第173話 薬指の……
「……ねえ、クレイグ」
愛を告げる決意を胸に、マーガレットが深く息を吸い込んだ瞬間、扉が勢いよく開け放たれた。
―ガチャッッ。
すると、聞き慣れた女性の声が室内にこだました。
「マーガレットっ‼」
「しゃ、シャルロッテ!? どうしたの、学校は?」
「今は夏季休暇でお休み中なの。この前、そう言ったではないですか」
十七歳になってすっかり気品漂う大人の女性らしくなったシャルロッテは、淡い桃色の長い髪をなびかせながら、ムスッと口を膨らませている。
見た目は大人っぽくなったけど、こういう仕草は子供の頃と変わらない。
追いかけてきた従者のミゲルがシャルロッテに何やら耳打ちすると、「やっちゃった」とばかりに舌を出して、シャルロッテは気まずそうに咳払いをした。
「こほん。突然、訪れてごめんなさい。マーガレット、お兄様から聞きました。
ついに婚約指輪をもらったんですって! お兄様も今まで見たことないくらい幸せそうにしていました。それで、どんな指輪をもらったの……あら、指輪はしていないのですか?」
シャルロッテがマーガレットのもとへとやって来る数秒の間に、マーガレットは左手薬指のクレイグからもらった銀紙の指輪を外し、ティーカップの受け皿の下に見えないように隠していた。
しかし例の婚約指輪を嵌める時間まではなく、左手薬指に指輪は不在となっている。
先ほどまでマーガレットとお茶を飲んでいたクレイグはというと、使用したティーカップを片付けて、何事もなかったかのように平然とお茶の支度をしている。
ミゲルもクレイグのもとに合流し、挨拶もそこそこに二人はお茶の支度を進めていく。
ゼファーからの例の婚約指輪を手に取ったマーガレットは、焦る気持ちを抑えながらシャルロッテに笑いかけた。
「まだ指輪というものに慣れてなくって、ちょうど外していたところなの。今着けるから待って」
ルンルンとスキップをしたシャルロッテは、マーガレットの座るソファの隣に腰掛け、マーガレットにピタリとくっついて、左手薬指におさまった紫色に光輝く指輪を興味津々に覗き込んだ。
「とてもきれい。お兄様の気合の入りようが見て取れるわ」
「そう、なのかしら?」
「ふふふ。その指輪の宝石はね、ファビオライトというローゼンブルクに数個しかない稀少な石なの。長くかかってお父様を説得して、国の宝物庫から原石をひとつ譲ってもらって加工したものなのですよ。細工も国一番の宝飾師にお願いして、二年かかって仕上げたんですって」
「……へえ。そんなすごい物なのね」
そんな高価な物だとは露知らず、違和感あるとか、ベットに投げ捨てたりとか、ぞんざいに扱ってしまっていた。
この指輪に関わった方々、ごめんなさい。
まばたきすることも忘れて指輪を凝視していたシャルロッテだったが、ふとマーガレットに視線を移して感慨深そうに微笑んだ。
「ワタクシね。お兄様がいつ指輪を渡すのか、楽しみにしていたのです。本当にすごくきれい…………この婚約指輪を見たら、マーガレットが学園を卒業したらお兄様と結婚するって実感してしまいました」
「そう、ね」
「……やっぱり、嫌なのですね」
「え?」
キョトンとしたマーガレットに対して、目を細めたシャルロッテは少し俯きながらマーガレットに寂しげな視線を向けた。
「お兄様と結婚することが嫌なのでしょう?」
「……私が王太子妃になるなんて、信じられないだけよ。きっとこの二年でゼファー様の気も変わられると思うわ」
「あら、お兄様のあなたへの気持ちは本物よ。変わることはないと思うけど……そう、怖いくらいに」
そこまで言うとシャルロッテは一度目を閉じて、溜め息を吐いた。そしてゆっくり目を見開くと、冷静な口調で語り出す。
「というか妹のワタクシでさえ、お兄様のマーガレットへの愛情は異常だと思うもの。あなたもそう思っているから、気が進まないのでしょう?」
「それは……妹のあなたに言うことではないわ」
「いいのです。マーガレットがお兄様に出会う前から、ワタクシとあなたはお友達ですもの。気遣いなんて不要です」
シャルロッテは、生まれ持ってのお姫様が醸し出す柔らかな笑みをマーガレットに向ける。そのシャルロッテの気高き王女の微笑みを持ってしても、マーガレットは暗い表情を浮かべたままだった。
すると、何か思い付いたらしいシャルロッテは両手をポンッと叩く。
