボンに気が付くと、マーガレットは目を見開く。


「……あ、そのリボン。もしかしてあの時の?」

「はい、そうです! すっかり色も褪せてしまったけど、私の宝物なんです」

「とても大事にしてくれていたのね、嬉しいわ」


 そのリボンは、十年前にマーガレットがアリスのちぎれたリボンに継ぎ足したリボンだった。

 当時のことも思い出し、マーガレットとアリスは花が咲いたように笑い合う。

 その横でクレイグは無表情のまま、真紅の瞳をパチパチと瞬かせる。


「あ、ごめんなさいクレイグ。あなたのことをすっかり忘れてしまっていたわ」

「……いえ、別に問題ありません。忘れられて怒ったりなどそんなことは決して本当にありませんのでご自由に」


 妙に早口でどこか寂しげなクレイグに、アリスは丁寧な礼をした。


「クレイグ様。お久しぶりです」

「お久しぶりですね。僕はマーガレットお嬢様にお仕えする従者ですので。クレイグと気軽にお呼びください、アリス様」

「え、あ……それなら私のこともアリスでかまわないです、クレイグさん」


 二人の会話にマーガレットもごく自然と加わっていく。


「あら、じゃあ私のこともマーガレットと気軽に」

「お嬢様は貴族のご令嬢ですから、気軽に呼んでしまってはアリスさんが他の方々からやっかみを受けるかもしれませんので、やめたほうがよろしいかと」

「あー、そうね。よくある展開だわ。悲しいけど諦めましょう」


 ただでさえ、いじめられるパートも多いから、余計な負担は増やさないほうがいいわね。ま、その一部は悪役令嬢の私がするのだけど。


 その時、マーガレットの視界に噴水の前を通り過ぎるアヴェルの姿が目に入る。


 あれ? あそこにいるのはアヴィ!?

 もしかして、私がアリスと話し込んだせいで攻略キャラ紹介イベントをスルーしてしまったんじゃ……そ、それはダメ!

 このイベントをスルーしちゃったら、この先の全部のイベントが起きないかもしれないじゃない。


「ア、アヴィ――ッ‼」


 気付くと、マーガレットは中庭中に響く大声で、今まさに噴水を通り過ぎようとしていたアヴェルを引き留めていた。


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