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第169話 不機嫌な従者さん

 観劇の翌日。

 クレイグは屋敷の廊下を足音ひとつ立てずに軽やかに歩き、マーガレットの私室へと向かっていた。その流れるような身のこなしとは裏腹に、クレイグは朝から苛立ちを滲ませている。


 昨夜はスターチス劇場から屋敷に帰ったあとも、マーガレットお嬢様は例の指輪を眺めてはニヤつき、うっとりしては恋する乙女のように顔を赤く染めて酔いしれていた。


 ゼファー殿下を怒らせないためのミュシャさんの計画だと、頭では理解していた。気にしないように努力もした……が、胸の奥で(くすぶ)る不満が苛立ちの溝を広げていく。


 私情を挟むなど従者として失格だが、今日はお嬢様と普通に話せる気がしない。

 だから会話はターニャに任せようと思っていたのに。


「まさか寝込むとは……」


 クレイグは溜め息を吐く。


 ★


「ふふふ」


 マーガレットの私室にて。

 カーテンの閉じられた室内は、仄暗い暗闇に包まれていた。


 寝台に横たわるマーガレットは、カーテンの隙間から漏れでた朝日の光に左手をかざし、キラリと光る指輪を嬉しそうに眺めては憧れの俳優・ブルックの顔を思い浮かべ、昨夜から定期的に顔を緩ませている。


 昨日、あったことは現実なのね。

 私、ブルック様に会って、ブルック様の手ずから指輪を嵌めてもらって……。


「きゃ~~~ッ」


 マーガレットは興奮のあまり足をバタつかせた。


「リアルブルック様、カッコよかったなあ。また会えるかしら」


 すると、扉をノックする音が部屋中に鳴り響く。


「失礼します」という声掛けとともに、クレイグは部屋へ入ると、寝台の近くまで来てマーガレットが起きていることを確認してから挨拶をした。


「おはようございます、お嬢様」

「おはよう、クレイグ……あら、ターニャはどうしたの?」


 いつも我先にと挨拶をするターニャの声が聞こえない。不思議に思ったマーガレットは、すぐにターニャの姿を探すがどこにも見当たらなかった。

 クレイグは溜め息をひとつこぼす。


「ターニャは寝込んでしまって、本日は休みを取りました」

「ええっ!? 寝込んだって大丈夫なの?」

「タチアナさんから聞いた話によると、昨夜帰ったあとも大興奮でタチアナさんに劇の話をしたそうです。おそらく、はしゃぎすぎて熱が出たのではないかということでした」


 事の顛末をクレイグから聞き、マーガレットはホッと胸を撫で下ろすと、クレイグに和やかな笑みを向ける。


「なるほど、病気じゃないのね。それならよかった。ターニャも私に負けないくらい劇を楽しんでいたものね」

「侍女としてどうかと思いますが……お嬢様と一緒にサインまでせがんで、まったく」

「ふふふ。まあ、そんなに怒らないであげて。クレイグだって少しは息抜きになったでしょ」

「いえ、まったく」


 食い気味に返ってきたクレイグの否定の言葉に、マーガレットは面食らって目をパチクリと瞬かせる。そんなマーガレットの様子を気に留めることもなく、クレイグは澄まし顔でカーテンを順に開けていく。


 マーガレットがバスルームで顔を洗っている間に、クレイグはマーガレットのドレスの準備を手早く整える。


「お嬢様。本日はターニャがいませんので、僕が身だしなみを整えさせていただきますが、よろしいでしょうか?」

「え、ええ……もちろんよ」


 マーガレットは、クレイグのいつも以上に淡々とした口調に違和感を感じ始めていた。


 何だろう、この事務的で冷たい感じ。

 まるで、出会って間もない頃のクレイグみたい。

 心を閉ざしているみたいな……いえ、この感じはどちらかというと、もしかして。


「クレイグ、何か怒ってるの?」

「いえ」

「いえ……じゃないわよ。そんな態度で怒っていないはずないわ。ターニャのことで怒っているの?」

「……いえ、ターニャのことはどちらかというと呆れています……

そんなことより、早く着替えないと朝食に遅れてしまいます。すみませんが、男の僕では着替えを手伝うことはできません。あちらを向いておきますから、ドレスに着替えたら教えてください。身だしなみを整えさせて頂きます」

「…………わかったわ。あっちを向いていて」


 寝間着を脱ぎ、下着姿になったマーガレットはムッと口を尖らせてドレスに着替え始めた。


 クレイグの態度が明らかにおかしい。


 何? 今の喋り方。

 いつも以上に丁寧で他人行儀な敬語なんて使っちゃって、私を近付けないようにしているのが丸わかりなのよッ!

 でも、あんなにわかりやすく怒っているのに、何が理由で怒っているのかさっぱりわからない。


 頬をぷくっと膨らませてぷんぷん怒っていたら、いつの間にか着替え終わっていた。マーガレットもついツンと尖った声音になる。


「いいわよ、クレイグ」

「はい、それでは」


 クレイグは手際よく身支度を整え、髪は優雅なハーフアップに結い上げられる。脱いだ寝間着をそっと手に取り、クレイグはそそくさと部屋を去っていった。

 その間、会話はひと言も交わさなかった。


 一人になった部屋で、マーガレットは溜め息を吐く。


「はぁ、何を怒っているのかしら。ターニャもいないし、聞く術がないわ」


 マーガレットは無意識に左手を顔にあて、考えるポーズを取る。

 その時、頬にちょっとした違和感を感じた。

 左手薬指の、例の指輪だ。


 指輪って着け慣れていないから違和感があるのよね。

 お父様もお母様もよくこんなの着けていられ…………ん、左手薬指?


「あぁァ――ッ!!?」


 自分の左手に光る精巧な指輪の意味をようやく理解したマーガレットは、大きな声を上げた。


 そっか、この指輪ってそういう意味だったのね。

 そういえば、昨晩の帰りの馬車でゼファー様が――


「マーガレットが僕の婚約者なのは周知の事実だが、中には知っていても君の魅力に逆らえず、近付く男子生徒が現れるかもしれない。僕が学園に在学していた頃もいくつかそんな話を聞いたよ。だから、その指輪はちょっとした魔除けだと思って着けていてほしい」


 とか言っていた。

 よくわからなかったから愛想笑いしちゃったけど、そっか……魔除けって、男除けの婚約指輪ってことだったのね。

 あ、よく見ると……この宝石の紫色、ゼファー様の瞳の色にそっくりだわ。


 いつでもゼファーが見張っているとでも言いたげに、深い紫色の宝石はギラリと輝いた。


「ひぇ……」


 ゾッとしたマーガレットは気が付くと、指輪を手早く外してベッドのシーツの上に投げ捨てていた。それと同時にクレイグが部屋へと戻ってくる。


「お嬢様、朝食のお時間です」

「わかったわ。すぐ行く」


 するとマーガレットの手元を確認したクレイグは、ある違和感に気付いた。


「……お嬢様。指輪をお忘れですよ」

「あー、今はいいわ」

「え?」

「あの指輪は出掛ける時だけ着けることにしたの。だから気にしないで」

「はい、わかりました」


 クレイグは平然と返事をした。

 しかし心の奥底では、秘かにガッツポーズを刻んでいたことは誰にも明かせぬ秘密だ。


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