「なら、こう思うようにしたらどうかしら。あなたは結婚してワタクシの姉になるって。お兄様は嫌でも、ワタクシの姉になるのは嫌ではないでしょう?」
「そうね……シャルロッテの姉になるのは、とても不思議だけど嫌じゃないわ」
「だったらそう思うようにして、お兄様と結婚しましょう」
「…………」
「そうね」とシャルロッテに同意する返事は、マーガレットにはどうしてもできなかった。それはゼファーとの結婚を肯定してしまうような気がして、マーガレットの喉奥でつかえて口にすることはなかった。
マーガレットの断固とした様子に何かを感じ取ったシャルロッテは、矢で射貫くような鋭い眼差しで訝しむ。
「まだ納得がいかないようですね…………実は、好きな人でもいるのかしら?」
「えっ!? ……まさか。私に好きな人なんて、いるわけないじゃない」
その言葉を口にした途端、薄く薄く何度も抉られるようにマーガレットの胸が痛む。さっきクレイグに「好き」って告白しようとしていた自分は、もう遠い過去の自分。
シャルロッテはマーガレットの表情をじっくりと観察していた。
マーガレットの表情は眉を下げてハの字になり、口はきゅっと閉じられていてどこか悲しげで、シャルロッテには嘘を吐いているようには思えなかった。
「そう? それならよかったです。ちょっと心配になって、訊いてしまったの。お兄様はあなたのこととなると人が変わってしまうから……ごめんなさい」
「シャルロッテの言うとおりよ。私に好きな人なんていたら、大変なことになってしまうものね……いないから安心してちょうだい」
気付くとマーガレットもシャルロッテも、暗く沈んだように押し黙っていた。
そんな物悲しい空気を変えるべく、マーガレットは学園に通っているシャルロッテが喜びそうな話題を振る。
「ところで、そういうシャルロッテこそどうなの? 学園でもモテモテなんじゃない?」
「えー、そんなことないわ…………ふふ、実はね」
シャルロッテは学園で見ず知らずの男子生徒から突然告白されたことや、多くの男子生徒からパーティのパートナーを申し込まれたことを照れくさそうに語ってくれた。
気の置けない二人の会話は、止まることなく続いた。
★☆★☆★
気付くと、窓の外はもう夕焼けで赤く染まっていた。
シャルロッテたちを見送ったマーガレットとクレイグは自室に戻ると、クレイグはすぐに後片付けを始め、テーブルに置かれたティーカップへと手をかける。
「あ! 待って」
マーガレットは、自分のティーカップに隠しておいた銀色のお菓子の指輪を救い出す。そして左手薬指で誇らしげに輝くゼファーからの婚約指輪を丁寧に外すと、クレイグからもらった銀紙の指輪を嵌めて満足そうに笑みを浮かべる。
それはクレイグにとって誇らしい光景ではあったが、同時にゼファーの渡した指輪の価値を知った今では、どうしても比べてしまって心苦しくもあった。
「お嬢様。そのようなゴミくずの、価値のない指輪は外してしまったほうがいいです。お嬢様の品位を下げてしまいます。殿下が贈られた指輪を着けてください」
「これでいいの。あっちは公の場でだけ。私はこっちがいいのよ」
シャルロッテとの会話で、クレイグに言葉で想いを伝えることはやっぱり叶わないとマーガレットは思い知った。
でもクレイグからもらったこの指輪を着けて、態度で伝えることならできるはず。
これがクレイグに好きって伝える私の手段。
これならきっと、他の人にはわからない。
「お嬢様、食器を片してくるので一度失礼します。夕食前にまた伺いますね」
「ええ、わかったわ」
部屋を出て扉を閉めたクレイグは、護衛騎士のいなくなった廊下で緊張の糸が途切れたようにクタっと項垂れる。
何であんなことをしたんだろう。
どうしてあんな指輪もどきを渡してしまったのだろう。
あんな物を渡したら、期待してしまう。僕もお嬢様も。
僕にはそんな資格あるはずもないのに……。
お読みいただきありがとうございます(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
苦手な人からもらった国宝級の指輪と、大好きな人からもらった銀紙の指輪。
あなたなら、どちらを薬指に嵌めますか?
明日で第二部が終了となります。
次話は、第二部のまとめをストーリー形式でお送りします。
第三部に繋がる話ですので、よかったらお読みください。