第171話 お嬢様は従者の気持ちがわからない
「さっきは助けてくれてありがとう、クレイグ」
食事を終え、私室に戻ったマーガレットはソファに腰掛け、クレイグに穏やかな笑顔を向ける。すると、クレイグは何でもないとばかりに平然と答えた。
「別に大したことはしていませんよ。あの時、あの場所で、あの不穏な空気を変えることができたのは、お嬢様だけでしたから。
それに、僕がお二人に報告した指輪の話から発展した問題でしたので、僕にも責任があります。ただ、問題を先延ばしにするような形になってしまって申し訳ありません」
「クレイグには何の責任もないわよ。あの話は……結婚の話はいつかは話さなければならない問題だろうし、この問題は一挙手一投足で解決するような単純な話ではないもの。だから、やっぱりありがとう……クレイグ」
マーガレットは感謝を込めて、もう一度心からクレイグに礼を言う。
しかしクレイグは「…………いえ」と何とも素っ気ない返事をして、その場から立ち去ってしまった。
あれ? もしかして、まだ怒ってる?
ひとり残されたマーガレットは、理解できない従者の行動に思案げに首を傾げた。
★☆★☆★
結局、昼食を終えてもクレイグの口数は少ないまま、時計のベルはお昼の三刻を告げた。
クレイグは無言のまま、慣れた手つきでお茶の支度を進めている。
マーガレットはというとソファに腰掛け、口をムッと尖らせて読書をする振りをしながら、クレイグの重い口をどうやって割らせようか考えを巡らせていた。
読んでもいない本のページをぺらっと捲りながら、そもそもクレイグが何に対して怒っているのかわからないと頭を悩ませる。
間違いなく昨晩の観劇が原因なのは確かなのだけど……昨晩はいろいろとやらかして見当がありすぎて、逆にわからない。
ゼファー様の前で、ブルック様のことをあんまり褒めないって約束も守れなかったし、はしゃいでしまって公爵令嬢らしくない振るまいもしていただろうし。
すると、
「あ、そうでした。お嬢様」
「ひゃい‼ ど、どどどうしたのクレイグ」
突然、無言を貫いていたクレイグに話しかけられ、マーガレットは手元の本を破らんばかりに握り締める。
ティーポットとティーカップを乗せたトレイをマーガレットのいるテーブルへと運んだクレイグは、自分の胸ポケットを探った。
「シーツを取り換える際に、こちらの指輪を見つけたのですが……」
クレイグはポケットからある物を取り出すと、机の上へと置いた。
それは、ゼファーからもらった例の婚約指輪だった。
指輪に施された美しい宝石は、キラリと紫色に煌めく。
その輝きは、どうにも誰かさんが主張しているようで、マーガレットはついゲッと顔を歪ませる。
クレイグは、マーガレットのその表情を見逃さなかった。
「……ミュシャさんが昨夜仰っていたのですが、お嬢様はゼファー王太子殿下といらっしゃる時に怪訝な顔をなさっていて、最近は隠しもしないのだそうです」
クレイグは淹れたての紅茶をカップに注ぐと、音もたてずにマーガレットのもとへと呈した。
「お嬢様が嫌な顔をするのは仕方ない。僕も当然と思っていたので、指摘されるまですっかり失念していました」
「……あらぁ、私もよ。あはは」
ようやく話してくれたと思ったら、いきなりお説教タイムスタートだわっ。
今日はターニャも助けてくれないし、どうして怒っているのかわからない状況でのクレイグのお説教は辛いものがある。
ん? もしかして、私のせいでミュシャに何か言われたことに腹を立てているのかしら? 今、二人きりなのだから、きちんと話し合うチャンスよね。
マーガレットは自分に言い聞かせるようにコクリと頷くと、クレイグを真っ直ぐに見据えた。
「ねえ、クレイグ。今日はターニャもいないから、私の話し相手になってくれない?」
「……どうしたのですか?」
「そちらのソファに座って。お茶を飲みながらお話しましょう」
マーガレットは向かいのソファの席を手で示して、クレイグに座るように促した。しかし、真面目なクレイグがそう簡単に主の向かいに座るはずもなく、クレイグは首を横に振る。
「いえ。お嬢様と向かい合ってお茶を飲むなんて、従者の僕に許されるはずがありません……遠慮します」
「ええっ、お茶は一緒に飲めないのにお説教はするの? それってフェアじゃないわ。お説教するなら、話し相手になって正々堂々としてちょうだい。さあ、そっちに座って。お茶は私が用意するから」
マーガレットはすくっと立ち上がると、空のティーカップを持ってきて紅茶を並々と注ぎ、マーガレットの対面の席のテーブルにティーカップを置いた。
そして右手をスッと差し伸べて、「さあ、どうぞ」とクレイグに不敵に微笑みかける。
マーガレットの有無を言わさぬ手際の良さにクレイグも観念し、「はあ」と小さく降参の吐息を吐いてソファに腰掛けた。
気まずい空気が漂う中、二人のお茶会の行方は果たして――