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第172話 永遠を誓う円環

 紅茶の芳しい香りが漂う中、ソファに腰掛け、互いに向き合ったマーガレットとクレイグの二人は、言葉を交わすこともなく、音ひとつない沈黙に身を委ねていた。


「…………」

「…………」


『話し相手』と言ったのに両者どちらも口を開かず、ティーカップの紅茶だけがどんどん減っていく。


 居たたまれなくなったマーガレットは、テーブルに置かれたお菓子に手を伸ばす。お菓子の銀の包み紙を剥がすと、前世が日本人のマーガレットにとって、とても懐かしいお菓子が顔を出した。


 思わずマーガレットは「わあ」と歓喜の声を漏らした。


「そちらのお菓子は、イグナシオ様がルナリア様からいただいた、コーヨウ国の米を使った『おこし』というお菓子だそうです」


 この張りつめた空気に耐えられなかったクレイグは、お菓子の説明でさらっとその場を和ませようと試みる。

 読み通り、おこしに夢中になったマーガレットは小動物のようにおこしを頬張っている。


 正直な話、クレイグはもう何も腹を立ててはいなかった。

 例の婚約指輪を目にしたマーガレットの、あの拒否感に頬を引きつらせた表情に秘かに安堵し、寧ろ心は上機嫌であった。


 クレイグも銀の包みにくるまれた、おこしに手を伸ばす。

 包みを外していると、マーガレットはこちらを窺うような視線で、か細い声を響かせた。


「ねえ……まだ怒っているの? ミュシャに何か言われた? 理由を話してちょうだい」

「僕は怒っていませんし、ミュシャさんは何も関係ありません」

「嘘よ、怒っていたじゃない。いつもより口数は少なかったし、他人行儀でどこか冷たくて……ん? でも、今は怒ってない気がする。どうして?」


 それにたぶんミュシャも関係ないと、クレイグと長年過ごした私の勘が告げている。


 今のクレイグは確かに怒ってない。

 つまり、怒る理由がなくなった。いつなくなったのかしら?


 ずっと態度はおかしかったけど、朝食の時の両親との、あのどうしようもない空気を変える助言をしてくれたし……もしかして、あの時すでに怒ってなかった?


 朝食で怒っていたのは、どちらかというとお母様だった。

 あれが婚約指輪だなんて思いもしなかったのだもの。

 ん、指輪? …………まさか、まさかとは思うけど。


「もしかして、あの指輪のことで怒っているの!?」

「別に怒ってませんよッ」


 クレイグの語尾が少々粗ぶったのを、マーガレットは聞き逃さなかった。


 うそ……指輪だわ。

 私が舞い上がって嬉しそうに指輪を着けていたから、それで怒ってたの?


 でもそれって、やき、やき、焼きもちという、ものなのではッ!?


 十四歳の時にクレイグを好きだと自覚してから、はや二年。

 私は今でも、いいえ、あの頃よりもクレイグを好きになってしまっている。

 私は好きだけど、クレイグの気持ちは深い霧に覆われたように閉ざされていて……。

 そ、そんなクレイグが焼きもちですって!?


 鐘を鳴らすように高鳴っていく心臓を押さえながら、マーガレットは弁解を試みた。


「こ、こここ婚約指輪だなんて気付かなかったのよ。ブルック様からもらったことで舞い上がって、すっかりのぼせちゃったの……ごめんなさい」


 誠心誠意 心を込めて謝ったマーガレットだったが、マーガレットの心にはある疑念が生まれていた。


 あれ? どうして私はクレイグに言い訳したうえに、謝っているのかしら。

 そりゃあ、私はクレイグのこと好きだけど。

 でも言い訳したり謝ったり、まるで恋人同士の痴話ゲンカみたい。

 ……恋人同士って、クレイグの気持ちもはっきりわからないのに、勝手に恋人とか想像しちゃった。


 そんなマーガレットの恥じらいながらも頬を染める仕草に、クレイグの心の奥の何かが刺激される。


「……お嬢様」

「え、な、なな何?」

「左手をお貸しいただいても」

「え。左手? 別にいいけど何するの。あ、お菓子が余っていたのかしら」


 マーガレットは子供のように左手を差し出すと、手のひらをそっと広げ、お菓子ちょうだいのポーズで待ち続ける。


 しかし、クレイグは差し出されたマーガレットの手のひらをひっくり返して、手の甲を上にした。

 そしてお菓子の銀の包みを器用に折りたたんで、マーガレットの左手薬指に結び付けた。


「…………え」


 それは紛れもなく、左手薬指に銀色に輝く指輪だった。


 昨日、ゼファーから贈られた指輪と比べたら、比較することが虚しくなるくらいに粗末だ。

 息を吹きかけたら飛んでいってしまいそうなほど軽く、デザインもなければ、煌めく宝石だってなく、すべてがあまりにも別物だった。


 でも、すごく手に馴染んで、そして……ただ単純に嬉しかった。


 左手薬指って婚約指輪の指よね?

 これって、どういう……結婚したいって意味なの?

 わ、わかんない。


 もしかしたらのプロポーズに、緊張からか顔が火照って熱を帯びていく。

 火照りは顔にとどまらず、身体へと広がって全身が熱くなっていくの感じた。

 感無量となったマーガレットの翡翠の瞳は涙で潤み、視界が滲む。


 涙がこぼれないように、指輪を見ていた視線を上げてクレイグを見つめると、クレイグも同じく顔を赤くして照れたように俯いていた。


「す、すみません。やりすぎました。ゼファー殿下からもらった指輪があるのに、すぐに外します」


 外そうと手を伸ばしたクレイグよりも素早く手を引っ込めたマーガレットは、左手を右手で覆って銀の包み紙の指輪を(かば)いながら、声を震わせた。


「これはこのまま、もらってもいいかしら…………た、大切にするから」

「は、い」


 目と目が合った瞬間、二人は気恥ずかしさに襲われ、磁石が反発するようにそそくさと目を逸らす。


 まるでこの世界には二人だけのような、甘い甘い蜂蜜のような雰囲気が漂い始める。突如、漂い出した甘い雰囲気に、マーガレットは面食らう。


 何、この甘い雰囲気は。今食べたおこしよりも甘々なのだけど。

 さっきまで、怒ったクレイグと二人きりで居心地悪いと思っていたのに、よくよく考えたら二人きりよ、二人きりっっ!


 私の部屋で、クレイグと二人きりで向かい合ってお茶を飲んで、指輪なんてもらっちゃって……これって、前世で言うところの『おうちデート』じゃにゃいのぉ!?


 ど、どうしよう。

 クレイグのことを意識しちゃって、もう何もわからなくなっちゃったー!


 慣れない恋愛ごとに混乱しているマーガレットの頭の中は、甘い妄想で一杯だった。


 人が混乱している様子を見ていると冷静になるというのは本当のようで、悶絶するマーガレットを見ていたクレイグは、落ち着いた様子で声を掛けた。


「あの、お嬢様」

「え?」

「もう指輪を外したりしませんから、お茶の続きを楽しみましょう。お茶のおかわりは入りませんか?」

「ふぁ……じゃあ、いただこうかしら」


 マーガレットは銀の包みの指輪を死守していた手を緩め、ティーカップに少し残っていた紅茶を飲み干した。


 ティーポットに新しい茶葉を入れ、準備をしているクレイグの後ろ姿をチラチラと盗み見ながら、マーガレットは思っていた。



 クレイグに「好き」って言いたい。もう、言ってしまいたい。


 

 クレイグはこの指輪で私に気持ちを示してくれた……のよね。

 だったら私も応えたい。


「……ねえ、クレイグ」


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